石黒久呂
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石黒久呂(いしぐろくろ)
日本の刀剣商
生涯
- 石川県金沢市十軒町で生まれるが、親に勘当されて京都に出、楠七兵衛の食客となったという。そこで刀剣修行をしたのか、のち刀剣商として「石黒商店」を構えた。
- 次弟の久治郎が金沢で古美術商を営んでいたという。
- 月の半分は東京で商いを行い、昭和10年(1935年)頃には全国屈指の刀剣商となる。
- 得意先として、中島喜代一、篠原三千郎、斎藤茂一郎などの大蒐集家を抱えていた。
- 信心深い人物で、白山比咩神社には月参りしていたという。
前田家から奉納の「白山吉光」の剣を所蔵する神社。
- 昭和26年(1951年)癌で病没。
童子切の話
- 石黒は中島喜代一の依頼を受けて松平家所蔵の名物「童子切安綱」を懇望するが戦前は売ってもらえなかった。しかし戦後になって松平子爵が十万円で売ってもいいということになり、石黒は大慌てで中島のところに行くが、中島は当時A級戦犯容疑を受けておりどうしても買うことができなかったという。
- 困った石黒は、本間順治を頼ることとなり、本間より玉利三之助を紹介してもらってようやく十万円を工面したという逸話が残っている。詳細は「童子切安綱」の項を参照のこと。
扱った刀剣
- 代表的なものでは次のような刀剣に名を残している。
- 中島喜代一氏をはじめとして、多くの愛刀家からの依頼を受けて刀剣を取り扱った。
所持刀剣
- 次の二口だけは、生涯誰にも譲らなかったという。
- その他
関連項目
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