熊野三所権現長光


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 熊野三所権現長光(くまのさんしょごんげんながみつ)

太刀
銘 熊野三所権現 長光
2尺4寸7分5厘(身長75.0cm 反り2.9cm 元幅3.0cm 先幅1.9cm 鋒長3.0cm 茎長21.2cm)
国宝
株式会社ブレストシーブ所蔵

  • 中心うぶ、表棟よりに「長光」二字銘。銘の上に「熊野三所権現」。
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 由来

  • 銘に「熊野三所権現」と彫られているため。
    • 長光が奉納するために鍛えたとされる。
  • 熊野三所権現とは、熊野三山である熊野本宮大社の家都御子大神(けつみこのおおかみ)家津美御子、須佐之男)、熊野速玉大社の速玉大神(はやたまのおおかみ)伊邪那岐)、熊野那智大社の夫須美大神(ふすみのおおかみ)伊邪那美)の主祭神三神をさす。

 来歴

 九鬼家→滝川一益→信長

  • 熊野地方豪族の九鬼家から滝川一益を経て信長に献上。

 秀吉→上杉景勝→将軍家

  • 秀吉から上杉景勝が貰い受けるが、関が原の合戦後に徳川将軍家に献上された。

 福知山藩朽木家

  • 享保2年(1717年)、寺社奉行兼奏者番の功をねぎらい、将軍吉宗が福知山藩2代藩主の朽木稙元に下賜したもの。

    (9月12日)御座所にめして賞行はる。豐後守正喬は延壽の御刀。寺社奉行兼し奏者番朽木民部少輔稙元は長光の御刀。

    朽木稙元は丹波福知山藩3万2千石の2代藩主。戦国期の朽木元綱は曽祖父にあたる。元綱三男の稙綱(従五位下、民部少輔)が将軍家光に重用され、のち別家を認められて丹波福知山藩を創設した。
     朽木家嫡流は元綱長男の宣綱が継いだ。なお宣綱は京極高吉の娘のマグダレナを正室としており、この繋がりで、宣綱の次男(京極)高通は叔父で養父の京極高知の跡を継ぎ、丹後峰山藩主となった。この高知流の峰山京極家は幕末まで存続している。

  • 本阿弥家による金8枚の折紙がついていた。本阿弥光林の取次で、「留帳」には疵が細かく記されている。のち13枚。
  • 以後、同家に伝来。

 細川利文

  • その後明治になって細川利文子爵家に移り、昭和6年(1931年)旧国宝指定を受けている。※明治末刊の「剣話録」でも朽木子爵家としている。相当末頃か。

    刀劔
    太刀 銘 熊野三所権現長光 一口
    東京府東京市新宿三丁目 子爵細川利文
    (昭和6年文部省告示第九號)

    細川利文は伯爵園基祥の子。慶応元年(1865年)生まれ。旧肥後新田藩主細川利永の養嗣子となる。明治天皇の子女である常宮昌子内親王および周宮房子内親王の御用掛、御歌所参候を務めた。昭和19年(1944年)没。「石灯籠切虎徹」も所持していた。
     新田藩は、寛文6年(1666年)熊本藩3代藩主細川綱利の弟利重が、熊本藩の蔵米より3万5千石を分与され立藩したもので、明治維新により慶応4年(1868年)に仮藩庁を高瀬町奉行所(玉名市)に置いたためのち高瀬藩と改称している。維新後に子爵に列せられた。

    園基祥─┬園基資
        ├細川利文(熊本新田藩細川利永の養子)──細川利寿─┬細川利康
        ├園周次                      └長岡護孝
        └園祥子
           ├───┬常宮昌子内親王(竹田宮恒久王妃)
         明治天皇  ├周宮房子内親王(北白川宮成久王妃)
               ├富美宮允子内親王(朝香宮鳩彦王妃)
               └泰宮聡子内親王(東久邇宮稔彦王妃)
    
  • 昭和23年(1948年)に売りに出され、個人蔵。
  • 昭和27年(1952年)11月22日に国宝指定。荒井八郎氏所持。
    • 昭和33年(1958年)も荒井氏
  • 昭和41年(1966年)には江原正一郎氏所持。
  • 現存。

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