三好正宗


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 三好正宗(みよしまさむね)

短刀
銘 正宗
名物 三好正宗
八寸三分

  • 享保名物帳所載(ヤケ)

    三好正宗 長八寸三分 不知代 御物
    三好修理大夫殿光刹取次にて、金十六枚に求め子息修理大夫へ伝ふ、信長公へ上る、幽斎拝領三斎老へ伝へ佐々内蔵助三千貫に所望す、不同心なり長正寺殿へ上る、秀吉公へ上る、利家卿拝領利長卿へ伝り家康公へ上る。

  • 平造り、鋩子は尖り反り深い。中心うぶで正宗二字銘。
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 由来

  • 三好長慶の所持にちなむ。

 来歴

 三好長慶

  • もとは三好長慶(修理大夫)所持で、本阿弥光刹(本阿弥8代、1581年没)から金十六枚にて購入したという。
    越後三島郷の三島典膳が鎌倉に行って造らせたものという伝説がある。

 信長

  • 三好長慶から子の左京大夫三好義継に伝わり、信長に献上している。

 細川幽斎→忠興

  • 信長より細川幽斎が拝領し、子の忠興に伝わる。このとき佐々成政が三千貫で購入しようとしたが断られたという。

 秀次→秀吉

  • その後豊臣秀次(長正寺殿)に献上され、さらに秀吉に献上される。

 前田利家

  • 慶長3年(1598年)の秀吉死後、御遺物として、前田利家に形見分けされた。

    大納言利家 三好正宗 金子三百枚

    • 前田利家には三好正宗と金三百枚
  • 「大納言様(利家)御ひざう之御こし物共」

    一、みよし正宗、御わきざし。上様より御拝領

  • 利家が参内するときに本刀を差して秀頼と同車し、また諸大名の年賀の挨拶を受ときにもこの正宗を差し、秀頼を抱いて受けたという。

 家康

  • のち子の利長へ伝わり、家康に献上されている。

 秀忠

  • 秀忠もこれを秘蔵第一とし、京都の本阿弥光瑳に研ぎに出している。この時名人とされた本阿弥光瑳は持病のため江戸へ行けなかったため、後藤縫殿助に腰物係をつけ、持って京都に研ぎに行かせている。本阿弥では、下砥ぎから水仕立てまでを光由、拭いを光瑳、磨きを本阿弥光甫と分担して仕上げている。

 家光

  • 元和9年(1623年)8月、家光が将軍宣下を受けた際に贈ったという。

    六日將軍宣下御拝賀とて御参内あるにより。(中略)
    又御座所にて 兩御所御對面あり。 御所より御纉緒の御謝とて。金百枚。時服五十。長光の御太刀進めらる。御雑煑吸物参り。三献の御祝あり。初献のとき 大御所より不動國行の御刀。三好正宗の御さしぞへ引せ給ひ。饗宴終わりて伏見へ還御ならせ給ふ。

  • その後明暦の火災で焼身となっている。
  • 本阿弥光瑳名物刀記

    朱 三好正宗 八寸三分

    朱点は光山による追記で、焼失を示す。

  • 明治の刀剣鑑定家今村長賀が「三好正宗と鞘書あり平造りにて反のある貞宗形の出忠無銘穴二つあり云々」と実見した後、行方がわからない。

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