御番鍛冶
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御番鍛冶(ごばんかじ)
後鳥羽院が水無瀬離宮に鎌倉幕府打倒を狙って名工を招集し、月番を定め鍛刀させた制度
鍛冶結番
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概要
- 御番鍛冶は、十二人・二十四人・隠岐の番鍛冶の三種あったとされる。
- ※二十四人番鍛冶、隠岐番鍛冶は江戸時代の創作とされている。
御番鍛冶一覧(十二人説による)
- 正月番
- 備前一文字則宗 ※菊一文字
- 二月番
- 備中青江貞次
- 三月番
- 備前一文字延房
- 四月番
- 粟田口藤三郎国安
- 五月番
- 備中青江恒次
- 六月番
- 粟田口国友
- 七月番
- 備前一文字宗吉
- 八月番
- 備中青江次家
- 九月番
- 備前一文字助宗
- 十月番
- 備前一文字行国
- 十一月番
- 備前一文字助成
- 十二月番
- 備前一文字助延
- 閏月番
- 粟田口久国(久国は、特別に後鳥羽院の師徳鍛冶)
- 番鍛冶のなかでも「師徳(師匠)」とされたのが粟田口久国と備前延房であったとされる。
- 当時、備前には国衙領と邑久郡豊原荘、備中にも国衙荘と賀陽郡吉備津宮荘があり、朝廷から直接上洛の命令が出せたためにこの地域に偏っている。
隠岐国番鍛冶
- 承久2年(1220年)に後鳥羽院が隠岐に移ると、次の6人の番鍛冶を献じた。
- ※実際には隠岐の島では上皇に自由はなく番鍛冶を組織する力はなかったため、後世の創作であるとされる。
上庫刀
- 御番鍛冶の刀を中国では「上庫刀」と呼び珍重する。
- 全国から名工を招き庫中に封鎖した上で、期限を問わず製作せしめたためにこの名前が付いたとする。このうち最上の刀工を嘉久とするが、この名前の番鍛冶は確認されない。
菊つくり
- また、後鳥羽院は自らも作刀し、「菊の御作」、「菊造り」、「御所造り」、「御所焼」と称されて現存するものもある。
刀工の官位
- 刀工が官名を称するようになるのも後鳥羽院の時である。上皇と接する機会があり、無位無官では都合が悪いため”揚名ノ官”といい有名無実の官職を与える制度を利用したものとされる。
- 粟田口久国は大隅権守、備前信房は長原権守、備前宗吉と備中恒次は形部丞に任じられた。
- 亀山天皇、または後宇多天皇ともいう。
刀銘
- 実際に刀銘に官位を切り始めたのは、粟田口則国からで、刀銘に「藤右馬允則国」と切った。藤は藤原、右馬允とは右馬寮の3番目の位を意味する。
後醍醐帝御番鍛冶
- なお、後醍醐帝も御番鍛冶を召集しており、備前長船の国友と国吉の兄弟であったという。
- そのほか、鵜飼派(宇甘派)の雲生と雲次
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