光山押形
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光山押形(こうざんおしがた)
刀剣書
乾坤二巻
- 古刀2727本の押形が載っている押形本
- この本の原本は明治まで光山の子孫である本阿弥長識の家に伝来した。長識の子、親善が借金を作ったためにこれを売り払ってしまい、それを松方正義の舎兄である久保之昌が買い取っている。
- のち大正6年に中央刀剣会で出版したときに、誤って「光山押形」と名付けてしまったために誤って流布したという。
所載刀剣
一之巻
コマ | 名称 | 説明 |
6 | 鳴狐 | 「左兵衛尉藤原国吉」一尺七寸八分斗造。 子爵秋元家鳴狐ト云「古刀大全」にも載る |
7 | 大国綱 | 大國綱之腰刃マチヨリ壱寸程上ヨリ有 |
7 | 鬼丸 | 国綱 |
7 | 不動正宗短刀 | 名物 不動之。尾張徳川家 |
7 | 上り竜下り竜正宗 | 正宗、上り龍下り龍 |
8 | 吉光 | 小笠原遠江殿ニ有 |
8 | 八幡正宗 | 南無八幡 正宗 |
8 | 宗秀 | 古備前之 油小路亜相御所持 |
12 | 来孫太郎作 | 比孫太郎ハ尾張徳川家ニ有之 |
13 | 正應五年辰八月十三日 | 二尺五寸五分半。比太刀尾張徳川家とアリ来国俊ニ |
14 | 不動行光 | 不動立像に矜羯羅童子と制多迦 |
38 | 備前景光景政合作刀 | 河村伯爵(川村純義)から献上され御物 表:願主武蔵国秩父郡大河原入道沙禰蔵蓮同左衛門尉/ 丹治朝臣時基於播磨国宍粟郡三方西造之 裏:作者備前国長船住左兵衛尉 景光進士三郎景政 正中二年七月日 |
38 | 同両作太刀 | 寛文3年将軍家綱が日光参りの折に奥平家御成の時に拝領 表:広峰山御剣願主武蔵国秩父郡住大河原左衛門尉丹治時基於播磨国宍粟郡三方西造進之 裏:備前国長船住左兵衛尉景光 作者進士三郎景政 嘉暦二二年己巳七月日 現国宝、埼玉県立歴史と民俗の博物館所蔵 |
41 | 備州長船住国宗 | 水戸様 百枚 |
41 | 吉包の太刀 | 磨上「吉包作」 |
41 | 長光 | 備前國長船住長光/嘉元元年十月日 |
44 | 熊野三所権現長光 | 御物 十三枚。朽木家。将軍吉宗より拝領 |
※ここまで修正済 | ||
20 | 庖丁正宗短刀 | 「会津下野守(蒲生忠郷)」内藤家から売立 |
22 | 大和志津包氏 | 九寸一分半。牧野家 |
25 | 備前長船基正 | 一尺一寸。生中心目釘孔3個 |
29 | 備前国長船長重 | 一尺一寸。高木復氏蔵 |
30 | 根本中 | 来国俊?「古刀大全」所載 |
38 | 備前長船左京進宗光 | 男爵川田小一郎 |
43 | 備後左兵衛允正光 | 「文和三年三月日」九寸八分 |
48 | 一文字の吉安 | 二尺三寸。岩崎家 |
52 | 備前長船守家造 | 二代守家。京都阿武少将 |
53 | 大包平 | 二尺九寸六分。備前池田家旧蔵 |
53 | 加州藤原家政短刀 | 「応永九年二月二十六日」八寸四分 |
53 | 備州長船住守長 | 平造短刀 |
55 | 骨喰藤四郎 | |
63 | 友成太刀 | 嘉禎□年五月六日友成」将軍家、伝通院、岩崎家 |
63 | 兼元まこ六作 | 二尺三寸三分 |
70 | 来国次 | 「三位」因州池田家。福地源一郎、萩昌吉 |
72 | 二字国俊 | 二尺五寸六分半。「古刀大全」「埋忠家押形」所載。郡山柳沢家、御物 |
73 | 相州住広次作 | 「松平長門守殿より来り二枚五両に成る」男爵川田小一郎 |
80 | 真景 | 二尺二寸五分 |
87 | 安行 | 二尺六寸。小浜酒井家伝来 |
87 | 粟田口左兵衛尉国光 | 二尺三寸。宗伯爵家 |
102 | 備前国長船住兼光 | 二尺六寸七分。「建武三年丙子十二月日」八幡大菩薩。山内豊景侯爵旧国宝 |
103 | 新太郎 | 一文字宗吉のことという。二尺三寸五分。岩崎家 |
104 | 大石左 | 筑前大石左の武永・教永合作。一尺六寸。刀屋網屋 |
111 | 備前真長 | 一尺九寸七分。岩崎家 |
二之巻
頁 | 名称 | 説明 |
1 | 備前長船倫光 | 「康安二年卯月日」短刀。一尺一寸 |
4 | 綾小路定利 | 二尺六寸。備後福山阿部家から献上され御物 |
10 | 阿蘇の蛍丸 | 三尺三寸四分。なお小刀は書かれていない。※欄外注 |
16 | 備前一文字貞真 | 二尺三寸。家光から信州諏訪家、分家、売立 |
