本阿弥光瑳名物刀記
本阿弥光瑳名物刀記
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概要
- 前田利常の求めにより、本阿弥光瑳が名物の名前と寸尺を記し、献上したもの。
- のち本阿弥光山が追記を行った。
小松様(前田利常)御意ニテ同名光瑳相認上ゲ申候ヲ、御拝領被成候ト慥ニ存候。其ノ故ハ光瑳手前ヘヨビ、銘尽ナド爲書候者御座候キ。同筆ニテ候、光瑳ヨキ太刀刀ワキサシ共書アツメ候、マキモノドモノ内如此之モ御座候。赤ヲシルシ仕候ハ焼失ヲ能承候分ニ候、テンカケ候ハ唯今ニ御座候分ニ候。其外ハ如何成候モ存不申候。但シ追テ知レ可申ト存候。重テ可申上候。 以上
宝永二乙酉年七月廿一日 本阿弥光山(花押)
光山追記の朱点は焼失分、黒点は現存を示す。
本阿弥光瑳は寛永14年(1637年)没。宝永2年は1705年。
注意事項
- 本名物刀記が書き上げられた年代は、本阿弥光瑳の没年齢である寛永14年(1637年)より前となる。
- 所載刀剣の移動状況を鑑みると、恐らく元和6年(1620年)~寛永12年(1635年)ごろのものと思われるが、大名家により数年のブレがあるように思われる。そのため、一部矛盾している箇所が見受けられる。
- つまり、歴史上のある瞬間の完全な所持状況ということではなく、この時期に本阿弥家が把握していた各大名家ごとの状況に過ぎない。
- 記載順は元文書とは異なり、将軍家、御三家及び親族、外様、譜代と大まかに並べた。
将軍家
将軍家
御物(将軍家)
朱 不動国行 ヒ 一尺九寸九分 ○
朱 骨食長刀直シ 一尺九寸九分 ○
朱 三好江 シノキ 磨上二尺二寸八分
朱 北野紀新太夫 シノキ 二尺六寸 四分
朱 江雪正宗 シノキ 二尺六寸三分
朱 三好左文字 ヒ 義元共申 磨上二尺二寸一分半
正宗 シノキ 磨上二尺三寸四分
黒 南泉一文字 シノキ 磨上二尺三分 ○
朱 江 ヒ 本多上野殿より上ル 磨上二尺三寸はかり ※上野江
※闕所道具として没収されたのは元和8年(1622年)
切刃貞宗 磨上二尺四寸はかり
黒 鬼丸国綱 シノキ 二尺五寸七分
朱 大国綱 ヒ 二尺七寸七分
朱 豊後藤四郎 九寸六分
朱 新身藤四郎 九寸五分
朱 三好正宗 八寸三分
朱 大内正宗 九寸
※寛永6年(1629年)拝領、寛永21年(1644年)献上
朱 岐阜国吉 八寸四五分はかり
黒 玄旨貞宗 無銘 一尺二分 ○
黒 當麻 ウクビ 九寸はかり
黒 奈良屋貞宗 無銘 九寸七分 ○
※秀忠より拝領したのは元和9年(1623年)2月
貞宗 ヒ 無銘 磨上二尺四寸はかり
黒 江 中川宮内 ○ ※中川江か
光忠 ヒ 二尺一寸三分はかり
家康(大御所)
相国様御物之内(家康)
黒 大垣正宗 二筋樋 磨上二尺一寸はかり ○
黒 毛利正宗 シノキ 磨上二尺二寸はかり
武部内匠正宗 八寸二分はかり ※建部正宗か
建部内匠貞宗 無銘 一尺はかり ※建部貞宗か
生駒讃岐来国光 九寸はかり ※駿府御分物刀剣元帳の中之御脇指
右六腰は何方へ被遣候を不存候。光室願上候は者相尋可申上候
御三家・将軍家親族
越前宰相結城秀康
越前宰相殿(結城秀康)
黒 稲葉江 ヒ 磨上二尺三寸四分 ○
黒 大坂貞宗 ヒ 磨上二尺三寸二分
朱 安宅貞宗 キリハ 磨上二尺一寸五分
黒 石田正宗 シノキ 磨上二尺二寸はかり ○
黒 敦賀正宗 シノキ 磨上二尺三寸はかり ○
黒 吉光 八寸四五分はかり ※増田藤四郎か
