豊前江
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豊前江(ぶぜんごう)
- 御家名物
- 郷義弘(江)の作と伝えるものの中で最も華やかな出来であり、同作中の優品であるとされる。
- 鎬造、庵棟、重ね薄く、中鋒。鋩子は乱込み、掃きかけ金筋かかる。中心は大磨上、中心先栗尻、鑢目切、目釘孔1個。
- 裏に「豊前江」朱書き
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由来
- 号のいわれは不明
来歴
- 昭和12年(1937年)5月27日に重要美術品指定。小笠原忠春伯爵所蔵(小笠原長幹伯爵旧蔵)。
刀 無銘(名物 豊前江) 一口
東京府東京市市谷河田町
伯爵 小笠原忠春
(昭和8年 文部省告示第二百五十三號)
この地には豊前小倉藩の下屋敷があったが、昭和2年(1927年)に小笠原長幹伯爵がスペイン風の邸宅を建造し住居とした。昭和10年(1935年)3月に長幹の子の忠春が伯爵を襲爵。戦後GHQに接収され、昭和27年(1952年)の接収解除後は法務省管轄、昭和27年(1952年)に東京都所管となり、昭和50年(1975年)まで東京都福祉局児童相談所として使用されていた。のち同邸宅は東京都選定歴史的建造物第66号に指定。この邸宅は現存しており、平成14年(2002年)に民間で修復され、レストランとして運用されている。
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- 昭和24年(1949年)刊行の「山口県国寳重要美術品解説(デジコレ送信限定)」では、山口県宇部市在住の山田新松氏蔵。
太刀 無銘(名物豊前江) 一口
宇部市 山田新松氏藏
これは無銘であるが、郷義弘の作、名物豊前江として知られているものである。義弘は鎌倉の刀工正宗門下十哲の一人で、吉光、正宗と共に本朝三作と称せられるが、正中二年二十七才で沒したので、作品が少い。織豊時代の武將は殊に義弘の作を愛用した。名物とは享保四年に本阿彌が集録して將軍吉宗に差出した腰物名物集にのつているものである。
(重要美術品認定)
- (恐らく山田新松氏の後)この頃、岡野多郎松氏が所持している。ただし「備山愛刀図譜」(昭和33年刊行)を出す前に手放している。
- 昭和31年(1956年)6月28日重要文化財指定。中沢暁氏蔵。
- 昭和36年(1961年)の「正宗とその一門」では中沢暁氏所持。
- 昭和43年(1968年)の「名物日本刀展」にも出品されているが、所有者が記されていない。
- 昭和55年(1980年)の「新指定重要文化財 : 解説版」では田島良一郎氏蔵。
- 文化庁の調査により、現在行方不明となっている。
- 所在不明文化財|刀〈無銘義弘(名物豊前江)/〉 | 文化庁
- 所在不明になっている国指定文化財(美術工芸品) | 文化庁(No.110、掲載日:令和2年1月23日)
文化庁の言う「所在不明文化財」とは、主に所有者移転や所有法人等の解散、あるいは盗難などにより文化庁にて所在確認ができなかった文化財を言う。それに加えて所在場所について確証が得られない文化財や、現所有者は明らかだが連絡がつかない文化財、連絡は取れているが当該文化財の現物確認ができておらず所在が明らかとは言えない文化財も含んでいる。
参照:盗難を含む所在不明に関する情報提供について~取り戻そう!みんなの文化財~ | 文化庁
※これは文化財保護法の第二款管理(第30条~第34条)に定められた内容による。国指定文化財となっている以上は法に従う必要があるが、それに準じていない状態であるということである。「管理」ができてないとなれば、当然その後の「保護(修理・保全)」、「公開」などができない状態となり、とても国指定文化財の要件を満たしているとは言い難い状況ということになってしまう。
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