20 | 備前国助包 | 「松平下総殿直刃に少々づつ乱るる十枚の折紙あり」小倉藩主小笠原家 |
21 | 備前国助包 | 20頁と同物 |
21 | 備前一文字吉平 | 二尺五寸五分。戸田次郎兵衛掘り出しの刀、井伊殿へ。 |
39 | 備州長船住長重 | 短刀 |
59 | 備前国友房 | 磨上、中心先に二字銘。刀銘。 |
60 | 山城国信国 | 短刀。土屋相模20枚の極め。川口武定氏 |
61 | 備前国尚宗 | 肥前大村家 |
72 | 古備前利恒 | 二尺五寸三分半 |
75 | 備州長船守光 | 二尺六寸一分。寸延び刀。男爵岩崎家 |
75 | 備前長船政光 | 「至徳二年三月日」二尺二寸五分榎本子爵が慶喜から拝領。桂子爵 |
77 | 古備前助平 | 二尺四寸六分。岩崎家から広島大本営に献上 |
注記
- 阿蘇の蛍丸について
松方正義家系図
- 何故か、松方正義についてはその兄弟を記したものが少ないため、ここで掲載しておく。
【松田氏】 松田為政──┬松田爲周 ├松田爲親(初名爲親、通称善蔵。松方家を継いで正恭に改める) ├松田爲恒(岩元氏を継ぐ) └松田爲富(別家) 【松方氏】 松方七左衛門━━正恭(松田爲親) ├──┬正易──┬正雄 山下角兵衛──袈裟子 │ ├正明(彦次郎) │ └勇助 │ ├くら(谷村彦助後妻) ├久保之昌(八郎、久保家を継ぐ) ├正之進(正輔、牧野家を継ぐ。越後長岡で戦死) └正義 ├──┬巌(妻:長興専斎長女 保子)───────┬竹子(伯爵黒木三次に嫁入) 川上左太夫──満佐子 ├正作(妻:岩崎彌之助長女 繁子) └勝彦(幸次郎四男、昭和8年養嗣) ├幸次郎(妻:子爵九鬼隆義長女 好子) ├正雄(妻:海軍中将河原要一長女 マス) ├千代子(武笠家に嫁入) ├五郎(妻:大阪府人澁川忠二郎三女 カメ子) ├廣子(鹿児島県縣士族川上直之助の妻) ├虎雄(陸軍砲兵見習士官在職中没) ├金熊(早世) ├津留子(大正8年分家) ├乙彦(妻:伯爵山本権兵衛五女 登美子) ├光子(大阪府人松本重太郎養子松蔵の妻) ├正熊(妻:群馬縣人新井領一郎長女 ミヨ子) ├義輔(妻:子爵井上勝女 辰子) ├金次郎(米国兵学校在学中病没) ├梅子(堀越角次郎に嫁入) ├義行(男爵森村開作養嗣) ├義三郎 └文子(野坂三枝に嫁入)
- 松方正義の父の正恭は、生まれは松田為政(為雅)の次男で、初名松田爲親(通称善蔵)。兄が死んだために松田氏の家督を継いでいる。のち松方七左衛門の跡を継ぎ松方氏を名乗る。父が行っていた大島貿易で大きな利益を上げていたことから城下士松方家の株を買ったという。
- 松方正恭は山下角兵衛の娘袈裟子との間に、正義のほかに数人の子を生んでおり、兄の八郎が久保家を継ぎ久保之昌と名乗った。これが「光山押形」を買い取った人物である。
系譜
- 正義は薩摩藩士川上助八郎の長女満佐子との間に4男1女の子を設けている。さらに妾の子供たちも多数おり、一緒に養育したという。
- この正義の子供もそれぞれ政財界で活躍したため、閨閥を形成するに至っている。
- 【長男 松方巌】:十五銀行頭取
- 【次男 松方正作】:岩崎財閥の岩崎彌之助の娘婿。外務書記官、特命全権公使、猪苗代水力電気取締役。
- 【三男 松方幸次郎】:旧三田藩主九鬼家(九鬼宗家)の九鬼隆義の娘好子の婿。川崎重工業の前身川崎造船所の社長を務めた人物で、この幸次郎の収集した美術品は「松方コレクション」と呼ばれている。
- 【四男 松方正雄】:ペンシルベニア大学でアメフト選手。帰国後は関西財界で活躍した。日本放送協会関西支部(JOBK:現NHK大阪放送局)理事長、浪速銀行頭取、阪神タイガースの前身大阪野球倶楽部の初代会長。日本職業野球連盟の副総裁。
- 【五男 松方五郎】:東海生命創立者の一人。東京瓦斯電気工業社長、東京自動車工業(現・日野自動車)社長
- 【八男 松方乙彦】:東京コークス販売、東洋精糖、東京瓦斯、大安生命保険などの重役。日本活動写真(日活)社長。嫁は山本権兵衛(海軍大将、総理大臣)の娘。女子フィギュアスケートの八木沼純子はひ孫。
- 【九男 松方正熊】:帝国製糖社長、十勝鉄道会長。娘のハルは、駐日アメリカ大使ライシャワーの夫人となった。旧松方正熊邸はのち、ハルの実姉である松方種子の創立した西町インターナショナルスクールとなっている。
- これら子孫は現在600人を超え、「海東会」という一族会を形成している。名称は正義の雅号海東にちなむ。
関連項目
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