江雪正宗
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江雪正宗(こうせつまさむね)
- 「詳註刀剣名物帳」
岡紅雪は、小田原北條氏直の臣にて學識ある人なり、北條滅亡の際太閤に召出さる、この刀紅雪の佩びし處、宗の字常と違ふと云は普通にある銘ぶりと異なるを云ふ。
今村長賀氏云紀州徳川家に家康公指料の紅雪左文字と申す同家第一の重器あり、長さ二尺五寸九分、反り八分云々、この正宗のち左文字になりしや、また別の刀なるや未だ詳かならず。
由来
来歴
- 家康はこれを帯びて関ヶ原、大坂の役に出陣したという。
- 寛永9年(1632年)正月、秀忠は死に臨み家光にこれを譲っている。
廿三日西城にて大御所(秀忠)御危篤にわたらせ給ふ。不動國行の御太刀。江雪正宗の御太刀。三好宗三左文字の御刀を本城(家光)にゆづらせ給ふ。これ神祖關原。大坂の兩陣に帶し給ふ所なり。豐後藤四郎の御さしぞへ。奈良柴といふ茶入。捨子と名付し茶壺。圓悟の墨跡も同じく御讓與あり。
- 明暦の大火で焼けてしまう。※幕府方記録では名前が出ていないが、加賀藩記録では不動国行、骨喰藤四郎、三好江などと並んで明記されている。
公方様御道具焼失の事
今度の大火事に、上様並に日本の大名・小名・待ち方・寺社方に年々貯置きし重寶共、幾千萬共なく焼失の儀筆紙の及ぶ所にあらず。公方様御道具焼失の御帳面の其の中に、別して天下無雙の御腰物・御脇刺・御太刀等は、幾萬年經ても御重寶なるに、此の度世に絶えぬる事、惜敷次第哉と諸人奉存に付き、是のみ記し、せめて其銘也とも聞傳へ、末世の物語の爲置く事斯の如し。
不動國行 骨食吉光 天下一三好郷 江雪正宗
吉本郷 左文字 初雁郷 兩方郷 温海貞宗
此の外二百枚内外の郷・正宗の御腰物數多なれ共略せしむ。
- なお「詳註刀剣名物帳」では今村長賀の話を出し、紀州徳川家に二尺五寸九分の刀が伝わっており正宗(江雪正宗)が左文字(江雪左文字)になったのではないかと書いているが、江雪左文字は昭和9年の売立で24300圓もの高値で落札されており、一度焼けたとは到底思えない。しかも本刀及び江雪左文字はともに在銘であり、混同する理由がよくわからない。
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