将軍家御腰物台帳
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将軍家御腰物台帳
- 徳川将軍家に伝来した刀剣の台帳。
- とくに4代将軍徳川家綱以降の履歴や差料が載っている。また移動履歴については昭和初期の売却歴などについても追記されている。
Table of Contents |
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作業中。随時更新します。
・なお似た内容のものに「御腰物元帳」(佐野美術館所蔵)がありますが、異動があるようなので別項としました。
・個別項目のある名物刀については齟齬の出る恐れがあるためこちらでは記しません。各項目を参照のこと。
・なお似た内容のものに「御腰物元帳」(佐野美術館所蔵)がありますが、異動があるようなので別項としました。
・個別項目のある名物刀については齟齬の出る恐れがあるためこちらでは記しません。各項目を参照のこと。
将軍家御腰物台帳
37~御祝御蔵道具、60~御祝儀御蔵御道具だが、連番で振られているためここでもそれに倣うものとする。
- 本庄正宗
- 若狭正宗
- 備前長光 御刀:備前長船住長光/嘉元二年十一月日 八幡大菩薩。家康所用。紀州頼宣袴着の時に家康より拝領。吉宗が江戸城に持ち込み。家重袴着の時に贈った。昭和14年(1939年)2月22日重要美術品認定。徳川家正公爵所持。※御代々様御譲に再掲
- 来国光 御刀:天和3年(1683年)6月18日稲葉正則隠居挨拶時に献上(実紀では”吉光小脇差”)。昭和14年(1939年)1月11日重要美術品認定
- 朝倉藤四郎
- 鍋島藤四郎
- 朱銘藤四郎
- 会津正宗
- 中務正宗
- 金森正宗
- 宗瑞正宗
- 鍋島江
- 中川江
- 五月雨江
- 切刃貞宗
- 亀甲貞宗
- 三日月宗近
- 堺志津
- 上部当麻
- 乱光包
- 鉋切長光
- 会津新藤五
- 紅葉山信国
- 天国 御脇差:天明8年(1788年)10月22日献上。家重側室の安祥院(お遊喜の方)付きの伊賀者・菰田(喜多村)伴次郎先祖の喜多村出羽守が家康より拝領したという。
喜多村出羽守は本能寺の変後に家康が伊賀越をした際にこの喜多村の領地を通過することを許可しており、恐らくその礼として贈ったものと思われる。なお喜多村出羽守は光秀の娘を嫁にしていたという説、あるいは光秀が喜多村保光の娘・伏屋姫を後妻にしていたという説がある。喜多村出羽守は服部氏の出ともいい、柘植城主あるいは名張城主ともいうが詳細は不明。
幕臣に蓑笠之助(服部正尚)の後裔という者がおり、蓑家の寛政重脩諸家譜にもこの喜多村出羽守の逸話が登場する。また天明8年の献上時に提出したと思われる文書も残っている。 - 象嵌銘正宗:2尺4寸。金三百枚。享保6年(1721年)6月島津吉貴が致仕挨拶時に献上。
松平大隅守継豊襲封を謝し。備前元重の太刀。時服十。銀千枚を獻ず。父上総介吉貴よりも致仕を謝し。正宗の刀。鶴首といふ茶入奉る。
- 疱瘡正宗:2尺2寸5分
- 無銘正宗:寛永9年(1632年)11月浅野光晟献上(長晟遺物)。昭和14年(1939年)2月22日重要美術品認定、昭和19年(1944年)徳川美術館寄贈。
→「倶利伽羅正宗」と同物のことを言っているようだが来歴としてかなり矛盾がある。 - 象嵌銘正宗:正徳元年(1711年)9月28日黒田宣政献上(黒田綱政遺物)
- 無銘正宗 御脇差:享保6年(1721年)4月15日松平浅五郎献上(松平宣富遺物)
松平浅五郎は美作津山藩2代藩主。父の急死により6歳で家督を継ぐが、享保11年(1726年)に死去、享年11。嗣子がなく断絶のところを結城秀康以来の家柄を考慮され、従弟の又三郎を跡継ぎとして存続する。しかし石高は10万石から5万石へと半減された。7代藩主・斉孝の運動により、将軍家斉14男・銀之助(後の斉民)を養嗣子として迎えることで10万石に復した。 - 吉光 御脇指:宝暦6年(1756年)11月23日御立ち寄り時に堀田正亮献上
