行平
紀新大夫行平(きしんだゆうゆきひら)
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概要
- 僧定秀の子、あるいは門人とする。
- 元久二年(1205年)の銘をきった作品が残っている。
- 紀行平新太夫、紀ノ行平、紀ノ新大夫行平、鬼神大夫とも。
- 「日本国釼冶銘」には次のように書かれている。
行平 文武天皇御宇、豊後国紀新大夫浪平コト、細ヲ不知人行平ト…藤戸カ弟子也
行平 紀新大夫とかうす、豊後国住人、けつはんにもまいるへき所にせつかいのとかによりて、かうつけの国とねのしやうへおんるせられてまいらす云々
- 罪(咎とが)を犯し、元暦年中に上野国刀祢庄に遠流され、正治元年(1199年)まで16年間服役したという。また相模由井の飯島(由比ヶ浜東端)に流されたという説もある。
銘
- 「行平」、「豊後国行平」
- よく隠し銘(変名)を用いる。
- 「方士」「宗安」「宗秀」。
- 「品」の一字を切ることもある。
鬼神大夫
- ”鬼神大夫”と呼ばれる所以が「鍛冶名字考」の筑紫住鍛冶の項にある。
鬼神大夫行平作 桓武天皇御宇延暦年中ノ作者也。紀新大夫アル日太刀ヲ作時鬼神人ニヘンシテ来テ、相共ニアイウチヲスト云ヘリ。シカル間打ノ太刀刀ヲイテハ鬼神大夫行平ト銘二打ト云々。
…或本の口伝曰ク、行平ハ豊後国二アル山里ノカチナリ。ココ二イヅクトモシラズ化身ノ者出キタリケリ。行平コレヲ見ルニ髮ハハトシテ身二ハ鳥ノケ羽ヲイタル童二テサラ二タダ人トモシラザルナリ。
カノ童行平ニ曰ク、「我ヲサマタゲ住所二ヨセツケザル者アリ。カレヲ打タバヤト思、ツルギ一作テヱサセヨ」ト云イケル間、三尺の釼、又二尺七寸ノ太刀ヲ作テ童ニ出シケリ。童コレヲエテ行ケルガ二日三日アリテ又出キタリ。行平ニ云「我コノ太刀ノ故ニカタキヲ思サマニ打タリ。其ノ悦ニ行平ニツカハルベシ」ト云テ、鍛冶ノ相打シテ行平ガ心ニタガハズカハレテンゲリ。余ノ人目ニハツ子ノ童ニ見ヘケリ。ココニ童云、「太刀、刀ノ作ヤウ見キワメ候了。行平ニ釼作テマイラセン」トテ、栗金一物等ヲ人夫七八人ニモタセテ出来テ三尺二寸ノ太刀刀ノ数作テ行平ト銘ヲウチ土ノ穴ヲホリテ、太刀、刀数ヲシラズアナニ入テヲキテ上ニハイタヲシキテタチテ後、カノ童行平ニ云ヤウ「ヲヲク太刀、刀作ヲキテ候。行平二進候。我ガカタキヲ打事、梵天モ帝釋王モユルシタマハズ候上、カタキウチテ三ヵ年我所ニスム事アルベカラザル間、其ノホドコレニスミ候了。今スデニ三年スギ候了。今ハ梵天モ帝釋王モユルサルベク候」トテ虚空ニウセニケリ。此童ハ鬼神ナリトテカノ行平ヲ鬼神大夫世ノ人ハ云ナリ。- この鬼神大夫を「昔行平」と呼ぶこともある。
御物
- 現在、皇室には行平が二口伝わっている。
- 「御物の行平」の項を参照
国宝
重要文化財
- 太刀
- 銘「行平作」刃長79.7cm、反り2.6cm。鎬造り、庵棟。小鋒。生ぶなかご。昭和16年7月3日旧国宝指定、徳川宗家所持。現在は重要文化財で名古屋市博物館所蔵。
- 太刀
- 銘「豊後国行平」。明治45年2月8日重要文化財指定。栃木県二荒山神社所蔵
- 太刀
- 銘「豊後国行平作」。明治43年4月20日重要文化財指定。日枝神社所蔵
- 太刀
- 銘「豊後国行平作」。長65.7cm、反り2.1cm。鎬造、庵棟、小鋒。目釘孔1個。佩き表倶利伽羅竜、棒樋。裏は腰に梵字、桜。昭和16年7月3日重要文化財指定。東京国立博物館文化庁分室所蔵
- 太刀
- 銘「豊後国行平作」。熊田真之介所蔵(斎藤茂一郎旧蔵)昭和16年(1941年)7月3日旧国宝指定。※恐らく上の”東京国立博物館文化庁分室所蔵”品と同物。
- 太刀
- 銘「豊後国行平作」。長79cm、反り1.9cm。鎬造、庵棟、細身、腰反、小鋒。佩表の腰に梵字と櫃の内に異形の仏像を彫る。生ぶなかご。昭和50年6月12日重要文化財指定。東京国立博物館所蔵。高松宮家所蔵品?
