福岡一文字派
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福岡一文字派(ふくおかいちもんじは)
備前の刀工一文字派のうち、福岡の地に興った集団。
古備前派正恒系の刀工である定則の子・則宗を祖とする。
御番鍛冶13工のうち、7工を出した。
- 岡山県邑久郡長船町(現、瀬戸内市)の福岡、八日市、福永、豆田などに住す。
- 古くは備前国府もあり、早くから刀工が出現した。
- 助宗・宗吉・成宗・宗忠・重久・貞真など鎌倉初期のこの派の刀工達を別に古一文字と称する。
定則─┬─則宗─┬─安則─────末則 │ │[建久正治] [建保貞応] │ │大一文字 小一文字 │ ├─助宗───┬─助則─────助吉─────眞吉 │ │[正治建保]│[建保安定] [安貞寛元] [正元文永] │ │ │ │ │ └─助包─────助包─────吉元 │ │ [承久安貞] [安貞貞永] [正元文永] │ │ │ └─成宗─────久宗─────重久───┬─吉用 │ [正治建保] [承久歴仁] [建保弘長]└─助綱 │ └─延房───信房───┬─信正[承久] └─信包─────行包[建長] ※諸説あり。[]は推定活動年間 ※古刀期の刀工の相互関係については、年紀銘などからの類推が多くほとんどわかっていない。
- 福岡一文字派からは、吉岡一文字派、片山一文字派が分かれる。
- 六一文字:助則、助茂、助房、助吉、則房、吉房をいう。
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御番鍛冶
- 正月番:備前一文字則宗
- 三月番:備前一文字延房
- 七月番:備前一文字宗吉
- 九月番:備前一文字助宗
- 十月番:備前一文字行国
- 十一月番:備前一文字助成
- 十二月番:備前一文字助延
著名作
- 古来福岡一文字派は「一」銘のみを切る一派であり、刀工名が特定できない刀剣が多い。
- 一文字派の著名作を以下に記す。
- 日光一文字
- 無銘一文字。名物 日光一文字。日光権現社(二荒山)に奉納されていたものを後北条氏が取り出し、小田原開城の際に黒田官兵衛に贈ったもの。黒田家伝来。国宝。福岡市博物館所蔵
- 長篠一文字
- 織田信長より奥平貞昌(奥平武者助信昌と改名)、忍藩松平家(奥平)伝来。西郷隆盛、山県有朋。国宝。個人蔵
- 今荒波一文字
- 銘 一(号 今荒波)。重要文化財。東京国立博物館所蔵
- 姫鶴一文字
- 太刀 銘一(号 姫鶴一文字)附 黒漆合口打刀拵。「上杉家御手選三十五腰」のひとつ。重要文化財。米沢市上杉博物館所蔵
- 南泉一文字
- 無銘、名物 南泉一文字。重要文化財。徳川美術館所蔵
- 山鳥毛
- 「山鳥毛一文字」。無銘。上杉謙信所用。「上杉家御手選三十五腰」のひとつ。瀬戸内市所蔵(備前長船刀剣博物館保管)
- 三日月一文字
- 将軍足利義政より細川成之が拝領。将軍家に戻り、吉田兼倶が拝領。その後不明。
- 千鳥一文字
- 銘 一。大内氏伝来、厳島神社奉納。毛利氏が取り出し秀吉に献上。
- 島津一文字
- 銘 一。有馬晴信が島津家久に贈り、その後は島津家伝来。
- 浅井一文字
- 銘 一。お市の方輿入れ時に織田信長から浅井家に贈られた。のち尾張徳川家、将軍家、前田家、柳沢家、山県有朋。関東大震災で焼失。
- 荒波一文字
- 銘 一。(号 荒波一文字)一説に大内氏伝来、厳島神社奉納。秀吉、家康。松平忠直、井伊伯爵家。関東大震災で焼失。
- 太刀
- 銘 一。長68.2cm、反り1.5cm。昭和30年(1955年)2月2日重要文化財指定。林原美術館所蔵
- 樊噲一文字