- 神息 御脇指:本阿弥光温遺物
- 長円 御脇指:銘鶴亀、勝軍地蔵、千秋万歳。元は綱吉の所持で、その子・徳松に与えていた。それを徳松付きであった美濃青野藩主・稲葉正休が献上(請取)。のち天和4年(1684年)正休は江戸城中で堀田正俊を刺殺し、自らも同席していた老中らに滅多斬りにされて殺され、稲葉家は改易処分となった。享年45。
- 千秋万歳長円 御脇指:家宣次男・徳川家千代の七夜に本阿弥光常献上
- 備前信房:安政4年(1857年)11月28日島津斉彬献上(実紀では同月16日)。斉彬は養女敬子を近衛家の養女として家定の正室に送り込んでいた。この時に越中国次脇差、拵付き短刀および鯛一折も献上している。明治34年(1901年)に皇太子殿下(大正天皇)が行啓の際に内献上。
- 定利 御脇差:文久3年(1863年)5月24日家茂上洛時に東本願寺献上。※実紀4月4日の献上とは別
- 一文字 御刀:慶安3年(1650年)11月25日家光より長松(後の家重)に。
- 相州貞宗 御脇差:元禄15年(1702年)11月12日甲府宰相綱吉の桜田邸に綱吉が御成になった際に観世正宗と光包差添えを拝領する。それに対して郷義弘の刀と本刀を献上したもの。
※37より御祝御蔵道具 - 行平:正徳3年(1713年)3月26日に家継の元服式を行った際に加冠役を務めた井伊直興(直該)が長利の太刀、正宗の脇差を賜ったのに対して、国吉の太刀と共に献上したもの。
- 新藤五国光 御刀:享保10年(1725年)4月9日家重元服時に加冠役を務めた井伊直惟が献上。この時、直惟は病身を理由に一度固辞している。のち享保20年(1735年)5月に病気療養を理由として家督を弟・直定へ譲り江戸を去った。翌年6月4日、37歳で死去
- 来国光 御脇差:元文2年(1737年)5月に生まれた家治が、10月15日にお色直しで紅葉山に参詣した帰りに、西の丸にいた祖父・吉宗を訪ねて本刀を献上した。
- 包永 御刀:元文4年(1739年)11月朔日家治3歳で髪置きの儀式の際に、家重より贈られたもの。本刀のほか、左国弘の差添えも共に贈っている。昭和14年(1939年)2月22日重要美術品認定。
- 来国光 御脇差:隠居した吉宗が延享2年(1745年)10月19日に家重に贈ったもの。本刀のほか、志津の刀を贈っている。
- 二字国俊 御刀:明和元年(1764年)11月4日家治長男の竹千代(徳川家基)が髪置きの儀式の際に吉宗から家治へ贈られたもの。
- 青江貞次 御脇指:1つ上の二字国俊と同じ時に贈ったもの。
- 兼見 御刀:明和2年(1765年)12月朔日家治長男・竹千代に諱「家基」を与えた際に、家基より家治に献上したもの。
- 相州則長 金象嵌銘:安永2年(1773年)10月9日豊千代(家斉)の七夜の儀で家基より家斉へ贈られたもの。
- 大和則長 御刀:安永3年(1774年)3月13日豊千代(家斉)が初めて紅葉山に詣でた際に家治より贈られたもの。昭和14年(1939年)2月25日重要美術品認定。
- 一文字 御刀 象嵌銘:
・宝暦3年(1753年)3月25日竹千代(家治)が17歳で髪結の儀式の際に家重より家治に贈られたもの。
・安永7年(1778年)4月11日家治長男・竹千代(徳川家基)6歳で髪結の儀式の際に家治より家基に贈られたもの。 - 来国光 御脇差:天明2年(1782年)4月3日家斉の加冠・元服の儀式の際に加冠役を務めた井伊直幸が備前守次と本刀を献上したもの。この時直幸は光忠の太刀および則重差添えを拝領している。
