備前長船長光(刀工)


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 備前長船長光(びぜんおさふねながみつ)

備前長船派刀工
左近将監を受領
古刀最上作

  • 長船派の創始者として知られる刀工光忠の子。
    光忠──長光──景光──兼光──延文兼光──三代兼光──四代兼光──五代兼光
                             (応永年間)(長禄年間)(天文年間)
    政光は兼光五男
  • 長光は、古刀期においては現存在銘作刀がもっとも多い刀工の一人である。弟子の代作と思われる遺作が数多く存在するが、出来は一定水準を保っている。
  • 長光・景光真長は、長船三作と表される。
  • 備前長船派は孫左衛門兼光に引き継がれた。

 同名2代説

  • 古今銘尽」等の古伝書では長光には同名2代あったとし、初代を「順慶長光」、2代目を「左近将監長光」とする。
  • 二代長光は、信州長船村の出身で小笠原姓。京都に上り九条左大臣忠教に仕えるが勘当され備前長船に下る。景光に鍛冶を習い上達したため順慶の長光銘を許され左近将監長光と称したという。正和5年68歳で没。
  • 二人説では初代を左近将監または左衛門尉、法名を順慶または「ゆふけい」。二代が左近将監または順慶と称したといい、これが通説であった。
  • 正応2年(1289年)銘太刀のほか、永仁、正安、嘉元(1303 – 1306年)などの年号を銘に切る作刀があり、近世以来の通説ではこれらを2代長光の作とする。
  • ただし、近年の研究では長光の作刀期間は約30年間であり、「左近将監」銘も含め1代限りであり、作風の変化と受領があったものと見る説が有力である。
  • 長光の弟子とされる者に、子息の景光倫光真長(さねなが)、長元、真光、近景、来光包らがおり、長光銘の後期作にはこれらの弟子の代作も含まれていることが指摘されている。

 官途長光

  • 備前長光の二代目。左近将監または左衛門尉と称し、これを官途長光という。管領長光とも。「日光左近将監」

 順慶別人説

  • 長光と同時代の備前刀に「順慶」と銘するものがあって、通説では「順慶」は初代長光の老後の法名とされていた。
  • 法名を順慶または「ゆふけい」。二代が左近将監または順慶と称したともいう。

 

  • 銘は「長光」二字銘のほか、「備前国長船住」等と居住地を明記したもの、「左近将監長光」と銘したものなどがあり、「左近将監」銘は後期作に属する。
  • 順慶銘のものは沸えが多く、かつ銘も大振り。二代長光とは鏨遣も異なる。順慶は末古備前まで時代が上る。
  • 長光銘のものは、踏ん張りあって先細るものには焼き幅の狭い直刃丁字、先細らないものには焼き幅の広い直刃丁字、豪壮な猪首切先のものには大丁字乱れを焼く。彫刻も上手で、行の剣巻き竜の腹が、孕んでいるかのように膨れている(孕み竜)のが特徴。

 著名刀

 名物

大般若長光
国宝。代表作として名高い
小豆長光
謙信の愛刀であったという。
津田遠江長光
享保名物
鉋切長光
享保名物織田信長から丹波五郎左衛門長秀が拝領した。
香西長光
享保名物
蜂屋長光
享保名物
青屋長光
享保名物
日光長光
享保名物
熊野三所権現長光
光山押形所載
高瀬長光
上杉家御手選三十五腰。鞘の鯉口に「日光」と墨書。
物干し竿
佐々木小次郎が好んで佩いたという

 国宝

太刀
銘「長光」(名物大般若長光」)(東京国立博物館)室町幕府ゆかりの名物として古来名高いもので、腰反り深く踏ん張りがつき、猪首切先の鎌倉時代中期の体配となる。乱れ映り立ち、刃文は重花丁子を交え、焼きに高低がついた絢爛豪華な作風を示す。「大般若」の号は、この太刀本阿弥家で600貫の値を付けたことから、大般若経600巻にかけて付けられたもの。長篠の合戦時に長篠城を守り抜いた奥平信昌へ徳川家康が恩賞として与えた。茎(なかご)は切り詰め。
太刀
銘「長光」(東京国立博物館
太刀
銘「長光」(名物「遠江長光」)(愛知・徳川美術館)重花丁子に蛙子丁子を交えた華麗な刃文を焼き最も華やかな作として知られる。元・織田信長の所蔵であったものを明智光秀が略取し、家老の津田遠江に与えたところから「遠江」の称がある。後に津田遠江の子孫から前田利長に献上。松姫の尾張家輿入れの際、同家にもたらされ、一時徳川将軍家の所蔵となった後、尾張家に戻り、現在に至る。茎は磨上。「津田遠江長光
太刀
銘「備前国長船住左近将監長光造」(岡山・林原美術館)昭和32年(1957年)2月19日国宝指定。長二尺六寸(78.8cm)、反り2.7cm。うぶ中心、東条英機の女婿で陸軍軍人の杉山茂氏(東條光枝の夫、第2代陸上幕僚長)の愛蔵。現林原美術館所蔵。文化遺産DB
太刀
銘「熊野三所権現長光」(大阪・法人蔵)九鬼氏伝来。長光の最も典型的な作風で、湾れに互の目丁子を交える。
薙刀
銘「備前国長船住人長光造」刃長44.2cm。(静岡・佐野美術館)

