截断銘


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 截断銘(さいだんめい / せつだんめい)

切れ味を茎に記した銘文のこと
多くは金象嵌で入れられている

  • 「裁断」とも
    なお「截断」は漢字としては「せつだん」と読む(実際漢字変換は一般的には”せつだん”で変換できる)が、刀剣界では昔からこれを「さいだん」と慣用読みする。なお截断銘には「裁断」(衣)としているものもある。
  • 古くから刀の切れ味の凄まじさを表す言葉があり、それを刀号とする事がある。それを銘として刀身に刻んだものが截断銘と呼ばれる。
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 二ッ胴(ふたつどう)

  • 罪人の死体を重ねて試し切りをした結果を示す。試し切りを行った者の名前を象嵌することも多い。
  • 二ッ胴切り落ち、三ッ胴切り落ち、四ッ胴切り落ちなど。
  • 七ツ胴:備前基光作の刀、織田信雄重臣の岡田長門守重孝の脇差、信濃守信吉の刀など。現存刀でも関兼房の刀に「七ツ胴切落 延宝九年二月廿八日 切手 中西十郎兵衛如光(花押)」と金象嵌の入るものがある。

 試し切りの歴史

  • 人を斬って刀の斬れ味を試すことは、古くは平安頃から始められたようである。高名な源氏の「膝丸」や「鬚切」は源満仲が作らせた二振りの刀とされ、その切れ味を号の由来としている。それぞれ、両膝を截断した、あるいはヒゲを截断したという斬れ味に由来して号が付けられた。
    以下現代では決して許されない行為ですが、数百年前には行われていた事実として紹介します。不気味だと思う方は読み飛ばすようにしてください。
経緯の詳細を表示
  • 戦国時代になると浅井長政の臣・安養寺加賀守や、織田信長の臣・谷大膳亮(谷衛好)、豊臣秀次の臣・小池備後守などが試し切りをしたとされる。
  • 安養寺加賀守は地中に埋められた遺体を掘り出して試し切りしたといい、谷大膳亮は、田んぼの畦に死体を置き試し切りをしたという。

    居物(据物)をためし刀劍の利鈍を試る事は昔は罪人の首切て足れり。織田家の時にや谷大膳亮鷹野せしに死人山間にあるを田のあぜにのせ居えて自ら刀を試したるより土壇居物は起りしと云ふ。

  • やがて江戸時代に入ると大規模な戦争自体がなくなるが、刀剣の切れ味を試す需要はなくならなかったために、処刑の終わった罪人の死体で試し切りをするようになった。
    まさに武士の命であり、いざというときに斬れなければならず、さらに高価なものでもあるため実際に斬れるのかどうかは重要であった。その為、「懐宝剣尺」などの評価本が必要とされ流通していた。
  • これが「御様御用(おためしごよう)」と呼ばれて山田浅右衛門家が世襲するようになった。また一部で通行人を辻斬りしたという話もあり、例えば大谷刑部(吉継)なども一時辻斬り犯として疑われた事があり、あるいは小説などでもときどき登場する。
  • このときに切れ味の単位としたのが、土壇に横たえた罪人の体の、どの部位を何体斬ったかであり、「二ッ胴」とは重ねた二体を斬ったということである。さらに上になると、「三ッ胴」「四ッ胴」などと増えていき、試し御用を行った人物の名前とともに刀の銘に刻まれるようになった。
    このくらいになると普通に振り下ろすだけでは斬れず、試し役は高いところから飛び降りながら斬ったり、あるいは刀の先に重しをつけて斬りやすくしたという。当然高い技量が必要とされ、専門職化した。
  • 例えば切れ味で知られた虎徹には、この截断名がたくさん残っている。

    長曽弥興里入道虎徹/金象嵌 寛文五年乙巳霜月十一日 弐ツ胴截断 山野加右衛門永久(花押)

    一三重二つ胴土段迄、山野加右衛門永久

    万治二年亥十月廿三日二つ胴切落山野加右衛門永久花押

    万治四年卯月十九日三つ胴切落山野勘十郎成久

    寛文五年十二月廿二日脇毛二つ胴切落重所三、寛文七年三月廿六日三つ胴切落 山野勘十郎久英花押

    長曽祢虎徹入道興里/(金象嵌銘)四胴 山野加右衛門六十八歳ニテ截断 于時寛文五年二月廿五日

 籠釣瓶 / 寵釣瓶(かごつるべ)

