兼定(刀工)
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関兼定(せきのかねさだ)
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初代~3代
初代
- 初代兼定は、三阿弥兼則の子で兼長に学ぶ。
- 子の之定、孫の疋定と区別するために「親兼定」と呼ばれる。
二代:之定(兼㝎)
- 2代兼定は「定」の字を「㝎」(ウ冠の下に「之」を書く)と独特の書体で切ることが多いことから、「之定」(のさだ)と通称される。文亀二(1502)年以降のもの(二代目)からノサダとなる。
- 吉右衛門尉と称したとも伝える。
- 二代目は、孫六兼元と並び「末関」の双璧をなし、永正8年(1511年)に「和泉守」を受領する。永正元年銘に和泉守藤原兼定と見える。なお、刀工が守を受領するのは珍しく、兼定が初めてと言われる(神田白龍子「銘盡」)。
実際には、青江貞次が元弘3年(1333年)ごろに大隅権介、貞治2年(1363年)には大隅権守の受領名を拝領している。
三和泉:和泉守を受領した、兼定、井上和泉守国貞、和泉守兼重の三工をいう。
- 永正元年(1504)年には、2代兼定は「法華経普門品(観音経)」を絵入りで出版しており、これは現在大英博物館にしか現存しない。
- 永正5年(1508年)の年紀銘の脇差には和泉守がなく、永正8年(15011年)の年紀銘の剣には和泉守兼定と入る。和泉守受領はこの頃とされる。
- 切れ味も最上大業物とされ武家に愛好され、江戸期には「千両兼定」とも呼ばれた。有名なものでは、武田信虎、織田信澄、柴田勝家、細川忠興(三斎)、明智光秀などが所持したほか、池田勝入斎の「篠ノ雪」は高名である。
三代
- 3代兼定は銘の「定」字を「疋」と切ることから「疋定」(ひきさだ)と通称される。
和泉守兼定著名作
- 歌仙兼定
- 銘「濃州関住兼定作」細川幽斎、細川護立。財団法人永青文庫所蔵
- 武田信虎所持
- 銘「兼定/武田左京大夫信■所持」(信虎)。昭和14年(1939年)9月6日に重要美術品指定。東京大番町の末永一三氏蔵
- 鳴神兼定
- 信玄から穴山梅雪、久松松平定勝。子孫の松平定信が鎮国神社に奉納。
- 九字兼定
- 銘「和泉守藤原兼定作」。永正10年(1513年)前後の作
- 人間無骨
- 十文字槍、銘「和泉守兼定」森武蔵守長可所持。森家伝来。
- 是非共是成
- 「是非共是成/藤堂高虎帯之」藤堂高虎所持。高山神社。焼失
- 篠ノ雪
- 池田勝入斎、永井伝八郎(直勝)
- 立袈裟籠釣瓶
- 銘「濃州関住兼定作/金象嵌 立袈裟籠釣瓶 武州江戸於神田甲賀町出井 仁左衛門切之祐正(花押)」群馬県立歴史博物館蔵所蔵
- 号籠釣瓶
- 銘「兼定作/金象嵌 号籠釣瓶 小須賀帯刀喜政所持」岡山津山松平藩十万石の家老の所持という
- 君が盃兼定
- 「牛丸」福島正則から結城秀康
春畝 兼定- 脇差。春畝は伊藤博文の号。伊藤はこれを仕込み杖にして常に携帯しており、ハルビン駅で暗殺された際にも所持していたという。
- 石斫丸
- 河田景与、京都府知事槇村正直 →「石切丸」
- 猪ケ窟兼定
- 德川譜代大久保氏の祖先に伝来した二代兼定。銘「和泉守兼定/永正八年二月日」
- 剣
- 銘「和泉守藤原兼定作/永正八年辛未十二月二十七日」南宮大社所蔵。※永正8年は1511年
会津兼定
- 4代にあたる兼定が芦名家に招かれ、以降会津の地会津に移り「会津兼定」となる。その後領主は蒲生家、上杉家、保科正之(保科家)と移るが引き続きお抱えとなる。
- 作風は関伝を基調とするが、時に柾目肌の美しいものがある。切れ味は初代がもっとも良く「良業物」、二代はそれにつぎ「業物」となっている。
- 「会津兼定」の項参照
土方歳三
- 新撰組副長の土方歳三も和泉守兼定を使った。池田屋事件の後、近藤勇が送った手紙の中に次のように書かれている。
土方氏も無事罷在候。殊に刀は和泉守兼定二尺八寸、脇差は一尺九寸五分堀川國廣。
- 詳細は「土方歳三」の項参照
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