駿府御分物帳

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駿府御分物帳(すんぷおわけものちょう)  

元和二年(1616年)4月17日、家康が没した際の遺品形見分けを記録したもの
駿府御分物御道具帳(すんぷおわけものおどうぐちょう)
駿府御分物刀剣元帳

  • この項では、家康の形見分けである「駿府御分物帳」のほか、秀忠、家綱、綱吉の歴代将軍形見分け、尾張徳川家御腰物を記載する。
Table of Contents

駿府御分物帳の概要  

  • 徳川家康の遺品目録。

    「駿府御分物」とは、家康の遺産である。後世、しばしば「駿河御譲物」或ひは「駿河御譲品」、時には単に「駿河御譲」と称されたことも多いが、同義語である。「駿府御分物帳とは、この家康遺産の相続目録である。
    (徳川義宣 水戸家本「駿府御分物刀剣元帳」について)

  • 正しくは「駿府御分物御道具帳」と呼ばれている。

概要  

  • 元和2年(1616年)4月17日に家康が薨去すると、駿府城には莫大な遺産が残された。その遺産は、尾張家(九男義直)、駿河家(十男頼宣、のちの紀伊家)、水戸家(十一男頼房)のほか、久能山御金蔵などに分与され、納められた。
  • さらに刀剣類のうち上々御腰物13点、上々御脇指13点、中之御腰物12点、中之御脇指8点、被下物之御脇指1点については、江戸城の将軍家(秀忠)に贈られている。
    将軍家(秀忠)については、慶長十二年十月十四日に小判三万枚、銀一万三千貫、刀剣千百六十二振のうち上物の百二振が譲られている。
  • 「駿府御分物帳」は、この家康の遺産分与が記された目録である。

写本  

  • 遺産目録である「御分物帳」は、贈られた家での受渡し帳がまとめられて形成されたと見られている。
  • 2種類が残っている。
    1. 尾張家本 駿府御分物帳」:原本が現存
    2. 水戸家本 駿府御分物帳」:水戸家での原本とほぼ同時期に作成された副本(写本)。原本は不明。
  • 尾張徳川家の祖、義直が名古屋城に入城するのは元和2年(1616年)7月。

    徳川義利(義直)、駿府ヨリ、名古屋ニ徒リ住ス
    元和二年七月、公及相應院殿母子共、駿河ヨリ御入城、御本丸御在住、御家中諸士不殘駿河を引拂上ル

  • 紀伊家(頼宣)については当時まだ駿府城内におり、同じ城内にいたために受渡帳が作成されず、「駿府御分物帳」についても作成されていないと見られている。
  • 御三家の紀伊徳川家が成立するのは元和5年(1619年)に安芸広島藩の福島正則が改易され、その跡に紀伊藩浅野氏が転封、その跡に紀伊藩主に任じられた同年7月19日以後の事となる。

    慶長九年十二月廿八日常州水戸にて五万石御加増御拝領、合廿五万石也、是より先きに、義直卿、甲州にて廿五万石被爲進、今度公へも御加増ありて、義直卿と御同様に被爲進

    慶長九年、公三歳、十二月増封五万石

  • しかし紀伊家由来の道具には「駿河御譲品」「駿河御分物之内」などの記録が伝わっているものがあるため、何らかの形で管理がなされていたとされる。なお紀伊家分与品については、御分物帳では「駿州(駿河)」と記載されている。
    なお水戸家についても徳川姓が許されるのは寛永13年(1636年)7月6日のこと。一 七月六日 上使有之ニ付 尾陽侯ヘ御越酒井讃州被来「上意ニ水戸千世松殿左衛門督ニ被任中納言殿モ未名字不定ニヨリ今度御次手ニ即徳川ヲ被 仰付。左衛門督ニモ御名乗候様ニトノ旨 御両所モ左様ニ被存様ニトノ旨也」

「尾張家本」  

尾張家本「駿府御分物御道具帳」
元和二年-四年
徳川美術館所蔵(愛知県名古屋市)

  • 「尾張家本」については古くから存在が知られており、原本は全十一冊の大和装となっている。これとは別に目録である「駿府御分物御道具帳之覺」があり、そこには銭之帳の記載があるため、元は全十二冊構成であったことがわかる。
  • ただし各冊の途中に本来帳末にあるべき請取文言が記されており、このため元々二十四冊の独立した帳がある時期に十一冊へ纏められたものと考えられている。
  • うち刀剣に関するものは「駿河御分物之内 御太刀 御腰物 御脇指 御長刀 御鑓 帳」である。これは下記により構成されている。

    上御太刀 上御腰物 上御脇指
     元和四年十一月朔日 安東太郎兵衛
               佐々又左衛門

    中御腰物 中大脇指 中之小脇指 下御太刀 下御腰物 熨斗付御腰物 下大脇指 熨斗付御脇指 下小脇指
     元和四年十一月朔日 曲渕八右衛門
               成田藤右衛門

「水戸家本」  

水戸家本「駿府御分物御道具帳」
元和二年
徳川ミュージアム所蔵(茨城県水戸市)

