大供利
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大供利(おおくり)
短刀
銘 行平作
長22.3cm
附・金梨子地花筏高蒔絵合口拵
越葵文庫所蔵(福井市立郷土歴史博物館保管)
- 紀新大夫行平作の短刀。
由来
- 刀身に彫られた倶利伽羅竜の占める割合が刃長に比べて大きいことにちなむ。
- 本阿弥家では、「越前家の大供利」と呼んでいたという。
来歴
- もとは越前福井藩第4代藩主松平光通の所用。
松平光通は3代藩主松平忠昌の次男で、結城秀康の孫に当たる。正室はいとこに当たる松平光長の娘国姫(従姪にあたる)で、国姫は「東小町」として京都の公家からも賞賛されるほどの和歌の達人であったという。
婚約は早くに行われたが、その後、光長の高田藩から福井藩への干渉を懸念した幕府の意向により婚儀は遅れに遅れた。3代将軍家光の死後、4代家綱の代にいたり寛文5年(1655年)にようやく結婚が成立している。二人はすでに19歳になっていたという。
国姫に嫡男が生まれなかったことからこの幕府の懸念は的中し、国姫の母勝姫(天崇院・高田様)と光長により福井藩の後継者問題への激しい横槍が入った結果、国姫は寛文11年(1671年)に男子を産めないことを詫びる手紙を書いて自害。また松平光通も延宝2年(1674年)3月に庶弟の松平昌親に家督を譲るよう遺書をしたためて自害した。この後福井藩は、減封や格式を下げられるなど苦難の時代が続く。
- その後も福井藩越前松平家に伝来した。
越葵文庫 所蔵で、長らく東京国立博物館に寄託されていた。
越葵文庫は、越前松平家20代当主、福井市立郷土歴史博物館の名誉館長でもある松平宗紀氏が同博物館に寄託した同家東京本邸の収蔵史料。
- 平成24年(2012年)より福井市立郷土歴史博物館で保管・展示している。
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