朱 国行 一尺
黒 氏家貞宗 無銘 一尺五分半 ○
- ※家康の次男。秀吉の養子、次いで下総結城氏の養子。結城宰相、越前黄門、越前宰相。慶長12年(1607年)死去。
上総介松平忠輝
上総
守 殿(松平忠輝)
黒 榊原正宗 ヒ 磨上二尺二寸七八分はかり
※長から「式部榊原正宗(式部正宗)」のことだと思われる。
黒 波およぎ兼光 シノキニクリカラ 磨上二尺一寸七八分 ○
- ※家康の六男。越後高田藩主となるが、家康の死後に兄・秀忠より改易を命じられ伊勢国朝熊に流罪とされた。
尾張家
尾張中納言殿
朱 吉光 ヒ 二尺三寸五分
※一期一振ではないかと思われるが長さが一致しない
黒 会津正宗 ヒ 磨上二尺一寸五分
※蒲生からの献上は秀行没後の慶長17年(1612年)だと思われるが、不明
朱 西方江 ヒ 磨上二尺三寸
※家光への献上は慶安3年(1650年)
黒 鳥養国俊 ヒ 二尺四寸五分はかり ○
※駿府御分物
黒 鍋島江 シノキ 磨上二尺三寸はかり
※駿府御分物。家光への献上は寛永13年(1636年)
黒 吉見左文字 シノキ 磨上二尺一寸はかり ○
道二左文字 ヒ 磨上二尺二寸はかり
朱 御賀丸久国 シノキ 二尺五寸はかり
黒 岡山藤四郎 八寸五分 ○
黒 不動正宗 八寸二分 ○
※秀忠より拝領したのは寛永2年(1625年)
朱 増田来国次 八寸九分
黒 清水藤四郎 七寸五分 ○
※秀忠への献上は寛永2年(1625年)
黒 金森藤四郎 無銘 八寸三四寸はかり ※金森正宗か
光包 無銘 八寸五分はかり ※桑山光包か
紀州家
紀伊中納言殿
黒 本城正宗 シノキ 磨上二尺一寸四分 ○
※家綱への献上は寛文7年(1667年)
朱 江 シノキ 加藤肥後守殿より 磨上二尺四寸六分
黒 池田光忠 ヒ 一尺九寸三分
朱 大左文字 ヒ 磨上二尺四寸はかり
朱 庖丁藤四郎 八寸六分
黒 九鬼正宗 無銘 八寸一分半 ○
※伊予西条松平家への分与前
黒 前田貞宗 無銘 一尺六分半 ※前田家「切刃貞宗」 か?寛永17年家光献上
黒 鳥養国次 七寸九分 ○
※秀忠に献上したのは元和10年(1624年)正月
光包 無銘 九寸四五分はかり
嶋津国次 九寸はかり
水戸家
水戸少将殿
黒 このてかしは包永 シノキ 磨上二尺二寸八分 ○
黒 ほり瓦正宗 九寸はかり ※堀尾正宗か
無銘正宗 八分七八分はかり ※道意正宗か
黒 桑名正宗 ヒ 磨上二尺二寸八分
※光圀から家綱への献上は寛文元年(1661年)
光包 ワキサシ 二腰
外様
佐竹
佐竹殿(佐竹義宣)
新藤五 きりは 八寸六分はかり
長光 ヒ 二尺ニ寸はかり
上杉家
米沢中納言殿
朱 青屋長光 シノキ 二尺四寸
丹羽長重
丹羽侍従殿(丹羽長重)
吉光 八寸五分はかり
加藤左馬
加藤左馬殿(加藤嘉明)
行光 無銘拝領 九寸三四分
仙台伊達家
仙台宰相殿(伊達政宗)
朱 しのき藤四郎 八寸七分
※家光への献上は寛永13年(1636年)
正宗 シノキ無銘 刀ほそし 二尺三寸五六分 ※池田正宗か
黒 別所貞宗
※秀忠より政宗が拝領したのは元和3年(1617年)。のち秀忠献上
蒲生家
絵津侍従殿(蒲生秀行)
黒 鐁切長光 一尺九寸五分 ○
※家光への献上は寛永元年(1624年)
正宗 わきさし中ノ出来ノ由 ※会津正宗か
黒 ながたな正宗 すかし有
真田信之
真田伊豆守殿(真田信之)
吉光 八寸七八分はかり
包永 シノキ 二尺ニ寸七八分
前田孫四郎
前田孫四郎殿(前田利政?)