 重要文化財

太刀
銘「備前国長船住左近将監長光造/正応二年十月日」(岡山・林原美術館)昭和6年(1931年)1月19日旧国宝指定。目釘孔3個。伊東文一氏蔵。現林原美術館所蔵。文化遺産DB
太刀
銘「長光」長73cm、反り2cm。出羽庄内藩の菅家伝来により、「庄内長光」の名がある。昭和25年(1950年)8月29日重要文化財指定。岡山県立博物館所蔵
太刀
銘「長光」(号高木長光)(所在不明)1940年指定、上杉家伝来。金梨地合口拵え付
太刀
銘「備前国長船住長光作/正安二年二月吉日」(所在不明)、正安2年は1300年、昭和9年(1934年)12月20日重要美術品指定、岡島太十氏所持。『国宝重要文化財大全』に刀身の写真なし。
太刀
銘「長船住人長光」長二尺三寸三分(磨上)、反り六分。住人銘は稀有。秀吉から家康、家康が大歳御祖神社(富士浅間神社)に奉納。
太刀
銘「長光」二尺六寸九分。家光の命により瀧山寺に東照宮を勧請することになり、正保3年(1646年)9月滝山東照宮本殿造営の際に将軍家光寄進されたものとの由緒が残る。附糸巻太刀拵、附太刀箱。大正13年(1924年)4月15日旧国宝指定。愛知県滝山東照宮所蔵
太刀
銘「長光」二尺三寸八分。大正10年(1921年)4月30日旧国宝指定。熱田神宮所蔵
銘「長光」長七寸三分五厘(22.2cm)、元幅2.1cm。両鎬造。鍛えは板目やや肌荒れる。刃文は直刃に乱れ交り刃中沸づく。帽子は直ぐで突き上げる。彫物は表裏鎬の上に細い棒樋を掻き流す。茎は生ぶ、二字銘のうち、長の字は穴にかかる。目釘孔2個。明治維新の際に社殿より紛失したが、後年市人山田庄次郎が発見しその子(同名)の時、改めて寄進したという。大正12年3月28日旧国宝指定。愛知津島神社所蔵。
太刀
銘「備前国長船住左近将監長光造」長78.7cm、反り2.7cm。昭和32年2月19日重要文化財指定。林原美術館所蔵
太刀
銘「備前国長船住左近将監長光造」長74.8cm、反り2.5cm。昭和6年1月19日旧国宝指定。林原美術館所蔵
金熨斗付糸巻太刀
二尺三寸。秀吉が朝鮮出兵の前に神功皇后を祀る山城御香社に奉納したもの。重要文化財。御香宮神社所蔵。東博委託
太刀
銘長光(東京国立博物館
太刀
銘長光(東京・日枝神社)
太刀
銘備州長船住長光(東京・日枝神社)
太刀
銘長光(東京・根津神社)
太刀
銘長光(神奈川・鶴岡八幡宮
太刀
銘長光(石川・白山比咩神社)
太刀
銘長船住人長光(静岡・大歳御祖神社)
太刀
銘備前国長船長光造(愛知・徳川美術館
太刀
銘長光(愛知・滝山東照宮)
:太刀 銘長光(京都国立博物館)
太刀
銘長光(京都・陽明文庫)
赤銅造太刀
中身銘備前国長船住長光(奈良・手向山八幡宮)
太刀
銘長光(岡山県立博物館蔵)1942年指定、長らく個人蔵だったもの。
太刀
銘長光(香川・金刀比羅宮)
太刀
銘長光(熊本・阿蘇神社)第二次大戦後連合国軍により接収され、以後の所在不明。写真なし
太刀
銘長光(所在不明)1933年指定
太刀
銘長光(個人蔵)1938年指定
太刀
銘長光(個人蔵)1956年指定
太刀
銘長光(個人蔵)1956年指定
金象嵌銘長光 磨上光徳(花押)本多安房守所持。昭和8年(1933年)7月25日重要美術品指定、細川護立氏所持。昭和11年(1936年)9月18日重要文化財指定。現在は個人蔵 国指定文化財等データベース
無銘 伝長光(個人蔵)1942年指定
薙刀
銘長光(東京国立博物館)旧御物
銘長光(福岡・株式会社御花) 柳川藩立花家伝来。立花家史料館保管。

