沃懸地杏葉螺鈿太刀
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沃懸地杏葉螺鈿太刀(いかけじぎょうようらでんたち)
- ※ただし国宝指定は、鶴岡八幡宮所蔵の古神宝類一括での指定
一、朱漆弓
一、黒漆矢(内篦一筋欠)
一、沃懸地杏葉螺鈿平胡録
一、沃懸地杏葉螺鈿太刀 ※
一、沃懸地杏葉螺鈿平胡録
一、沃懸地杏葉螺鈿太刀(鐔欠) ※
※が本項で扱う衛府太刀。また平胡録とは矢立てのこと。
- ほぼ同じ太刀が二口ある。
- 「新編相模風土記稿」には「二振は衛府太刀」とあり、「頼朝の帯せし物と云ふ」と伝え、太刀図と説明文が記載されている。
鶴岡八幡宮【神寶】
太刀十二振
ニ振は衛府太刀、二振は兵庫鎖太刀なり、皆頼朝の帯せし物と云、三振は糸巻太刀にて、北條氏綱の寄納なり、二振は白鞘にして、長中心共二尺九寸、行光の作銘あり、三振は當社御修理落成の度毎に御寄納ありし太刀なり、正恒・長光國持等の銘あり、
(略)
【衛府太刀圖説明】二振共同し飭にて、少く大小あり、大の方、長三尺五寸二分、小の方三尺四寸八分、柄銀にて、鮫皮の如く打出なり、鞘沃懸地に螺鈿にて杏葉を置、故に杏葉の太刀と稱す、帯取革紅に白文あり、金物は惣て金鍍金なり、(帯取のはし一は銅物なし)
なお下記国指定DBでは、「古神宝類」全体の説明として「本古神宝類は、社伝に源頼義が当社勧請の時、石清水の神宝であたのを申し下して奉納した(『新編相模風土記』)とある。」と書かれているが、これは「新編相模風土記稿」によれば「弓一張」について述べたものである。それによれば、元は源頼義が納めたものが二張あり上下両社に蔵していたが、文化4年(1807年)の火災で一張焼失したのだという。
- 昭和31年(1956年)6月28日、古神宝類が一括で新国宝指定。
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