来国次 ヒ 磨上二尺ニ寸四五分はかり
来国次 長刀直シ二尺ニ寸はかり
黒 吉光 八寸三分 ○
黒 切刃来国俊 クリカラアリ 八寸七八分はかり
京極高知
丹後侍従殿(京極高知)
黒 一庵正宗 無銘 八寸二分
- ※横浜一庵(桑山一庵法印良慶)所持、のち秀吉から京極高知。のち将軍家
若狭侍従
森家
美作侍従殿(森忠政)
黒 愛染国俊 九寸五分
備前岡山池田家
備前侍従殿(池田忠雄)
朱 蜂屋江 ヒ 磨上二尺二寸三分
正宗 磨上二尺三寸はかり
黒 毛利藤四郎 八寸三分
長銘貞宗 一尺はかり
棒樋正宗 無銘 八寸三分はかり
無銘貞宗 九寸はかり
- ※のち、長男・光仲は幼少を理由に因州鳥取藩へと転封となる。
因州鳥取池田家
松平新太郎殿(池田光政)
黒 大包平 二尺九寸四分 ○
黒 若狭正宗 ヒ 磨上二尺二寸五分
吉光 八寸七分
黒 うくひ来国光 九寸三分はかり ※後藤来国光か
- ※のちの備前岡山藩主家。池田忠雄の死後に因州鳥取と備前岡山が入れ替えとなる。
池田長吉
池田備中守殿(池田長吉)
黒 正宗 ヒ 磨上二尺二寸ニ分 ※池田正宗か
※池田長吉は慶長12年(1607年)に金象嵌、慶長19年(1614年)死去
浅野家
福島左衛門大夫
福嶋左衛門大夫殿(福島正則)
正宗 ヒ 磨上二尺二寸八分はかり ※福島正宗か
正宗 シノキ 磨上二尺二寸七八分
江 シノキ 磨上二尺三寸はかり
貞宗 きりは 磨上二尺三寸五分はかり
黒 光忠 ヒ 磨上二尺三寸八分 ※福島光忠か
朱 大森藤四郎 八寸四五分はかり
曽谷藤四郎 八寸一二分はかり
黒 なつか藤四郎 八寸三分はかり ※岩切長束藤四郎
朱 青木来国次 九寸四分半
切刃貞宗 無銘 九寸はかり
無銘左文字 九寸はかり
正宗 無銘 八寸三分はかり
福島兵部少輔
福嶋兵部殿(福島正鎮?)
正宗 八寸はかり
- ※正則の弟である福島長則の三男・福島正鎮か?
戸川達安
毛利家
細川家
豊前宰相殿(細川忠利)
當麻 シノキ 磨上二尺三寸はかり
来国次 八寸七八分はかり
吉光 但内記殿ニ候歟 八寸三分はかり ※長岡藤四郎か
細川忠興
細川三斎老(細川忠興)
左文字 ウクビ 八寸五分はかり
黒田家
黒田筑前守殿(黒田忠之)
黒 岡本正宗 八寸七分 ○
則重 此以前秋田殿ニ有 八寸六分
黒 志津 前稲葉蔵人 ○ ※稲葉志津か
吉光 八寸三分はかり ※博多藤四郎か
左文字 八寸三分はかり ※小夜左文字か
二字国俊 ヒ 二尺三寸はかり
加藤忠広
加藤肥後守殿(加藤忠広)
正宗 シノキ 長刀直シ二尺一寸一分
本国次 シノキ 磨上二尺三寸はかり
行光 シノキ 磨上二尺三寸はかり
黒 吉光 八寸はかり
桑山元晴
桑山伊賀守殿(桑山元晴)
黒 光包 無銘 九寸
黒 当麻 同(無銘) 八寸三分はかり
佐野修理
佐野修理殿(佐野信吉)
黒 鉈切当麻 長刀直シ一尺三寸一分
- ※富田一白の五男。佐野房綱の養嗣子となって佐野政綱と名を改め、佐野氏の家督を継ぐ。後年、秀吉より「吉」字の偏諱を受け信吉と改めた。
島津
- ※島津義久は島津氏第16代当主。家久の長兄で慶長7年(1602年)に隠居。慶長16年(1611年)病死。
- ※島津光久は薩摩藩2代藩主。寛永15年(1638年)に家久死去で家督相続。
島津忠恒
薩摩少将殿(島津家久(忠恒))
貞宗 ヒ 江戸にて御成の時新身藤四郎と一度ニ上リ御内の刀拝領 磨上二尺三寸あまり
鷹のすこかち 一尺四寸はかりか ※鷹の巣宗近
長銘貞宗 一尺はかり
譜代
本多出羽守(正勝)
本多出羽守殿(本多正勝)
長銘貞宗 一尺はかり
- ※本多正純の嫡男
本多大隅守(忠純)
- ※本多正信の三男
松平下総守(忠明)
本多下総守殿(本多忠明)
行平 ヒ 二尺六寸はかり
貞宗 ヒ 磨上二尺三寸はかり
左文字 ヒ 磨上二尺三寸はかり
黒 当麻 無銘 八寸七分
- ※奥平信昌の四男。家康の外孫にあたるため別家を建てられ奥平松平家の祖となった。
松平右衛門佐(正綱)
松平右衛門佐殿(松平正綱)
志津 シノキ 磨上二尺二寸七八分
来国光 九寸はかり
左文字 ワキサシ但無銘
- ※大河内秀綱の次男。長沢松平家分家の松平正次の養子となって松平姓を称した。
