倶利伽羅正宗
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倶利伽羅正宗(くりからまさむね)
短刀
名物 倶利伽羅正宗
八寸四分
個人蔵
- 享保名物帳所載
倶利伽羅正宗 無銘長八寸四分 代五千貫 紀伊殿
表樋の中に倶利伽羅、裏梵字、蓮花有之、小出来にて大稲妻あり、松平紀伊守隠居の時上る、二百枚なり、家綱公為御遺物紀伊殿へ被遣
- 表に倶利伽羅竜の彫り物が入る。
由来
- 倶利伽羅竜の彫り物より名付けられる。
来歴
浅野家
将軍家
- 長晟の子の浅野光晟は、寛永9年(1632年)11月に父の遺物として正宗を献上している。
十一月朔日月次拜賀例の如し。松平安藝守光晟。淺野内匠頭長直。南部山城守重直襲封を謝し。光晟は父但馬守長晟遺物正宗の脇差。玉堂の茶入。
紀州徳川家
- 家綱が薨去すると、延宝8年(1680年)6月その形見として紀州徳川家光貞へ贈られた。代金五千貫
廿七日寺の御法會結願により。此日方々に遺物ををくらせ給ふ。紀伊中納言光貞卿に。倶利加羅正宗の小脇指に芝靈石の墨跡。安宮に茶壺(夏衣)。雪村筆花鳥屏風。
- 昭和9年(1934年)2月紀州徳川家の売立のさい、4190圓で落札された。
- 現存し、個人所蔵。
異説
- これと同物のことをいっていると思われる短刀が、「将軍家御腰物台帳」の27番に登場する。それによれば下記来歴となる。
- しかし紀州家に譲渡され昭和9年に紀州家売立で落札されたにも関わらず昭和14年には徳川公爵家で重美認定され、その後徳川美術館に寄贈というのは相当矛盾しているように思われる。
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