本多行平
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本多行平(ほんだゆきひら)
- 無反、差表の刀樋は区より三寸ほど上でとまり、その中に剣巻き竜が浮き彫り。
- 裏の刀樋は区より下に梵字の浮き彫りが2個。磨上。
- 銘差表「豊後国行平作」
由来
- 本多忠政所持にちなむ。
本多忠勝の嫡子、伊勢桑名藩第2代藩主から播磨姫路藩初代藩主。
来歴
- はじめ長井大進所持という(山城淀城主永井大膳尚征の誤記か?)
永井尚征は山城淀藩の初代藩主永井尚政の長男で、のち2代藩主。正室は毛利秀元の娘。後に丹後宮津藩の初代藩主。
- のち本多忠政所持。
- 本多忠政が寛永8年(1631年)8月に死去すると、遺物として忠政の次男政朝が家光に献上。
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