郷義弘(刀工)


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 郷義弘(ごうのよしひろ)

南北朝時代の越中の刀工
夭折したと伝わる
越中国松倉住郷ノ義弘

  • はじめ「郷」、江戸以降「江」と通称される。
    ”郷”の字の草書体が”江”に似ているためという。なお「稲葉郷」には天正13年(1585年)の光徳象嵌が入っているが、既にここでも「江」と書かれている。また永正年間の「往昔抄」にも「江」の一字銘のものがある。古くから「江」と呼ばれ、江戸時代にはそれが定着したものと思われる。

 生涯

  • 名は松倉郷右衛門。はじめ義広、善広と改めたのち、義弘と名乗った。
  • 出自に関してはよくわからない部分が多く、諸説ある。
    1. 松倉城主、郡主、郷主。富豪、郷殿という奉公衆
    2. 【千手院】:大和千手院義広と同人説。「越中石松倉住人千手院義弘」
    3. 【義広の子】:竹屋家。
    4. 則重の関係】則重の師、または則重の子。
    5. 新藤五国光門人】:年代的には可能性はゼロではない
    6. 【宇多国光門人】:大和から越中に移住した宇多古入道国光が松倉に来た時師事した。
    7. 正宗門人】:鎌倉で正宗門下にあるときは義広、吉広と称し鎌倉郷と呼ぶ。
  • 師の正宗と同じく銘を切らない為、偽物が大量に出回っている。

 正宗十哲・天下三作

  • 正宗十哲の一人であり、相州正宗粟田口吉光とともに天下三作と呼ばれた。
  • しかし義弘の在銘作は皆無であり、「郷とお化けは見たことがない。」と言われるほどであったという。
  • 全ての日本刀の中で最も入手困難なものの一つであり、国宝重要文化財の刀がある。

 著名作

稲葉郷
国宝。二尺三寸四分。津山松平家。光徳象嵌「稲葉江」 富田江と共に双璧とされる
富田江
国宝。二尺一寸四分。加賀前田家。
桑名江
重文、二尺二寸九分。光徳象嵌。
松井江
重文、二尺二寸九分。紀州徳川家
村雲江
重文、二尺二寸三分、柳沢家
豊前江
重文
五月雨江
重文。二尺三寸四分。徳川家。
北野江
光徳象嵌、二尺三寸
横須賀郷
二尺四寸七分。阿部家
中川江
二尺三寸四分。徳川家
鍋島江
二尺二寸六分
篭手切江
一尺五寸七分。山城淀稲葉家
長谷川江
八寸。越後新発田溝口家
  • 以下焼け物
三好江
二尺四寸八分。将軍家
三好江
八寸二分
大江
二尺一寸七分、大坂御物
甲斐国江
二尺一寸三分
蜂屋江
二尺二寸二分
肥後江
二尺三寸四分、「熊本江」
上野江
二尺三寸四分
常陸江
二尺三寸四分 ※上野江と同物か。
桝屋江
二尺一寸七分
福井郷
大正4年(1915年)の東照宮三百年祭に「伯爵 小笠原長幹」で出陳されている郷義弘。

 松倉江

  • 織田信長が桶狭間にて今川義元を討った際、左文字の刀(義元左文字)と「松倉郷」の刀を分捕ったとされる。幕末には加賀前田家に伝わっていたがその後行方不明。
打刀
裏銘「越中國松倉住」。表鎬造り、裏平造り。

温直云 義弘也、今加州家ニ有之、尤裏銘計也。江之銘アル物日本国中此一本ニ限ル 今川家討死ノ時帯セラル松倉江ナルベシ
本阿弥光心押形集 土屋温直注)

  • また鍋島勝茂が関ヶ原の後に戦勝記念で家康に献上したのが「松倉郷号小胸切太刀」であったという。こちらは鍋島江と同物だとされる。

 郷義弘作一覧

 弟子

 為継

  • 義弘の子、または弟。義弘の門人
  • 通称四郎兵衛、藤原姓。
  • 越前、のち美濃不破郡へ移住
  • 業物

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