岡山藤四郎
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岡山藤四郎(おかやまとうしろう)
- 享保名物帳所載の名物
岡山藤四郎 在銘長八寸五分 不知代 尾張殿
表裏護摩箸有之前田又左衛門殿金拾伍枚に求め秀吉公へ上る、御遺物として秀詮卿拝領、家康公へ上る、尾張殿へ御伝へなり。
岡山と申子細は秀詮卿は木下肥後守末子にて長嘯老の御舎弟なり、秀吉公の御養子に被成羽柴左衛門と申、又孝景卿の養子となり家督を継きて筑前の中納言とも又越前北之庄へ所替へ有之北庄中納言と申、又関が原の以後宇喜多殿領国を家康公より被遣備前岡山の城主なり
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由来
- 小早川秀秋が所持し、備前岡山藩主であったことから岡山藤四郎と名付けられた。
来歴
前田利家→秀吉
- 前田利家が金十五枚(十六枚とも)で購入し、信長存命中に秀吉に譲った。
- 利家が家康に贈り、秀秋が拝領し徳川家に献上した(つまり秀吉を介さない)とする説もあるが、「秀吉公御遺物」と矛盾する。
小早川秀秋
- 関ヶ原の戦い後、小早川秀秋は東軍に寝返った功により岡山五十一万石を拝領。
将軍家
- その後、本刀を家康に献上している。
尾張徳川家
- 家康死後、御分物として尾張徳川家に伝来。将軍家所蔵の時に本阿弥光温が押形をとっている。
- 継平押形
岡山藤四郎 八寸五分 加賀利家殿御進上
御物
- 幕末に尾張徳川家14代の徳川慶勝から睦仁親王(のちの明治天皇)に献上された。
名物一期一振御刀 天守物 大坂焼身 禁裏御所江御進献
大和丸御劔 瑞龍院様御代大和丸御劔御大切被極候 禁裏御所江御進献
久国御刀 短冊太刀銘有 延宝三年八月御買上 禁裏御所江御進献
名物岡山藤四郎御小脇指 権現様より御拝領 元和古帳ニ有 禁裏御所江御進献
文久3年(1863年)に尾張15代徳川茂徳が隠居し、慶勝三男の元千代が16代義宜として家督相続した。この御礼として献上したものとされる。
東京国立博物館
- 終戦後に東博所蔵になっている。
- 以降、長らく行方不明だったが、2013年5月に東京国立博物館が所蔵していたことが判明した。刃の長さのほか、護摩箸や「吉光」と彫られた銘が岡山藤四郎の特徴と一致したという。
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