- 植村新六家存(家政)が織田信長より拝領した一文字。明治頃竹添家に入り、犬養木堂を経て久原家へと移った。
代表的刀工
則宗
- 備前福岡一文字派の祖。
- 古剣書においては「菊一文字」と書かれる。最初に一文字銘を切った人という意味で「大一文字」とも呼ばれる。
- 備前太夫と称し、刑部允に任じられた。
- 後鳥羽院の御番鍛冶正月番。
- 御番鍛冶中第一位とされ、十六葉の菊紋を切ることを許され「菊一文字」と呼ばれる。
- 銘は、通常「則宗」二字銘だが、「二つ銘則宗」では「備前国則宗」と五字銘を切る。
- 詳細は「則宗」の項参照
延房
- 承元ごろ。長原権守(中原権守)を称す。
- 後鳥羽院の二十四番鍛冶という
助宗
助則
為国─┬宗国─┬宗吉──吉家 │ └宗長─┬宗忠 │ └長元 └宗家─┬吉平 ├吉宗 ├次家 ├吉友 └吉景 ※諸説あり。[]は推定活動年間 ※古刀期の刀工の相互関係については、年紀銘などからの類推が多くほとんどわかっていない。
宗吉
- 隠岐番鍛冶という。
尚宗
- 刀
- 倶利迦羅竜守刀「中身銘尚宗/豊臣棄丸所用」明治45年2月8日重要文化財指定。棄丸とは3歳で夭折した鶴松のこと。祥雲禅寺には遺品のこの刀のほか、玩具船なども寄進されている。
助行─┬行国──国真──国真 ├行高 ├助成 ├助延──助久──助久 ├助村 └助守 ※諸説あり。[]は推定活動年間 ※古刀期の刀工の相互関係については、年紀銘などからの類推が多くほとんどわかっていない。
助行
行国
助成(すけしげ)
助延
景則〈初代〉
- 為則の子
鎌倉中期
吉房
吉平
- 鎌倉中期
- 太刀
- 銘「吉平」長二尺四寸三分五厘、反り九分六厘。鎬造り、庵棟、腰反踏張りあり。生ぶなかご。鎺下に菊花御紋章の毛彫。目釘孔の右側に「吉平」二字銘。三井高修氏旧蔵。昭和10年4月30日旧国宝指定、昭和38年7月1日国宝指定。個人蔵
- 太刀
- 銘「吉平」長75cm、反り2.5cm。鎬造、庵棟。鋩子乱れる。なかご生ぶ。目釘孔1個。尻片山形。大正7年4月8日重要文化財指定。栃木県二荒山神社所蔵
- 太刀
- 銘「吉平」昭和2年4月25日重要文化財指定。奈良県談山神社所蔵
- 金亀吉平
- 彦根藩主井伊家伝来の太刀。現存、個人蔵
承久の乱以降
- 承久の乱での上皇方敗戦により、崇徳院法華堂領であった福岡庄は、鎌倉幕府に没収されている。
- これと関連して刀工たちは、備前国内(長船・片岡)、鎌倉や備中、備後などへ移住し、各派を拓いた。
古一文字……福岡一文字……相州鍛冶(国宗・助真) …備前長船派 …片山一文字 …吉岡一文字
鎌倉移住
備前三郎国宗
直宗──国真─┬備前太郎国真 ├備前二郎国貞 └備前三郎国宗 二代国宗、貞綱、貞経、貞真、国安、国経、真国、真近、直久など
- 直宗は中原氏。建久~正治ごろ。直宗の子の国真が三子を産んだ。
藤源次助眞
- 助真。助房(助成とも)の子という。
- 承久の乱後、福岡庄は幕府方の頓宮(はやみ)氏の支配下となる。助真は幕府方の頓宮氏に仕えることを好まず、京都に移り住むが、後北条時頼の召し出しにより移住する。このため鎌倉に下ることは本意ではなかったとの説がある。
- 子、助貞と助綱とともに鎌倉に移り住み、鎌倉一文字派の祖となる。
- 詳細は「助真」の項参照
備前長船移住(備前長船派)
片岡移住(片山一文字派)
- 福岡一文字派の則房が備中に移住して構えたとされる。なお片山は備中国とするのが通説であったが、近年備前福岡近在の片山との説が有力。
則房:
- 「今荒波則房」
- 享保名物帳
- 太刀
- 銘「則房」刃長二尺二寸六分。針金巻柄打刀拵。小笠原長生子爵所持。
- 太刀