- 太刀
- 銘「豊後国行平作」。昭和3年8月17日重要文化財指定。京都八坂神社所蔵
- 秋草文黒漆太刀
- 中身銘「豊後国行平作」。総長122cm、刃長76.4cm、反り3.4cm。目釘孔1個。昭和28年11月14日重要文化財指定。越後上杉家伝来。上杉家御手選三十五腰の一つという。佐野美術館所蔵
- 短刀
- 行平作。阿尾城主菊池武勝が天正4年の加州表の戦いの功により上杉謙信から拝領したという。菊池右衛門入道武勝は、もと肥後菊池氏の出で諸国放浪ののち上杉家に仕えた。謙信死後、佐々成政家臣、のち前田利家の勧誘を受け前田家に降る。子孫は加賀藩の人持組菊池十六郎家(3200石)となった。
- 刀
- 折返銘 行平作。昭和32年2月19日重要文化財指定。京都国立博物館所蔵
- 太刀
- 無銘伝行平。刀身ニ寛正六年五月経俊施入ノ切付銘アリ。大正6年(1917年)4月5日に旧国宝(重要文化財)指定。寛正6年は1465年。栃木県日光市の輪王寺所蔵
著名作
- 北野紀新大夫行平
- 太刀、二尺六寸四分。享保名物。
- 秋田紀新大夫行平
- 享保名物「秋田行平」二尺七寸。
- 注連丸行平
- 二尺七寸三分半。享保名物。
- 大行平
- 足利将軍家から松永弾正。大坂御物。
- 地蔵行平
- 享保名物。
- 本多行平
- 享保名物。本多忠政所持。
- 「利目丸」
- 閑院宮家に伝わる。行秀作で三条家伝来という異説もある。
- 「桶丸」
- 赤松(則祐)家重代の作という。
- 成瀬行平
- 享保名物追加の部。豊後行平の脇差。尾張徳川家家老で犬山城主の成瀬家に伝来。刃長九寸二分五厘。
- 太刀
- 銘「豊後國住行平作/元久二年二月」昭和8年(1933年)7月25日九条道秀公爵所持。
- 鬼丸
- 烏丸家伝来。行平作。明治末に中山家所蔵。
- 短刀
- 銘「紀新大夫行平」「豊後国住人」七寸許。生ぶなかご、目釘孔1個。大きい樋、その中に倶利伽羅竜を透彫。柳川の陸軍少佐蘇我千太郎所持
- 太刀
- 銘「豊後國行平作」長さ二尺六寸、反り六分。高松宮家所蔵。昭和49年(1974年)国でお買い上げ。昭和50年(1975年)6月12日重要文化財指定。上の昭和50年6月12日重要文化財指定品と同物か。
系譜
二代安則
- 紀新大夫行平の子、または次男、弟子などという。
- 通称、清新太夫。
- 目釘孔を瓜実形にあけるため、瓜実または筑紫瓜実と呼ぶ。大和安則と同人ともいう。
- 石通丸
- 面影太刀
- 木曽義仲佩刀
- 宇野七郎所持
- 宇野七郎親治が保元の乱で所持。のち諏訪新左衛門尉貞経相伝の太刀。宇野七郎を生け捕りにした平基経が分捕りし、それが諏訪に伝わったという。
- 安東藤内左衛門
- 赤坂城攻めに加わった北条方武将の太刀。
僧定秀(じょうしゅう・さだひで)
平安後期、豊前の刀工
- 僧定秀は、行平の父あるいは師とされる。