- 宇多国久 御脇差:寛政5年(1793年)5月21日敏次郎(家慶)の七夜の祝儀で長兄竹千代(孝順院、早世)より敏次郎(家慶)に贈られたもの。
- 相模行光 朱銘
- 青江直次
- 長谷部国重
- 二字国俊 御刀
- 備前助真
- 吉岡一文字
- 来国俊
- 備前吉包
- 延寿国吉
- 信国 脇差
※60より御祝儀御蔵御道具 - 備前元重
- 末左弘行
- 備前景光
- 守光 脇差
- 清近
- 重国
- 直綱
- 高田友行
- 宇津国宗
- 信国
- 高田時行
- 祐定
- 盛光
- 兼定:亀井豊前守献上
- 国久
- 備前師光
- 盛重
- 信国
- 備前長光
- 備前弘利
- 青江次頼
- 肥後延寿国元
- 来国光
- 来国光
- 備前祐定
- 越中国次
- 骨喰藤四郎
- 大和介平行安:元治元年(1864年)2月14日島津久光献上。
- 備前利光:元治元年(1864年)3月16日東本願寺献上。
- 相模守政常入道:元治元年(1864年)6月21日尾張元千代(義宣)内献上。昭和14年(1939年)2月23日重要美術品認定。
- 不動国行:「紀伊殿より被進。明治二巳年七月、東京より来候。焼直し」
- 山城来国行:慶応元年(1865年)閏5月11日名古屋城に宿泊時に徳川元千代(義宣)献上。明治33年(1900年)有栖川宮威仁親王より馬車を贈られたのに対して本刀を贈っている。
- 長谷部国重:慶応元年(1865年)閏5月11日名古屋城に宿泊時に徳川慶勝献上。昭和13年(1938年)中央刀剣会に譲渡。
- 南紀重国:慶応元年(1865年)8月6日大坂城にて徳川茂承が将軍家茂に献上。
御代々御差御道具
- 来国光 御刀:安藤重博献上(祖父・安藤重長遺物)。家綱差料。
- 備前助真 御太刀:綱吉差料。慶安5年(1652年)6月3日蜂須賀光隆献上(父・蜂須賀忠英の遺物として)。※ただし実紀及び寛政重脩諸家譜では本刀ではなく相州貞宗、来国次脇差、青木肩衝茶入となっており疑義が付けられている。
- 備前近景 御太刀:明暦2年(1656年)5月15日山崎俊家の子・山崎治頼が献上。実は父が死去したのは慶安4年(1651年)10月で当時治頼は2歳だった。明暦2年に挨拶しこれを献上するが、翌年3月6日に8歳で死去。讃岐丸亀藩山崎家は無嗣断絶により改易となった。跡には播磨龍野藩だった京極高和が6万石で入った。
- 信国 (脇指):武蔵岡部藩の安部信之は延宝6年(1678年)4月に老衰を理由に致仕を願い出、許されたため同月11日に挨拶し本刀を献上した。
- 大和包永 御刀:神田御殿時代(1657-1680)に綱吉差料。
- 信国 御脇指:神田御殿時代(1657-1680)に綱吉差料。
- 吉光 御懐剣:正保元年(1644年)5月24日家光より、甲府宰相綱重が誕生した際に贈られたもの。のち家宣の差料となった。
- 備前師光 御刀:天和2年(1682年)お買上げ。
- 則光 御刀:元禄12年(1699年)お買上げ。
- 相州広正 御刀:元禄13年(1700年)お買上げ。
- 濃州兼定 御刀:元禄14年(1701年)お買上げ。
- 水田国重 御陣刀:
- 関兼延 御陣刀:
- 新藤五国光 御脇差:元禄15年(1702年)お買上げ。家継差料。明治4年(1871年)正月23日村田新八に下賜。
西郷は戊辰戦争の終結後に正三位に叙せられるも(初期の)征韓論などで新政府に見切りをつけ、位階を返上した上で明治3年(1870年)に一度鹿児島へと戻っている。さらに同年7月横山安武の自刃に衝撃を受け薩摩藩士の帰薩を促し始めた。これに危機感を抱いた新政府は同年12月岩倉具視や大久保利通が出仕を促すために勅使として派遣され西郷を説得した。この時、西郷は村田新八を京都などに派遣して動向を探らせている。村田は静岡の徳川慶喜の元にも訪れており、その際に拝領したという。欧州視察より帰国した西郷従道の説得もあり、翌明治4年(1871年)西郷は上京することになる。しかし岩倉や大久保らの使節団が欧州に出発すると再び政府内で様々な論争が起こり、やがて明治六年政変で西郷は下野し鹿児島へと戻ることになる。 - 濃州志津 御脇差:宝永2年(1705年)10月15日水戸頼房の五男で常陸府中藩主の松平頼隆が隠居御礼時に献上。実紀では行光。
