伊勢左文字


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 伊勢左文字(いせさもんじ)


金象嵌 左文字
名物 伊勢左文字
二尺三寸五厘

 由来

  • 島津家の筆頭家老、伊勢兵部少輔所持にちなむ。

 来歴

 薩摩伊勢氏

  • 伊勢兵部少輔貞昌は島津家臣の有川貞真の子。父・有川貞真は、縁戚関係にある伊勢貞為の許しを得、兄の貞末ともども伊勢氏を名乗る。
    有川氏は池頼盛の後裔(池氏)を称する。この有川貞真が許しを得た伊勢貞為の子が、「小烏丸」に登場する伊勢貞衛になる。
  • その関係で、貞昌は有職故実家伊勢兵庫頭貞景(伊勢貞為)の養子となって「伊勢貞昌」と名乗り、伊勢貞知(伊勢七郎左衛門尉)より有職故実の伝授を受けている。
  • 伊勢貞昌は伊勢家の養子となった後も島津家に仕え、朝鮮の役にも従軍するなどの功を立てている。
  • 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの際には、西軍伊東家の重臣・稲津掃部祐信が島津方に攻撃をかけてきたため、貞昌はこの左文字を帯びて鎮圧に向かい、大功を立て、のち島津家の筆頭家老となっている。
  • 伊勢貞昌は寛永18年(1641年)江戸で没、享年72。嫡子の貞豊は寛永元年(1624年)に死んでおり嗣子がいなかったため、島津家久に願い出て十三男・貞昭を貰い受け跡を継がしている。
    この伊東家の重臣”稲津掃部祐信”なる人物は、名物薙刀「権藤鎮教」の逸話に登場する”稲津掃部助重政”と同一人物だと思われる。

 加賀前田家

  • 本刀がいつごろ伊勢家を出たのかは不明だが、正保3年(1646年)には加賀藩前田利常から本阿弥家に鑑定に出されており、七十五枚だったものが百三十枚へ上がっている。

 将軍家

  • 元禄15年(1702年)4月、将軍綱吉が前田邸に御成の際に世子吉徳から献上。

    (元禄十五年)四月二十六日(将軍綱吉が)父が邸にならせたまふのとき、長光の御太刀貞宗の御刀(略)をたまはる。吉徳もまた助長の太刀、左文字の刀(略)を献じ。
    (寛政重脩諸家譜)

  • その後火災にあい焼失した。

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