土井利勝
土井大炊助殿(土井利勝) ※大炊助ではなく正しくは大炊頭
左文字 シノキ 磨上二尺二寸八分はかり
吉光 八寸五六分はかり
正宗 無銘 八寸七八分はかり
貞宗 無銘 一尺二三分はかり
黒 吉光 後藤庄左衛門より
無銘来国次 前御手前ニ御座候つる
来国次 八寸五六分計
光包 八寸七八分はかり
守家 刀シノキ 二尺ニ寸七八分はかり
貞宗 刀ヒ ニ尺三分はかり
井上主計頭
永井信濃
永井信濃殿(永井尚政)
貞宗 一尺三寸はかり
成瀬隼人正
成瀬隼人殿(井上正就)
左文字 ヒ 磨上二尺はかり
その他諸家
後藤庄三郎家
後藤庄右衛門尉殿(後藤庄三郎か)
黒 正宗 ヒ 磨上二尺三寸はかり
正宗 シノキ 磨上二尺二寸七八分 ※後藤正宗か
正宗 無銘 八寸二三分はかり
行光 九寸はかり ※後藤行光か
左文字 シノキ 磨上二尺三寸はかり
茶屋四郎次郎
茶屋四郎次郎殿
正宗 ホソシ 八寸二分
関連項目
- にっかり青江
- 一庵正宗
- 一期一振
- 三好正宗
- 三好江
- 上野江
- 不動国行
- 不動正宗
- 中務正宗
- 中川江
- 九鬼正宗
- 二筋樋貞宗
- 享保名物帳
- 京極高次
- 伊達政宗
- 会津正宗
- 倶利伽羅正宗
- 光忠
- 児手柏
- 切刃貞宗
- 別所貞宗
- 則重
- 前田利常
- 前田利政
- 加藤清正
- 南泉一文字
- 博多藤四郎
- 厚藤四郎
- 吉光
- 吉見左文字
- 名物
- 和歌山正宗
- 国俊
- 堀尾正宗
- 増田来国次
- 増田藤四郎
- 大内正宗
- 大包平
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- 大垣正宗
- 大左文字
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- 太刀
- 奈良屋貞宗
- 安宅貞宗
- 富田一白
- 小夜左文字
- 岐阜国吉
- 岡山藤四郎
- 岡本正宗
- 岩切
- 岩切藤四郎
- 庖丁正宗
- 庖丁藤四郎
- 建部光重
- 式部正宗
- 後藤庄三郎
- 後藤来国光
- 後藤正宗
- 後藤行光
- 御物
- 御賀丸久国
- 愛染国俊
- 成瀬隼人正
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- 景光
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- 桑山光包
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- 正宗
- 武家官位
- 毛利正宗
- 毛利秀元
- 毛利藤四郎
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- 池田忠雄
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- 池田貞宗
- 波泳ぎ兼光
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- 清水藤四郎
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- 福島光忠
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- 福島正宗
- 稲葉志津
- 稲葉郷
- 細川忠興
- 結城秀康
- 義元左文字
- 肥後江
- 若狭正宗
- 若狭貞宗
- 蔵人
- 蜂屋江
- 行光
- 行平
- 西方江
- 豊後藤四郎
- 貞宗
- 道意正宗
- 金森正宗
- 鉈切当麻
- 鉋切長光
- 銘尽
- 鍋島江
- 鎬藤四郎
- 長光
- 長岡藤四郎
- 長銘貞宗
- 闕所
- 青屋長光
- 青木来国次
- 駿府御分物刀剣元帳
- 骨喰藤四郎
- 鬼丸国綱
- 鳥飼来国次
- 鳥養国俊
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