  • 籠で作った釣瓶のように、水滴さえ留めることがないほどの切れ味を持つことから、水も漏らさぬ(水も溜まらず)ほどの切れ味を意味する。
    • 兼定作の立袈裟籠釣瓶
    • 同じく兼定作の小須賀帯刀喜政所持銘
    • 柳生厳包の愛刀、肥後守秦光代の作
    • 歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒」で登場する村正
  • 古釣瓶(ふるつるべ)も古くなり水が漏れることからの同様の例え。「水も溜まらず」からの連想。
    • 作州津山藩主松平家伝来の脇差に「元重」「古釣瓶」と金象嵌を入れたものがある。

 底抜け柄杓(そこぬけひしゃく)

  • 延寿作の大磨上の刀に入る。水もたまらぬという意味。

 滝の水(たきのみず)

  • 尾張の刀工、豊後守源正全の刀に入る銘。滝の水の落ちるのにかけたもの。




 笹露(ささのつゆ)

  • 鞘を払ったと見るまもなく相手を切って落とす、笹の露のように相手の首を落とすなどの切れ味を意味する。
    • 槇嶋監物の所持銘のある孫六兼元笹露 槇嶋監物所持之」
    • 池田輝政の家臣八田豊後守の佩刀郷義弘
    • 柳生連也斎所持の秦光代の脇差「笹露
    • 田中吉忠「ささのつゆ」
    • 大西屋「笹の露」備後尾道十四日町の名家大西屋所持
    • 備前祐定作の刀「備前国住人長船祐定 笹之露」
    • 水心子正秀作の刀「笹露 水心子正秀(花押・刻印)文化四年八月日」
    • 陸奥大掾長道作の刀:金象嵌「笹の露」
  • 「篠雪」、「笹雪」、「笹の丸雪」、「道芝の露」、「笹の霜」なども同様で、笹に積もった雪や露、霜などを払うとすぐに落ちるのに連想した異名。
    • 無銘の刀:差表「命者山路篠雪」裏「仏之宿世二返 吉玄蕃所持之」と金象嵌

 草の露(くさのつゆ)

  • 草の露は払えばすぐに落ちることから。
  • 「つなむね」と金象嵌銘のある無銘脇差に「武州於浅草二筒落、安西加右衛門斬也 草露 寛永元年甲子六月八日 源三好弥三郎直弘所持之」と切りつけたものがある。
  • また同様の「草裏の露」という刀銘がなされたものもある。艸うらの露(くさうらのつゆ)木村長門守重成の佩刀、堀川国広作、二尺七寸五分。草裏之露(くさうらのつゆ)金象嵌銘「ノサダ」脇差ニツ筒上不見鷲 草裏之露恐怖 清成」
    • 木村長門守の佩刀は「通芝露(みちしばのつゆ)」とも。元和元年5月6日、若江の戦いで討ち死にした時の佩刀。刃長二尺三寸一分。大磨上無銘。吉岡一文字とされる。差表「洛陽堀川住藤原国広上之」と切りつけ、裏に「通芝露 木村長門守」と金象嵌。のち千石取りの旗本中根主税正和が入手。

 早苗の朝露(さなえのあさつゆ)

  • 弱い早苗の葉末に宿った朝露は払えばすぐに落ちることから。
  • 固山宗次(備前介宗次)の作にある。

 尾花の露(おばなのつゆ)

  • 尾花とはススキの葉を指す。ススキの葉の上に置いた露が触ればころりと落ちるように胴体が落ちるという意味。
  • 志津三郎兼氏作と本阿弥折紙が付いた刀に「をばなの露」と金銘の入ったものがある。

 朝嵐(あさあらし)

  • 草上の露が朝嵐に会えばぽろりと落ちることから。
  • 備前勝光(松岡昌斎所持銘)、上総介兼重康継合作の脇差、加州行光朝嵐藤身大胴など

 篠霰(ささあられ)