- (欠文)
- (欠文)
- 新藤五国光 御脇差:宝永6年(1709年)7月3日家宣の子・鍋松(後の家継)誕生時に父・家宣が贈ったもの。
- 則房 御太刀 近衛殿上:正徳3年(1713年)3月に家継が7代将軍となったのち、6月28日には父・家宣の正室・近衛熙子の父で関白太政大臣の近衛基熙が江戸に下向し将軍に太刀などを献上している。このときの太刀と推定されている。
- 景光 御刀:お買上げ品。
- 吉房 鞘巻太刀 清凌院より被進:清凌院は清揚院(家重)の誤記とされる。
これ以降は恐らく「上覧御名物御道具書留」が出典になっていると思われる。しかし抜けがあるため、個々の抜けについては※で抜けと思わしき箇所に追記し、さらに大脱落分については「上覧御名物御道具書留」を元に後ろに補った。
権現様御指
- 「上覧御名物御道具書留」
是者此書面計奥江前広上ル 御代々御指之内より御譲并当御指ニ相成候分
厳有院様御差(4代家綱)
- 「上覧御名物御道具書留」
寛政二庚戌年三月八日 初度
- 「上覧御名物御道具書留」
是者此書面計奥江前広上ル 御代々御指之内より御譲并当御指ニ相成候分
常憲院様御差(5代綱吉)
- 「上覧御名物御道具書留」
寛政二庚戌年三月八日 初度
- (※下記脱落分2口助真・近景)
- 行光御装束下 朽木権左上
- (※下記脱落分1口信国)
- 備前兼光御刀 板倉修山上
- 左弘行御太刀 松平備前守上
- 来国光御刀 土屋相模守上
- 一文字御刀 松平右京大夫上
- 行光御脇指 柳沢兵部上
- 備前政光御刀 神田御殿ゟ御指
- ※大和包永 同断
- 政光御陣御刀 年号月日無
- 賀光御陣御脇指 同断
- 無銘 御小サ刀 同断
- ※信国御装束下 神田御殿ゟ御指
- 「上覧御名物御道具書留」
是者此書面計奥江前広上ル 御代々御指之内より御譲并当御指ニ相成候分
常憲院様御指(脱落分)
文昭院様御指(6代家宣)
- 「上覧御名物御道具書留」
(寛政二庚戌年)三月廿一日 二度目
- ※吉光御懐剣
- 備前吉房御陣御刀
- ※備前師光御刀 御買上
- 雲次御刀 年号月日無
- 備前盛景御脇指 御買上
- ※則光御刀 御買上
- ※相州広正御刀 御買上
- ※濃州兼定御刀 御買上
- 義弘御刀 三百枚
- 三条吉家御刀
- 延寿国資御脇指
- 左弘安御陣御脇指 松平美濃守上
- ※水田国重御陣御刀 年号月日無
- ※関兼延御陣御刀
- 「上覧御名物御道具書留」
是者此書面計奥江前広上ル 御代々御指之内より御譲并当御指ニ相成候分
有章院様御指(7代家継)
- 「上覧御名物御道具書留」
(寛政二庚戌年)三月廿一日 二度目
- 新藤五国光御少サ刀松平式部大輔上
- 備前長光御少サ刀 紀伊中将殿上
- ※新藤五国光御脇指 御買上
- ※濃州志津御脇指 松平播磨守上
- 来国俊御刀 毛利右京大夫上
- 貞宗御刀 百枚
- ※新藤五国光御脇指
- ※則房御太刀 近衛殿上
- ※景光御刀 御買上
御代々様御譲
- 「上覧御名物御道具書留」
寛政二庚戌年三月八日 初度
- 本庄正宗
- 若狭正宗
- 長光:紀州頼宣袴着の際に家康より拝領。吉宗が江戸城に持ち込み。※3番と同物。
- 来国光 御刀 年号月日無之:「大御所様」と札有
- 来国光 御刀:明暦3年(1657年)12月朔日、同年6月に死去した安藤重長の遺物として嫡孫承祖した安藤重博が献上
有徳院様御指(8代吉宗)
- 「上覧御名物御道具書留」
(寛政二庚戌年)四月六日 三度目