- 銘「則房」長77.3cm、反り3cm。表裏に角留めの棒樋。なかご磨上。「則房」と二字銘あり(「房」の字下半切れる)。徳川将軍家伝来。鞘書に、「智幻院様御差 宝永四年寅七月十一日 御誕生之時 常憲院様ヨリ被進 則房御刀 代金百枚 長弐尺五寸五分 代上弐百枚」とあり、徳川家宣の子家千代(=智幻院、宝永4年9月早世)の誕生を祝って徳川綱吉より贈られたことがわかる。昭和28年3月31日重要文化財指定。小松安弘興産所蔵、ふくやま美術館寄託
- 刀
- 無銘則房。長69.3cm、反り2.7cm。表裏にやや幅の広い棒樋を掻通す。なかご大磨上、先栗尻。目釘孔1個、無銘。昭和14年5月27日重要文化財指定、昭和30年6月22日国宝指定。
畠田移住
- 守家は備前畠田に移住した。
吉岡移住(吉岡一文字派)
- 弘安の役後
助吉:
- 嘉元年間(1303~1306)。助宗の孫に当たる。
助光:
- 則宗の孫である助吉の子(あるいは弟)で、一門を代表する名工。
- 太刀
- 銘「備前國吉岡住左近将監紀助光/一 南无八幡大菩薩 南无妙見大菩薩元享二年三月日」長二尺七寸一分、反り一寸二分。阿部豊後守忠秋が隅田川乗り切りの功により家光より拝領したもの。明治になって愛刀家堀部直臣氏の所有になった。
- 薙刀
- 銘「一 備前國吉岡住左近将監紀助光/元応二年庚申十一月日」長一尺八寸六分、反り八分六厘。表裏に薙刀樋と添樋。うぶ中心。前田利為公爵所持。
- 刀
- 金象嵌銘助光磨上光徳(花押)。本阿弥光博氏旧蔵、福田勲氏旧蔵。昭和30年(1955年)2月2日重要文化財指定。
- 短刀
- 銘「助光」元亨四年銘。長22.4cm。昭和46年(1971年)6月18日岡山県指定重要文化財。個人蔵
助義
- 短刀
- 銘「一 備州吉岡住助義/元徳三年三月日」。重要美術品。長八寸八分四厘。表裏薙刀樋に添樋。中心うぶ。
- 助茂・助次・助秀。
大宮一派
- 山城国猪熊大宮の国盛が移り住んだという。
- 助盛、盛助、盛重、師実、師景、景政、盛景
- 「長船住」
雲類
- 雲生・雲次ら:吉岡一文字に少し遅れて、津高郡甘郷に山城伝を加味した一派を拓いた。
正中一文字
- 和気郡田土庄岩戸の地頭吉氏が正中(1324)のころ鍛刀を始めたため、これを正中一文字と呼ぶ。
助国
- 備後の国分寺前に移住した。
備前吉家
- 鎌倉後期から南北朝時代。氏吉、吉家。和気の岩戸一文字系・正中一文字派。
唐隋 吉家- 阿波徳島藩主蜂須賀家伝来。刃長二尺四寸四分。中心先に「吉家」二字銘。昭和8年正月旧国宝指定。昭和8年10月の売立にだされ、親引きのあと1万円で売れた。
福岡荘
- 岡山県
邑久 郡長船(おさふね)町福岡を中心とする荘園。現、岡山県瀬戸内市長船町。 - 嘉応2年(1170年)には平氏の所領となっており、平家滅亡後は平家没官領として源頼朝の管理となっていたが、元暦元年(1184年)崇徳院法華堂に寄進した。翌年あらためて縁者の妹尾尼に与えるが、文治4年(1188年)には崇徳天皇の国忌にあたって勤修料所とされている。
- その本家職は高倉院・建春門院を本願とする最勝光院の領有となり、領家職は一乗院僧正房の領有となり、地頭職は吉井氏がもっていた。しかし地頭吉井氏の年貢抑留が続くと、最勝光院を伝領した後醍醐天皇が正中3年(1326年)同院執務職を東寺(教王護国寺)に寄付したのにともない東寺領となった。
- 山陽道の要地であり、備前南部の経済的中心地であった同荘は南北朝期から戦国期にかけて争奪されることが繰り返され、在地武士による年貢対捍や横領が常態化して東寺支配は有名無実化した。
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