本阿弥成重
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本阿弥成重(ほんあみなりしげ)
本阿弥分家の光意系15代当主
本阿彌平十郎
【本阿弥光意系】 光栄─┬松田平十郎光栄 │ ├栄次郎成章─┬直之丞成應─┬茂吉(早世)━━平十郎成重━━成善(琳雅) │ ├鐵之丞 └平次郎(早世) │ └お柳──山本羊三郎(成善) └百次郎…弟子江口倉次郎(成重) 11代光栄→12代栄次郎成章→13代平十郎光栄→14代直之丞成應→15代平十郎成重→16代成善(琳雅)
生涯
- 本名は江口倉次郎。
- 養子として本阿弥成応の後を継ぐ。
- 通称は平十郎。
- 砥ぎの名手として知られ、差し込みの技法を元に新たに「金肌拭い法」を発案した近代研磨の創始者。
- 明治・大正の研磨界には、本阿弥平十郎とその門人の井上行造、本阿弥琳雅、安達貞十郎とその門人である石川周八らがいた。
- 明治15年(1882年)7月16日没
門下
系譜
本阿弥琳雅(りんが)
光意系本阿弥家16代
本阿彌成善
- 弟子に本阿弥光遜や平井千葉がいる。
- 光意系本阿弥家16代
- 直之丞、成春。成善(せいぜん)。
本阿弥日洲(にっしゅう)
光意系本阿弥家17代
- 1908年(明治31年)、研磨・鑑定を業とする平井千葉の長男として生まれる。
平井千葉は明治から大正まで活躍し名人と謳われた。
- 大正12年(1923年)15歳で父・平井千葉の師であった本阿弥琳雅に師事。
- 若年の頃から築地刀剣会や中央刀剣会に連れて行かれ、大人じ混じって刀剣鑑賞や研磨技術を学んだ。こうした場においても父・本阿彌琳雅の指導は厳しく、容赦なく叱声が飛んだという。
- 昭和2年(1927年)、師匠・本阿弥琳雅に子がなかったため19歳で養子となり、光意系本阿弥家17代を継ぐ。
本阿彌琳雅に子がなかったので、先生(杉山茂丸)と同じく国士内田良平先生とが仲人となって、その高弟平井千葉の長男猛夫を養嗣子として本阿弥家に入れ、千葉と猛夫の両人に研磨の秘伝を伝授させたことも、先生なくしてはのことであった。
この伝授の席には先生が立ち会われたそうであるが、秘伝といっても「誰にでもできる簡単なことで、ただ誰も気がつかないまでのことだ」とおっしゃったそうである。
- 同年、師匠で養父である本阿彌琳雅死去。
- 昭和12年(1937年)29歳の時には、実の父で師匠でもある平井千葉が死去。
- 1975年(昭和50年)には刀剣研磨で重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定された
- 1996年(平成8年)7月13日没、享年88。
研磨刀剣
- 童子切安綱
- 戦前の東京澁谷大坂上の津山藩松平家の屋敷で研磨を行った。仕事中1・2次官は殿様がつきっきりで、研磨よりもこの方に気苦労があったという。砥桶の水を変えるのに家令がブリキ缶を使ったところ、化学反応があるからと木製の桶に変えさせている。
- 短刀長重
- 銘「備州長船住長重/甲戌」(国宝)。本阿弥光徳が太閤秀吉から拝領し、本阿彌家の重宝として伝わったもの。
- 金森正宗
- 当時は恐らく本阿彌猛夫氏本人所持。
本阿弥光洲(こうしゅう)
- 日洲の三男として1939年(昭和14年)に生まれる。
- 本名は道弘。
- 國學院大學卒業後、1962年(昭和37年)より父日洲に師事し、のち光意系本阿弥家18代を継ぐ。
- 1971年(昭和46年)には研磨技術等発表会(現在は刀剣研磨・外装技術発表会 )無鑑査となる。
- 2009年(平成21年)に公益財団法人日本刀文化振興協会理事に就任(22年まで)。
- 2010年(平成22年)日本刀文化振興協会理事長に就任。
- 2014年(平成26年)文化審議会により重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。刀剣研磨では5人目。刀剣界では12人目。
日本刀関係では、刀匠6名、研師4名、金工で1名が認定されている。
- 2016年(平成28年)春の叙勲で旭日小綬章を受章する。
研磨刀剣
- 2010年(平成22年)には永青文庫所蔵の国宝 名物包丁正宗、国宝 銘 則重(日本一則重)を研磨。
- 2012年(平成24年)には小松コレクションの国宝 太刀 銘則房、国宝 太刀 銘正恒を研磨。
- 2013年(平成25年)には永青文庫所蔵の国宝 太刀 豊後国行平作(古今伝授の太刀)、国宝 刀 金象嵌銘光忠(生駒光忠)と、名だたる名物を研磨している。
関連項目
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