厳島神社
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厳島神社(いつくしまじんじゃ)
式内社
安芸国一宮
旧社格は官幣中社で現在は神社本庁の別表神社
- 古くは「伊都岐島神社」とも記された。
- 神紋は「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」。
- 平成8年(1996年)、世界文化遺産に登録。
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概要
- 広島湾に浮かぶ厳島(宮島)の北東部、弥山(標高535m)北麓に鎮座する。厳島は一般に「安芸の宮島」とも呼ばれ、日本三景の1つに数えられている。
- 厳島神社の主要な社殿は、厳島の北部、大野瀬戸に面した有浦(ありのうら)と呼ばれる湾の奥に建つ。建物の大部分は海域に建っており、満潮時には建物が海上に浮かんでいるように見える。
- 平家からの信仰で有名で、平清盛により現在の海上に立つ大規模な社殿が整えられた。
創建
- 社伝では、推古天皇元年(593年)、当地方の有力豪族・佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を得て御笠浜に社殿を創建したことに始まるとされる。
- 平安時代中期の「延喜式神名帳」に記載され、名神大社に列した。
安芸国佐伯郡 伊都伎島神社(延喜式神名帳)
- 厳島神社の鎮座する厳島は「神に斎く(いつく = 仕える)島」という語源もあるとされ、古代から島そのものが神として信仰されたと考えられている。厳島中央の弥山(標高535m)山頂には巨石が連なっており、山岳信仰の対象であったとされる。
平氏
- 平安時代末期、神主・佐伯景弘と当時の安芸守・平清盛の結びつきを契機に平家一族から崇敬を受けた。仁安3年(1168年)頃、平清盛が社殿を造営し現在と同程度の大規模な社殿が整えられた。
- 平家一門の隆盛とともに厳島神社も栄えて平家の氏神となった。平家滅亡後も源氏をはじめとして時の権力者の崇敬を受けるが、建永2年(1207年)と貞応2年(1223年)の2度の火災で建物の全てを焼失している。そのため、現在残る社殿は仁治年間(1240~1243年)以降に造営されたものである。
大鳥居
- 「朱丹の大鳥居」とも呼ばれ、広島湾に浮かぶ光景が有名で、厳島神社を象徴する建造物である。重量約60トン、棟高16.591m、桁行10.939m、梁間9.394m、上棟長24.242m、屋根面積111.153平方メートル。
- 大鳥居単体が国の重要文化財指定を受けている。明治32年(1899年)4月5日指定、昭和38年(1963年)12月26日棟札2枚を附指定。
厳島神社大鳥居
木造両部鳥居
附棟札2枚
重要文化財
国指定文化財等データベース - 高さ、大きさともに日本一を誇り、奈良の春日大社・敦賀の氣比神宮の大鳥居とともに日本三大木造鳥居に数えられる。吉野金峯山寺銅鳥居・大阪四天王寺石鳥居とともに日本三大鳥居とも言われているが、これは近世以前神仏習合時代であるという。
- 東西にクスノキの自然木の主柱を置き、その前後にスギの袖柱を2本ずつ計4本配し、上下2段の袖抜で主柱を繋いだ木造両部鳥居となっている。
厳島神社の名物である大鳥居には、大鳥居の表と裏で別々の扁額が掲げられている。正面海側には「嚴嶋神社」となっており、裏側(神社側)には「伊都岐島神社」と書かれている。現在の扁額は明治8年(1875年)に再建されたもので、有栖川宮熾仁親王の染筆による(裏面に明治7年甲戌四月二品熾仁親王謹書と記されている)。江戸時代には、「嚴嶋大明神」「伊都岐島大明神」と記してあった。
大鳥居|観光スポット|一般社団法人宮島観光協会
