柴田果
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柴田政太郎(しばたまさたろう)
明治から昭和にかけての篆刻家、刀工、政治家
柴田果 刀匠
号 木鶏、紫陽花
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生涯
- 明治17年(1884年)秋田県雄勝郡
西馬音内 (現、羽後町西馬音内)の生まれ。 - 生家は代々続く素封家で、父の柴田養助氏は30年間羽後町長を務めている。
- 14歳頃から篆刻(印章の製作)を始める。長じて果の号を用い、その作品は犬養毅や張学良(張作霖の長男)らに愛用されるほどであった。犬養は「わが筆硯のあるところ果氏の印なかるべからず」とまで賞賛したという。
- 多芸多彩の人で知られ、一芸三年と称し剣道四段、柔道三段、秋田喜多流謡曲の重鎮であり、太鼓、書、俳句(俳号 紫陽花)などで活躍する。発明家としての面も持っており、割り箸製造機のほか30点に上る特許を取得、また秋田県儀も一期務めている。
- 思想家安岡正篤の影響を受けて尊敬しており、安岡が政太郎のことを「秋田の地に莽々蒼々の漢あり、これを木鶏と名づく」と雑誌に書いたことから木鶏を号にしたという。
- 昭和28年(1953年)3月12日没。
天才刀匠
- 祖父柴田多助氏の刀剣収集の趣味に惹かれて早くから鍛刀を行い、戦前戦中を代表する刀工となる。
- 古文献をあたり鎌倉時代ごろに絶えたとされる鍛刀法を復活させている。作刀では短刀が多く、刀は少ない。
- 昭和9年(1934年)の帝展に2位入選を果たす。帝展出品時には無名であったにも関わらず非常に出来が良かったために、左文字の作に自分の銘を切った盗作であるとまで言われ、かえって名前が知れ渡ったという。
- 翌年には新作日本刀共進会展で、出品五百点中の特別最優等賞を受賞する。その後も、総理大臣賞、特別賞、陸軍大臣賞など数々の受賞を果たし、皇室へ献上刀を納めるなどの栄誉を得ている。昭和12年(1937年)1月には大日本刀匠協会より「国工」の称号を授与されている。
- 昭和17年(1942年)に栗原彦三郎が定めた現代刀匠の暫定位列表「聖代刀匠位列表」でも、最高位である「神品の列」に入っている。
- 昭和21年(1946年)には勅令第三〇〇号銃砲等所持禁止令」による第一回刀剣審査委員も務めている。
- 長男の柴田清太郎氏も刀匠として知られ、昊(こう)の銘を切る。
小夜左庵
- 名物「小夜左文字」を所持していたことで知られ、愛するあまり自らの茶室に「小夜左庵」の庵号をつけている。
彼が最も愛していたのが名物小夜左文字の短刀で、これによって小夜左庵と号していた。そして、これに並ぶものに古備前正恒、粟田口国吉(小夜左庵国吉)の太刀があり、三口ともに重文である。(本間順治「懐かしい人々」)
刀剣
- 小夜左文字
- 享保名物。重要文化財。所持当時は重要美術品指定。
- 小夜左庵国吉
- 太刀、銘「国吉」長二尺四寸(72.2cm)。鎬造り、直刃、鋩子は小丸。なかご少し磨上。裏に三鈷剣の彫りが入る。紀州徳川家に伝来したもの。のち東京の大橋不二雄氏蔵を経て柴田果刀匠所持。昭和14年(1939年)9月6日に重要美術品認定。号は茶室庵号にちなむ。昭和27年(1952年)7月に重要文化財指定。
- 短刀
- 銘「相州住秋廣/慶安三」。昭和11年(1936年)9月12日重要美術品認定。熊本県長崎伊太郎旧蔵。
- 太刀
- 銘國村。昭和12年(1937年)2月16日重要美術品認定
- 刀
- 無銘(伝片山依眞)。昭和12年(1937年)12月14日重要美術品認定
- 太刀
- 銘正恒。昭和14年(1939年)文部省告示第337號で旧国宝指定。昭和18年(1943年)7月3日譲渡。旧蔵羽根田両吉。
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