 その他

小豆長光
太刀 銘「長光」長二尺四寸三分五厘、反り九分。表裏に丸留の棒樋。上杉家伝来。佐藤寒山の鞘書き「昭和三十四年仲秋吉日於芸州広島城下 寒山」「所伝不識庵謙信所佩愛刀之一而世弥小豆長光永伝来上杉家終戦後出於同家者也 万為珍重者也」。重要美術品
腰帯
紀州徳川家の祖、徳川頼宣の佩刀。備前長光作。ある時この「腰帯」にて頼宣自ら死刑囚を試し切りした。斬れ味の凄まじさに死体が倒れずそのまま立っていたため、突いてみたところ二つになって倒れた。周囲一同驚き入ったため頼宣は大いに喜び、儒臣の那波道円(那波活所)に対して「異国にもこれほどの利剣はあるか、またこれほどの腕を持つ人物はいるか」と尋ねた所、道円は「異国には龍泉、太阿などという利剣がございます。また人を殺して愉しむ人は、夏の桀王、殷の紂王と申す悪王もあります。しかしながら凡そ人を殺して悦を感じるのは禽獣の仕業にて人間ではございません。日本にては罪人を斬ることは穢多がすべきことでしょう」と憚ることなく申し上げると、頼宣は部屋に入ってしまったという。頼宣は後ほど那波道円を呼び、「先程そちが申したことこそ至極の道理であれば、これより後は再び自ら試し切りすることはしない」と諫言に感謝したという。
太刀
銘「八幡三所 伊豆箱根権現 住吉大明神 諏訪大明神 吉備津宮大明神 三嶋大明神 宇津宮大明神 日吉権現」 正応二年作
太刀
銘「長光」重要美術品。長二尺三寸六分、反り九分二厘。表裏に棒樋、中心うぶ。表に「長光」二字銘。陸軍中将山地元治遺愛、山岡重厚氏所蔵。
太刀
銘「備州長船住長光 嘉元二年十一月日 八幡大菩薩」(徳川家康所用)附打刀拵。昭和14年2月22日重要美術品指定。徳川家正公爵所持。
千引長光
ちびきながみつ。慶長4年(1599年)正月9日、泗川の戦いの功により島津家久が正四位下少将に任じられた時に、家康から贈られた刀。もとは織田信長の三男三七信孝の愛刀。中心に「三七郎」と切付銘。※義弘が「本庄正宗」を拝領したのと同じ時。

(慶長四年乙亥 正月九日)
忠恒公正四位少將ニ任セラレ長光ノ刀ヲ給ヒ傳云是レ千引長光ト云、織田三七秘藏シテ銘ヲ三七郎ト彫ル且感書ヲ給フ

のち享保7年(1722年)の納戸方調書にも登場している。

一、御腰物  一腰長光
慶長四年正月三日 忠恒(家久)公伏見御旅館え挑戦國御歸朝之爲御祝儀
家康公御見舞之節、從
家康公 忠恒公え御拝領被遊候、

太刀
銘 長光。寛永7年(1630年)4月21日に桜田の島津邸に2代将軍徳川秀忠が御成の際、島津18代島津家久(薩摩藩初代藩主の島津忠恒)が拝領し、島津家に伝来したもの。十字紋と桐紋が散らされている糸巻太刀拵、さらに黒蝋色塗鞘打刀拵が附く。
太刀
刃長二尺三寸五厘。元禄11年(1698年)8月、江戸東叡山本堂構築御手伝いの功により将軍綱吉より手づから拝領したもの。赤銅七々子地金小縁で十の字紋散金具の糸巻太刀拵、および黒呂色塗鞘で三所金紋獅子の打刀拵が附く。島津綱貴所持で、昭和11年(1936年)9月重要美術品認定。
神保長光
太刀 銘「長光」長二尺三寸九分五厘、反り九分。日本左衛門を捕らえた神保美作守の神保家伝来。
太刀
銘「長光」沃懸地蒔絵毛抜形太刀。刃長二尺一寸九分強。津軽義孝伯爵所持
太刀
銘「備前国長船住左近将監長光」長67cm、反り2.4cm。昭和31年4月1日岡山県指定重要文化財。個人蔵
太刀
銘「長光」
太秦長光
慶長11年(1606年)6月17日、島津家久が伏見で(家康から)偏諱とともに拝領した長光。

六月十七日御諱をたまはり家久となのり、太秦長光の御刀を拝賜す。

太刀
長二尺三寸二分。姫路藩酒井家に伝わったもの。慶長19年(1614年)4月12日秀忠が従一位右大臣に上った際に、使いをした褒美として酒井忠世が拝領したもの。銘有、元幅一寸、先幅七分餘。代金四十五枚。下札有。

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