集古十種. 扁額之部 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 材質は代々クスノキが用いられており、平清盛の援助による仁安時代の造営時を初代とし、現在のものは8代目で明治8年(1875年)に再建されたもの。
※近年、13世紀前半(1223~40年)にも再建されたらしいことが厳島神社の原島誠技師の調査により判明し2020年7月に発表された。下記年表はこの九代説に従う。宮島大鳥居、9代目か 13世紀前半にも再建の新説 | 中国新聞デジタル
- 初代:仁安(1166-1168年)時代の造営時
・扁額は平宗盛の依頼を受け九条兼家が揮毫したもの。安元3年(1177年)に完成か。
・建永2年(1207年)厳島社炎上→建保3年(1215年)再建
・貞応2年(1223年)厳島社炎上→嘉禎元年(1235年)再建 - 二代目:※最近の調査で判明。1223~1240年再建。延応2年(1240年)の「伊都岐嶋社内外宮造畢并未造殿舎注進状案」に、「造畢分」として「大鳥居一基」の記述が確認された。
- 三代目:弘安9年(1286年)10月再建。
・一遍上人が建治4年(1278年)及び弘安10年(1287年)に参詣しており、「一遍聖絵」に残る。
・正中2年(1325年)6月25日台風により大鳥居転倒 - 四代目:応安4年(1371年)4月再建。
- 五代目:天文16年(1547年)再建。大内義隆。義隆及び尊海の要請を受け扁額は後奈良天皇の宸筆による。
・この扁額は現存しており、明治32年(1899年)に重要文化財指定、厳島神社宝物館所蔵。「厳島大明神/伊都岐島大明神」国指定文化財等データベース
・この再建時に、明神鳥居の二本の本柱の前後に控え柱(袖柱)を設け、本柱と控え柱との間に上下二本の控貫をつけた現在の姿、両部鳥居(りょうぶとりい)の様式になったとされている。 - 六代目:永禄4年(1561年)再建。毛利元就・輝元親子
・正徳5年(1715年)、享保元年(1716年)倒壊 - 七代目:元文4年(1739年)再建。浅野斉賢(安芸広島藩5代藩主)
・安永5年(1776年)7月7日大鳥居に落雷を受け倒壊 - 八代目:享和元年(1801年)3月27日再建。浅野斉賢(安芸広島藩8代藩主)
・嘉永3年(1850年)8月7日大風・高潮により大鳥居が傾き、額が阿多田島に漂着 - 九代目:明治8年(1875年)再建。扁額は有栖川宮熾仁親王筆。
・明治15年(1882年)海虫の蝕害を受け袖柱4本の根継をクスノキで継いだ
・明治42年(1909年)から2年をかけて特別保護建造物として大修理。この際に朱色に塗装、屋根葺替
・大正14年(1925年)柱根元の鉄筋根巻をコンクリートで補強
・昭和25年(1950年)根継材の蝕害がひどくなり根継を修理、屋根葺替、塗装塗替
・昭和40年(1965年)塗装塗替、扁額修理
・昭和47年(1972年)塗装修理、屋根修理
・昭和58年(1983年)塗装修理、屋根修理
・平成3年(1991年)台風19号被害。屋根の葺替、塗装、根元周りの蝕害を受け樹脂による補強
・平成24年(2012年)突風により銅板が飛散。屋根修理
・平成28年(2016年)西南袖柱の樹脂補強
・令和元年(2019年)6月~令和3年(2021年)屋根葺替、塗装塗替、木部補修及び調査
- 【2021/10/4更新】大鳥居 修理工事について | 社団法人宮島観光協会|新着情報
- 重要文化財厳島神社大鳥居の修理について
- 宮島本(宮島検定) 廿日市市商工会議所 テキスト編集委員会
- つながるさがし 厳島神社大鳥居となった"池上の大楠"
神仏分離
- 明治維新後の神仏分離令(神仏判然令)に伴って明治新政府の派遣した大参事により社伝が仏式であると判断されてしまうが、棚守氏の直訴により焼却は免れた。しかし本殿や大鳥居の彩色がすべて剥がし落とされて「白木造」に改められ、千木と鰹木が新設されるなどの「復古」が行われた。
