無銘藤四郎


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 無銘藤四郎(むめいとうしろう)

短刀
無銘 吉光名物 無銘藤四郎)
8寸7分(26.4cm)
徳川美術館所蔵

  • 享保名物帳所載

    無銘藤四郎 長八寸七分半 無代 尾張殿
    無銘故の名也、昔は来国俊の究めにて生駒讃岐守正俊殿所持、光室右の作に究め直す、正俊殿遺物として秀忠公へ上る、元和元年御上洛、歸路の刻、於名古屋尾張公へ下さる

  • 平造り、真の棟。鋩子小丸が掃きかけ、反り深い。中心はうぶ、目釘孔2個。

 由来

  • 無銘ゆえに名付けられたという。

 来歴

 信長

  • 元は信長所持。「天王寺屋会記」の「宗久他会記」、天正八年(1580年)二月二十二日の記事に載る。
    ただし、これが生駒氏に伝わったものと同物かどうかは不明。

 生駒一正

  • 生駒讃岐守(親正子の一正)に伝わる。当時は来国俊と極められていたが、後に本阿弥光室により藤四郎吉光に極められる。

 生駒正俊

  • 一正の子の讃岐守正俊に伝わる。
    生駒讃岐守正俊は讃岐高松三代藩主。豊臣政権で三中老を務めた生駒親正の孫、一正の子にあたる。

 秀忠

  • 讃岐守正俊が元和7年(1621年)6月5日に36歳で死んだのち、子の高俊から遺物として二代将軍徳川秀忠に献上された。
    生駒親正──讃岐守一正──讃岐守正俊──壱岐守高俊

 尾張義直

  • 元和9年(1623年)閏8月24日上洛の帰路、名古屋に立ち寄った際に、尾張藩主徳川義直に与えられ、以降、尾張徳川家に伝来した。

      壬八月廿四日
    大御所様卿御逗留被遊、御脇指無銘藤四郎、御鷹、御馬御頂戴、此節御刀會津正宗、御指上之

    元和九年 御上洛帰之刻 於名古屋 尾張殿へ被下

    尾張家では家康の差料で家康から拝領とする。また秀忠が前田利長に与えた江戸新身藤四郎と混同しているものもある。

 尾張家代々


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