  • 笹の葉のうえの霰が、払えばすぐに落ちるのにかけたもの。
  • 河内守国助初代作の刀に「篠あられ」と切りつけたものがある。また「信国」二字銘に「寛文元年六月十三日 山野加右衛門尉永久花押 袈裟篠霰」と金象嵌の刀がある。




 古袈裟(ふるけさ)

  • 古い袈裟は糸がもろく切れやすいことから連想した異名。
  • 弊衣(やれごろも)、破絹(やれぎぬ、破れ衣)も同じ例え。

 小袈裟斬り(こげさぎり)

  • 試し切りのさい、肩から脇の下に向けて袈裟懸(けさが)けに切り落とす方法のこと。

 無布施経(ふせないきょう)

  • 昔は、報酬(読経の謝礼)が少ないと袈裟を外した略式で経を読む僧侶がいたために、「布施ない経に袈裟落す」ということわざが使われていた。つまり「無布施経」→「袈裟落とし」→「袈裟斬り」という連想からの異名となる。

 踊り仏(おどりぼとけ)

  • 仏踊(ほとけおどり)
  • 袈裟を掛けた仏様が踊りだすと肩の袈裟が落ちることから袈裟斬りを意味する。江戸初期に流行した。
  • 越中守正俊、九郎三郎重国、大和守安定などに見ることができる。
  • 遠州高天神兼明の脇差に差表「芸備大君 戸田勝利贈」裏「業名号仏踊」がある。芸備大君とは浅野氏。業名とは切味により名づけたという意味。
  • 南紀重国に「踊佛 天和二歳2月吉日」と切りつけたもの。

 乱れ上人(みだれしょうにん)

  • 刀で袈裟斬することの隠語。
  • 上人が乱れると肩の袈裟が落ちることにかけている。
  • 大坂親国貞に「和泉守藤原国貞 乱上人 慶安二年八月日」と切ったものがある。




 棚橋(たなはし)

  • 棚橋とは欄干のない橋のこと。すぐに落ちてしまうことから。
  • 船橋(ふなばし)。船を繋ぎ、並べて橋としたもので、揺れて落ちやすいことから。

 神風(かみかぜ)

  • 神風のように速く斬れたため。
  • 石動是一「石動七代目是一作 以勝秀自相槌/号神風 天保十五辰春 安政禄未年十月十三日 於千住太々土壇払 山田吉豊試之」

 唐竹割り(からたけわり)

  • 唐竹割りとは、試し切りにおいて死体を土壇の上に跨がらせ、両肩の上に竹を立てて固定した後、背骨を上から下まで切り通すことを云う。
  • 大和守安定作の「唐竹割三ツ胴切落 万治三庚子年十一月廿三日 山野加右衛門尉永久(花押)」と在銘のものがある。

 雁金(かりがね)

  • 試し切りにおける部位の名称。両手を上げた場合、左右の腋高、脇の下を結んだ線を指す。「脇毛」ともいう。
  • 加州笠舞住清光の脇差を、延宝9年2月2日に松波時右衛門が試しており、「雁金土壇払味上々」と銀象嵌を入れた。

 通抜(とおりぬけ)

  • 骨を切っても手応えなくすっと通り抜けるように切れるという意味。
  • 長運斎綱俊の作に「加藤綱俊鍛之 天保八八月廿一日於千住 両車五ツ真向四ツ八巻四ツ 伊賀四郎左衛門乗重截断」「両車五ツ真向四ツ八巻四ツ 山田五三郎 両車四ツ真向二ツ 後藤為右衛門 老グルマ太々 長畑芳太郎 号通抜」、棟に「天保八酉二月吉日作之」

 継小袖(つぎこそで)

  • 試し切りをする際に三人の死体を重ねておいて切ると、その切り口が継いだ小袖のように見えるためという。
  • 肥前河内守正広作の刀に、三ツ胴一二三胴重之切落 山野勘十郎久英」、裏に「継小袖」と在銘。

 没商量(ぼっしょうりょう)

  • 没商量は計り知れないという意味。
  • 京丹波守吉道の脇差で、寛文九年に前島番右衛門友次が試し、二つ胴を落とし土壇にまで切り込んだ「没商量」と金象嵌のものがある。
  • また松田次右衛門が試した無銘刀で「貫之没商量」と入れたものがある。

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