- この際に、本地仏である十一面観音菩薩は大聖院に移され、納経については厳島神社に残された。鳥居を含む社殿が再び鉛丹による朱色に塗られるのは、明治41年(1908年)以降の大修理の際だという。
文化財
- 大内氏や毛利氏の武将を中心に、全国の武将からの奉納が多く見られる。毛利家では「大内家五名剣(千鳥一文字、荒波一文字、乱れ髪、菊造り、小林薙刀)」を納めたとする。
- 以下では刀剣類を中心に主なものを上げる。
国宝
- 平家納経
- 法華経(開結共)30巻、阿弥陀経1巻、般若心経1巻、長寛二年平清盛願文1巻
金銀荘雲龍文銅製経箱 1具
蔦蒔絵唐櫃 1合
→「平家納経」 - 太刀
- 銘「友成作」。「厳島の友成」
- 梨子地桐文螺鈿腰刀
- 中身に友成作と銘がある(附 蒔絵箱)
重要文化財
- 太刀
- 中身久国ト銘アリ(附 糸巻太刀拵)
- 短刀
- 銘長谷部国信(附 銀鮫柄蝋色刻鞘合口拵)
- 太刀
- 銘光忠(附 革柄蝋色鞘脇指拵)
- 太刀
- 銘備州長船住(一字不明)真(附 革包太刀拵) ※国真
- 太刀
- 表ニ備州長船住(一字不明)長作 裏ニ嘉元二二年十月日ノ銘アリ(社伝則長作)
- 太刀
- 銘一(附 糸巻太刀拵)
- 太刀
- 銘一(附 黒漆太刀拵)
- 刀
- 無銘伝雲次(附 革柄蝋色鞘打刀拵)
- 太刀
- 銘備中国住(以下不明) 延文三年六月日
- 太刀
- 銘包次(附 黒漆半太刀拵) 「新髭切」
- 太刀
- 銘清綱(附 野太刀拵)
- 太刀
- 銘文永二年三月清綱(附 革包太刀拵)
- 大太刀
- 銘備後国住人行吉作
- 刀
- 銘談議所西蓮(附 打刀拵)
- 錦包籐巻太刀、錦包籐巻腰刀 刀身欠
- 革包太刀
- 中身貞和二年云々トアリ ※備中国青井助次助家作貞和二年(以下不明)
- 鍍金長覆輪太刀
- 鍍金兵庫鎖太刀
- 5口
- 木地塗螺鈿飾太刀
- 漆絵大小拵
- (陣刀)(小柄前欠)。伝毛利輝元奉納。※拵の中身は、大(刀)が無銘 伝・兼光、小(脇指)が無銘 伝・青江吉次。広島県の文化財 - 漆絵大小拵(陣刀) - 広島県の文化財 | 広島県教育委員会
大聖院(だいしょういん)
- 宮島の大聖院は、厳島神社の南側奥にある真言宗御室派の大本山の寺院。山号は多喜山(滝山)。
- 宮島で最古の歴史を持つ寺院であり、厳島神社の別当寺として祭祀を司り、社僧を統括してきた。明治維新後の神仏分離令により厳島神社が神式に改められるにあたって大聖院として分離された。
- 大聖院は、中国三十三観音第十四番札所、山陽花の寺二十四か寺第一番札所や、広島新四国八十八ヶ所霊場第八十七番札所でもあり、紅葉の名所でもある。
- 観音堂本尊の十一面観世音菩薩、勅願堂本尊の波切不動明王のほか、三鬼大権現、七福神、一願大師など数多くの仏像が安置されている。
毛利元清奉行人連署厳島社宝蔵宝物預り注文(抜)
御寶藏寶物預り申注文
一、千鳥 毛利殿御父子御寄進
一、荒波 同
一、亂髪 同
一、小林長刀 同
一、地藏信國 同(隆元御寄進)
一、新髭切 元長御寄進
一、稲光御太刀 廣元御寄進
一、菊一文字御太刀
以上
桂少輔五郎
天正十年 元依(花押)
卯月十一日
山中木工助
就宣(花押)
棚守左近大夫殿
佐武右衛門尉殿
座主代
一乘坊
参
棚守左近衛将監殿
関連項目
- 一期第一
- 不動明王
- 乱れ髪
- 信国
- 光忠
- 六波羅館
- 兵庫鎖太刀
- 兼光
- 千鳥一文字
- 厳島の友成
- 友成
- 古備前派
- 名物
- 国宝
- 大内家五名剣
- 大太刀
- 太刀
- 小早川隆景
- 小林薙刀
- 左安吉
- 平家納経
- 平教経
- 彫貫盛光
- 新髭切
- 松平頼平
- 源氏
- 田中親美
- 社格
- 福岡一文字派
- 稲光
- 綱切筑紫正恒
- 荒波一文字
- 菊一文字
- 菊御作
- 蘭奢待
- 重要文化財
- 長谷部国重
- 集古十種
- 青江
- 骨食
- 鶯丸
- 「平家納経」
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