- 定秀についてはほとんどわかっていない。
英彦山 三千坊の学頭といい、あるいは元は武士で千手院で鍛刀を学んだともいう。
- 「永暦頃の人、彦山の学頭也」(校正銘鑑)
- 「古刀銘尽」では、「彦山三千坊の学頭也、源正坊と云ふ、三十二才仁平二年より鍛冶となり、行平九才の時なり」とする。
- 「豊後鍛冶系譜」によれば、はじめ紀平治太夫宗平と称したという。速見郡の郡司に任ぜられている。
- 「刀剣銘尽」では、「豊後雲仙寺別当僧賢正坊、美濃阿闍梨」とする。
- 太刀
- 銘「豊後国□(僧)定秀」長81.9cm、反り3cm。鎬造、庵棟。小切先。棒樋、なかご裏に長銘。目釘孔1個。重要美術品。防府毛利報公会所蔵
太刀 銘豊後国□(僧)定秀 侯爵毛利元昭
- 太刀
- 毛利家伝来。竹中公鑒旧蔵。重要美術品
太刀 銘豊後国僧定秀作 竹中次郎
- 広瀬神社蔵
- 剣 銘「豊後国住人僧定秀下山種八郎尉」。埼玉県狭山市広瀬神社蔵
関連項目
- 上古秘談抄
- 上杉家伝来の刀
- 上杉家御手選三十五腰
- 上杉謙信
- 五月雨江
- 井伊家伝来の刀
- 仙台伊達家の江戸藩邸
- 伊達政宗
- 保元の乱
- 信濃藤四郎
- 刀工
- 前田光高
- 前田利常
- 加賀前田家の江戸藩邸
- 北野紀新大夫行平
- 古今伝授の太刀
- 古刀
- 古刀銘尽大全
- 名物
- 和歌山正宗
- 国宝
- 土屋押形
- 地蔵行平
- 埋忠寿斎
- 壷切ノ剣
- 大供利
- 大刀契
- 大行平
- 天下五剣
- 太刀
- 太郎作正宗
- 宮中祭祀
- 将軍家御腰物台帳
- 尾張徳川家の江戸藩邸
- 後鳥羽院
- 御物
- 御物の行平
- 御物調書
- 御番鍛冶
- 御鬢所行平
- 徳川忠長
- 成瀬隼人正
- 斎藤茂一郎
- 旧国宝
- 明智光秀の刀
- 昼の御座の御剣
- 最明寺殿評定分
- 本多行平
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- 本阿弥光瑳名物刀記
- 本阿弥成重
- 東京国立博物館
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- 正宗
- 武家・大名家の刀剣
- 永青文庫
- 池田正宗
- 池田貞宗
- 注連丸行平
- 泰時評定分
- 瓜実安則
- 白山吉光
- 真剣少女
- 秋田行平
- 秘談抄
- 細川護立
- 継平押形
- 綱切筑紫正恒
- 著名人と刀
- 蒲生氏郷
- 観世正宗
- 詳註刀剣名物帳
- 諸国鍛冶寄
- 重要文化財
- 重要美術品
- 鉋切長光
- 銘尽
- 長享銘尽
- 長光
- 陸奥守吉行
- 面影
- 飯塚藤四郎
- 駿府御分物刀剣元帳
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