  • 水戸家には従来駿府御分物帳が伝わっていないとされてきたが、同家に「古帳 廿一冊 他五冊」として残されていたものが、「水戸家本 駿府御分物帳」であることが昭和48年(1973年)5月に判明した。
  • この「廿一冊 他五冊」は、尾張家本の御分物帳とほぼ対になるものと考えられている。しかし、記載されている分量や受渡日の記述により、この水戸家本はその全体を構成するものではなくその一部のみが残っていると考えられている。
  • なお「他五冊」に刀剣に関するものが含まれており、次のような構成となっている。
    1. 書物請取之帳
    2. 上々御腰物帳
    3. 闕所之刀脇指帳 付 葉茶つほ渡申候覺
    4. 寅歳水戸領御勘定帳 ※慶長19年(1614年)
    5. 卯歳水戸領御勘定帳 ※慶長20年(1615年)

駿府御分物刀剣元帳  

  • 水戸家本の「上々御腰物帳」および「闕所之刀脇差帳」については、他の帳のような請取帳ではない。
  • さらに上中下の格により分け、また水戸家に留まらず御三家と将軍家への分与が記されている。
    闕所之刀脇差帳」とは、闕所(御家取り潰し)により没収したもの。
  • つまり、水戸家本の「上々御腰物帳」および「闕所之刀脇差帳」は、家康薨去時点で駿府城に存在した刀剣類の総目録という性質を持っている。
  • この内容上の性格から、この水戸家本の「上々御腰物帳」および「闕所之刀脇差帳」を指して「駿府御分物刀剣元帳」とする。詳細は「駿府御分物刀剣元帳」の項を参照のこと。
  • 尾張家本との異同
    • 奥書日付:水戸家本「元和二年霜月廿六日」、尾張家本「元和四年十一月朔日」
    • 大久保長安刀剣28点:水戸家本では分与未定、尾張家本では分与済
    • 「中」区分刀剣:水戸家本「中之~」、尾張家本「上」


駿府御分物帳目録  

尾張家本目録  

  1. 御腰物之帳
  2. 目貫かうかい帳
  3. 金銀之帳
  4. 色々御道具帳
  5. 色々御道具帳
  6. 色々絹布帳
  7. 御藥種之帳
  8. 色々かな物帳
  9. 色々細物帳
  10. 色々御振舞道具帳
  11. 御馬道具帳
  12. 銭之帳

水戸家本目録  

  • 「古帳 廿一冊」
    1. 一之蔵之分
    2. 一之蔵にて割の御藥種
    3. 御てんしゅ御道具
    4. 御天守二重目
    5. 御天守・穴蔵
    6. 御天主とりつき二階のふん
    7. おもて御納戸
    8. 金銀之道具
    9. 御めしの御ふくの帳
    10. 御さうし蔵
    11. 御本丸そうし蔵の下
    12. 御座敷間之道具
    13. 御ふく
    14. 内藤主馬預り蔵之分
    15. 穴蔵内藤主馬あつかり分
    16. 穴蔵上之白箱
    17. 穴蔵取次之榔下御道具
    18. 御本丸ひつしさる三かいの前けつしよ物
    19. 御本丸南之長蔵おさい預り
    20. 御天守之かみ蔵分
    21. 万道具渡帳
  • 「古帳 他五冊」
    1. 書物請取之帳
    2. 上々御腰物帳
    3. 闕所之刀脇指帳 付 葉茶つほ渡申候覺
    4. 寅歳水戸領御勘定帳 ※慶長19年(1614年)
    5. 卯歳水戸領御勘定帳 ※慶長20年(1615年)

このうち「上々御腰物帳」および「闕所之刀脇指帳」をあわせたものを「駿府御分物刀剣元帳」と呼ぶ。


各家への分配  

金銀  

将軍家秀忠
慶長十二年十月十四日に小判三万枚、銀一万三千貫、刀剣千百六十二振のうち上物の百二振
尾張家義直
金一万八千九百四十九貫余、銀十万千三百三十三貫余、小判二百七十三万四千九百四十四両
水戸家頼房
銀は一万二千五十貫、小判百三万四千四百六十七両(金不明)

刀剣  


秀忠形見分  

将軍家光
将軍様(家光)へ之御形見之物
一 政宗(正宗)御太刀、一 宗三左文字御刀、一 豊後藤四郎御脇指、
尾張大納言義直
尾張大納言様(義直)へ
会津政宗御脇指(会津正宗
紀伊大納言頼宣
紀伊大納言様(頼宣)へ
寺沢貞宗御脇指
水戸中納言頼房
水戸中納言様(頼房)へ
きりはさだむね御脇指(切刃貞宗
越前守御内儀
越前守御内儀様へ(仙台、伊達忠宗夫人
金子三百枚銀子千枚
諸大名
以下銀子
伊達政宗前田利常、島津家久、松平忠昌
  • 加賀藩資料

       家光公へ御譲物の事
    御遺書に相添へ兼ねて被仰置通、
     こうせつの御太刀 (江雪左文字
     宗三 (義元左文字
     左文字の御腰物
     豊後藤四郎の御脇指
     奈良柴の御茶入 (楢柴
     捨子の御茶壺
     圓悟の御掛物
     付り土井大炊頭
    都合七種とぞ聞えける。