- 来国俊鞘巻御太刀
- 吉房御鞘巻御太刀
- 康継御太刀
- 国正御太刀
- 大和守安定御刀
- 安重御刀
- 粟田口広綱御刀
- 象嵌銘兼元御陣御刀 ※次と順序逆
- 無銘久光御刀 ※前と順序逆
- 康継御刀
- 国正御刀
- 康継作初風御刀
- 秋広御指添御刀
- 安代御刀
- 康継御刀
- 石堂御脇指
- 文殊御脇指
- 助真御少サ刀
- ※兼元御少サ刀
- ※盛光御陣御脇指
- 康継御脇指
- 無銘延寿国家(国泰)御脇指
- 「上覧御名物御道具書留」
是者此書面計奥江前広上ル 御代々御指之内より御譲并当御指ニ相成候分
- 來金道御刀
- 國正御脇指 此二腰者 浚明院様ゟ御譲、当御指ニ相成候
- 盛光御脇指 此者当御指ニ相成候
惇信院様御指(9代家重)
- 「上覧御名物御道具書留」
(寛政二庚戌年)四月六日 四度目
- 磨上無銘和州包利毛貫形御太刀
- 磨上無銘相州助広御刀
- 磨上無銘末左御脇指
- 重則御刀
浚明院様御指(10代家治)
- 「上覧御名物御道具書留」
(寛政二庚戌年)四月六日 四度目
- 無銘石州物御太刀
- 備前国綱毛貫形御太刀
- 備前国吉御鞘巻御太刀
- 備前守家御鞘巻御太刀
- 山内助綱御陣御刀
- 無銘長光御陣御刀
- 青江恒次御少サ刀 ※これが2つ前に入る
- 来国光御脇指
- 備前是光御少サ刀
- 宇津友光御少サ刀
- 信国御脇指
- 来国長御脇指
- 義景御脇指
- 来国俊御脇指
- 光長御脇指
孝恭院様御指(家治嫡子徳川家基)
- 「上覧御名物御道具書留」
(寛政二庚戌年)四月六日 四度目
- 宇津国久御少サ刀
- 友吉御少サ刀
- ※宇津国久御脇指
- 青江直次御刀
- 大兼道御脇指
- 来国年御脇指
御名物御道具
- 「上覧御名物御道具書留」
(寛政二庚戌年)四月廿四日 左之御道具
- 朝倉藤四郎
- 鍋島藤四郎
- 厚藤四郎
- 朱銘藤四郎
- 観世正宗
- 武蔵正宗
- 早川正宗
- 会津正宗
- 島津正宗
- 金森正宗
- 宗瑞正宗
- 小池正宗
- 鍋島江
- 中川江
- 五月雨江
- 三日月宗近
- 亀甲貞宗
- 堺志津
- 上部当麻
- 会津新藤五
- 鉋切長光
- 中務正宗
- 紅葉山信国
焼直し御道具
御名刀御道具
- 略
紅葉山御宝蔵に有之候御宝物
- 略
- 清和天皇より御譲(略)
関連項目
- 三日月宗近
- 三条吉家
- 上部当麻
- 不動国行
- 中務正宗
- 中川江
- 乱光包
- 亀甲貞宗
- 五月雨江
- 会津新藤五
- 会津正宗
- 信国
- 信房
- 倶利伽羅正宗
- 備前守家
- 元重
- 光忠
- 兼光
- 兼定
- 刀工
- 切刃貞宗
- 則重
- 助真
- 北野紀新大夫行平
- 千利休
- 南紀重国
- 厚藤四郎
- 吉光
- 吉房
- 名物
- 国俊
- 国吉
- 国綱
- 堺志津
- 大名物
- 大和守安定
- 太刀
- 宗瑞正宗
- 小池正宗
- 島津正宗
- 康継
- 御腰物元帳
- 徳川吉宗
- 徳川美術館
- 新藤五国光
- 早川正宗
- 景光
- 朝倉藤四郎
- 木下正宗
- 本庄正宗
- 本阿弥
- 本阿弥光温
- 朱銘藤四郎
- 来国光
- 来国次
- 来国行
- 松平宣富
- 桑山当麻
- 正宗
- 武蔵正宗
- 注連丸行平
- 疱瘡正宗
- 祐定
- 神息
- 粟田口
- 紅葉山信国
- 結城秀康
- 義元左文字
- 若狭正宗
- 菖蒲正宗
- 行光
- 行平
- 観世正宗
- 貞宗
- 近景
- 郷義弘
- 重要美術品
- 金森正宗
- 鉋切長光
- 鍋島江
- 鍋島藤四郎
- 長光
- 長谷部国重
- 長銘正宗
- 長銘貞宗
- 青江
- 青江恒次
- 骨喰藤四郎
- 鶴丸国永
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