地蔵行平
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地蔵行平(じぞうゆきひら)
- 「行平作」の三字銘
由来
- 鎺元に地蔵尊を彫っていたためという。
来歴
足利将軍家
- もとは足利義教の御物。
足利義教は室町幕府6代将軍。応永元年(1394年)~嘉吉元年(1441年)
後北条家
- のち北条氏綱の重代となり、氏綱は鎺元に地蔵尊を彫ったという。
北条氏綱は北条早雲の子。後北条氏2代。長享元年(1487年)~天文10年(1541年)
異説:細川氏綱
- 「三好下野守入道口伝」では、細川氏綱所持とする。
- 細川氏綱は、細川京兆家18代当主で摂津国守護。官位は従四位下・右京大夫。
永正10年(1513年)~永禄7年(1564年)
- 細川氏綱は、細川京兆家18代当主で摂津国守護。官位は従四位下・右京大夫。
- この後の来歴が不明。
細川忠興→明智光秀
- 天正9年(1581年)4月12日朝、細川忠興が息子・忠興の義父となる明智光秀を宮津城に招待した時、宴半ばにこの「地蔵行平」を贈っている。
同四月十二日之朝 長岡與一郎殿之振舞
一 御人数 惟任日向守殿父子 三人
長岡兵部太夫殿父子 三人
紹巴 宗及 宗二 道是
一 御酒半ニ 地蔵行平之太刀 従與一郎殿
日向殿へ御進上候也
(天王寺屋会記)
徳川将軍家
- その後、徳川将軍家所蔵となる。この経緯はわからない。
- 明暦の大火で焼ける。
地蔵行平
- 豊後国、紀新大夫行平の作
- 中心うぶ、大きく雉子股形となり先細って反りつき。
- 佩き表の棟よりに「豊後国行平」と長銘。
由来
- 腰元に地蔵菩薩の彫物があることにちなむ。
来歴
- 高松宮家に伝来した。
享保名物の地蔵行平とかぶっているが、銘が異なるため別物と思われる。こちらは高松宮家に伝来した。
他の地蔵行平
- 上記2刀とは別に、「地蔵行平」であるとされる刀が存在する。
東博所蔵
- 目釘孔3個
- 本刀も地蔵行平だとされている場合がある。銘が異なるため上記高松宮家伝来品とは別物だと思われるが、東博所蔵品の伝来ルートは不明。
名古屋市博物館所蔵
- 目釘孔2個
- 市内のコレクター所蔵品であったもので、平成7年(1995年)に寄贈されたもの。
- 所蔵館では、下記のように役小角ではないかとしている。
行平が刀身に刻む仏像は、どれもほとんど同じ姿をしていますが、デフォルメされており何の仏さまかよくわかりません。当館の所蔵品の場合、重要文化財の指定書には「行者」つまり、修験道の開祖である役小角(えんのおづぬ)だと記されています。
- その後重要文化財指定時(新法施行時)は、名古屋市中区の個人蔵。
※ちなみにこの個人は伊勢寅彦氏旧蔵の銘雲生(昭和34年重文指定)も所持していた。
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