      御遺物の次第
    一、会津正宗御脇指・面壁御掛物圓悟讃 尾張大納言
    一、寺沢貞宗御脇指・初祖菩提西王一山 紀伊大納言
    一、切刃貞宗御脇指・俊成定家両筆の掛物 水戸中納言
    一、松井貞宗御腰物 加賀中納言
    一、中川義弘御腰物 同筑前守
    一、国綱御腰物 松平淡路守
    一、加藤二字国次御腰物 松平宮松丸
    一、細川正宗御腰物 越後千千代丸
    一、青木国次御腰物 越後伊予守
    一、長光御腰物 備前宰相
    ※以後、掛物・茶入・金銀子のため省略

家綱誕生  

  • 加賀藩資料

      家綱公御誕生の事
    長光御刀 国次御脇指 尾張殿
    同 同 紀伊殿
    同 同 水戸殿
    正宗御刀 義弘御脇指 利常公
    二字国俊 来国次 松平越後守殿
    桝屋郷 来国次 松平筑前守殿
    一文字 新藤五國光 松平薩摩守殿
    和州包長 来国俊 松平長門守殿
    来国光 安吉 松平出羽守殿
    信國 正宗 松平新太郎殿
    備前真長 國光 松平隠岐守殿
    菊一文字 来国光 松平右衛門佐殿
    光忠 吉光 加藤式部大輔殿
    備前長光 来国光 松平阿波守殿
    延寿国泰 相州行光 藤堂大学頭殿
    来国光 左文字 上杉弾正大弼殿
    包永 國光 佐竹修理大夫殿
    国吉 国綱 森内記殿
    備前真長 来国光 伊達遠江守殿
    正恒 國光 松平土佐守殿
    定利 信國 有馬玄蕃頭殿
    光忠 吉貞 保科肥後守殿
    ※後略

家綱形見分  

紀伊中納言光貞
倶利加羅正宗倶利伽羅正宗)の小脇指、芝靈石の墨跡
中將綱教
貞宗の脇指
尾張中納言光友
中川郷の御刀(中川江)、癡絶道冲墨蹟の掛幅
中將綱誠
貞宗の御刀
水戸宰相光圀
貞宗の御脇差、茶壺(伯耆肩衝)
少將綱條
當麻の御刀
甲府中將綱豐
中書正宗の御刀(中務正宗)、印月江筆の掛幅、茶壼(道阿彌肩衞)
館林徳松君
自恕恩軒江兩筆の掛幅、金森正宗の指添、茶壺(繁雪肩衝)

綱吉形見分  

  • 寛永6年(1629年)2月
尾張中納言吉道
御脇差 一庵正宗、宗無肩衝
水戸中納言綱條
御脇差 貞宗 代金百五十枚、唐物文珠
紀伊中納言吉宗
御脇差 貞宗 代金二百枚、大隅肩衝
水戸中将吉孚
御脇差 来国俊 代金百枚
加賀宰相綱紀
御脇差 来国次(実記は来國治) 代金百五十枚
加賀少将吉徳
御脇差 行光 代金七十五枚

家継形見分け  

  • 享保元年(1716年)6月
水戸中納言綱條
来国次 差添
鶴千代
行光 差添
左京大夫頼致
来国次 差添
加賀守綱紀
正宗 差添
若狭守吉徳
則重 差添




尾張徳川家御腰物  

  • 慶安3年(1650年)5月7日の尾張徳川家初代義直薨去後、2代光友へと遺産相続が行われた際の刀剣台帳。

慶安四年卯三月 御腰物帳  

名称名物説明
御腰物
会津正宗
五月雨江代五千貫 公方様より拝領
池田正宗代四千貫 子ノ九月御成之時 御拝領
吉見左文字御鞘弐本
南泉一文字和亀鞘しととめ斗
生駒左文字代金五十枚 折紙有 酒井讃岐殿より
松浦信国代金三十枚ノ由 秀頼より
うきた左文字-代金十五枚 折紙有 右同断(御買被成内)(宇喜多左文字)
御脇指
岡山藤四郎
不動正宗
無銘藤四郎
ならや貞宗代六千貫(奈良屋貞宗
小玉正宗代三千貫 元ハ百三十枚 是ハ右兵衛督様御拝領 巳ノ七月六日ニ成瀬隼人正より請取
書き足し
戸川志津濃州志津 八寸九分 代金百三十枚 紀州大納言より御遺物ニ来

慶安四卯三月廿六日 御殿守ニ有之 御腰物御脇指帳  

名称名物説明
御腰物
一期一ふり吉光大坂焼物(一期一振
御脇指
わかへ正宗大坂焼物(若江正宗
長銘正宗大坂焼物(大坂長銘正宗
小鍛治大坂焼物(海老名宗近
なます尾作吉光大坂焼物(鯰尾藤四郎
庖丁吉光-御分物之内(庖丁藤四郎御家名物
無銘庖丁正宗相模国正宗 七寸九分半 代金百三十枚 御分物之内(庖丁正宗

関連項目