長船派
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長船派(おさふねは)
備前物のうち、鎌倉期後期以降に興った刀工集団。
備前国邑久郡長船を拠点とした。
「長船」「備前長船」
長光・景光・真長を長船三作とする
天正18年(1590年)8月の吉井川の大氾濫により、壊滅的被害を受け衰退する。
(古備前正恒系)近忠─┬─光忠──左近将監長光──景光──兼光 └─景秀 古今銘尽では長光には同名2代(順慶長光)あったとする。 政光は兼光五男
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長船鍛冶の起源
- 長船鍛冶が刀銘に住地を切るようになったのは鎌倉中期以降で、それ以前に付いては住地は確たることはわからない。
- 刀銘における長船の初見は光忠に始まる。光忠の父、近忠の時代には住地に「長船」と村名を切ることはなかったため、光忠が事実上の長船派の祖となる。
- 光忠の子、長光には高木長光「文禄十一年十月二十五日」とあり、また同時代とされる二代守家には文永六年作に「福岡住」、文永九年の作には「長船住」とあり、この間に備前福岡から備前長船に移住したものとされる。移住の原因は、同地区を縦断する吉井川の流れの変化に拠るものではないかとされている。
- なお銘の「長船」については、「長舩」と略自体で彫る。当サイト内では検索等の便宜上、「長船」と表記する。
長船四天王
著名刀工
鎌倉
光忠
景秀(かげひで)
左近将監長光(さこんしょうげんながみつ)
- 著名刀は「長光」の項参照
真長(さねなが)
- 著名作は「真長」の項参照
真光
真利(さねとし)
- 鎌倉時代
- 太刀
- 銘「備前國長船真利造」長2尺6寸5分(79cm)、反り2.4cm。目釘孔3個。寛永14年(1637年)2月に島津家久(忠恒)から島津光久へと贈られた御譲道具。島津家の売立で13189円の値がつき、三井家に渡る。昭和11年(1936年)9月18日重要文化財指定。
- 太刀
- 銘「真利」昭和17年(1942年)6月26日重要文化財指定。個人蔵
末守
- 鎌倉中期とされる。
鎌倉末
左兵衛尉景光
兼光
- 初代は「孫左衛門」
- 二代目は古刀最上作にして最上大業物。「延文兼光」と呼ぶ。身幅が広く、相州伝を加味していることから相伝備前と呼び、正宗の弟子(正宗十哲)とする。
- 古刀最上作
- 子の系統が長船鍛冶の嫡流として多くの刀工を輩出し、戦国末期まで繁栄を謳われた。
- 著名作:波泳ぎ兼光、大兼光、甲割り、鉋切り兼光、福島兼光、竹俣兼光、後家兼光など。「兼光」の項参照。
倫光
国宗
- 著名作は「備前三郎国宗」の項参照
義光
- 太刀
- 銘「備州長船住義光/建武二二年十二月日」二尺五寸四分(76.8cm)。生ぶなかご、目釘孔2個。伊達綱村が延宝3年(1675年)仙台へ初入国のときに亀岡八幡宮に奉納したもので、寄進状が附く。建武4年は1337年。大正3年4月17日旧国宝指定。亀岡八幡神社所蔵
重光
- 同名数代。
- 義光の弟子
- 太刀
- 銘「備州長船重光」長二尺七寸二分(82.7cm)。鎬造、庵棟。長寸で反りは高く、中鋒つまる。鋩子は乱れ込み尖りぎみに浅く返る。彫物は棒樋、区際で丸止めとなる。茎は生ぶ。目釘穴4個。大正10年4月30日旧国宝指定。熱田神宮
南北朝時代
長義系(長重・長義・兼長)
- 長重:長義の兄という。建武元年、貞和五年など。
- 光徳の短刀
- 銘「備州長船住長重/甲戌」(建武元年)と在銘。本阿弥光徳の差料。光山押形所載。重要美術品。長八寸六分。中心うぶ。高木復旧蔵、本阿弥猛夫氏所持。昭和17年(1942年)6月26日重要文化財指定、昭和28年(1953年)11月14日国宝指定。
- 太刀
- 銘「備州長船住長重作/建武二年八月日」昭和12年2月16日重要美術品指定、木村巳之吉所持。
元重系(元重・重真)
- 初代元重:二代元重と区別するために「古元重」と呼ばれる。備前ではなく伯耆元重とされる。
- 二代元重:貞宗三哲。中古刀上々作。「備州長船住元重」貞宗門人とされ、貞宗三哲とも呼ばれる。伯耆日原出身で備前真光の弟子となる。
- 著名作は「元重」の項参照
新興鍛冶(小反り物)
- 守景、守光、光弘、重吉
- 秀幸
- 幸景
- 太刀
- 銘「備州長船幸景/応永三十年 月日」長63.8cm、反り2.3cm。岡山県立博物館所蔵
- 小太刀
- 銘「備州長船幸景/応永三十年八月日」。長59.1cm、反り2.2cm。岡山県指定重要文化財。なかご生ぶ。栗尻。目釘孔2個。
大宮系(盛景・盛重)
- 国盛:文応ごろ。京都大宮住国盛の孫
- 助盛、盛助、盛重、盛利、盛近、盛恒、盛次、盛景、景政、景良、師景、師実、重国、重高など
- 盛重:初代は元応から末は永正頃まで6代
- 盛景:延文~永享頃まで3代
- 師景:康暦~応仁頃まで3代
- 日枝神社蔵
- 太刀 銘「師景」。長二尺三寸三分。宝暦10年10月6日に将軍家治が将軍宣下の奉告祭礼の折に奉納したもの。附糸巻太刀拵は江戸中期のもの。銘の字が判別しづらいため、従来「師光」と伝わっていた。
吉井派
- 為則、景則(三代)、清則(二代)、盛則(二代)、真則、則綱、則満、氏則、光則、吉則、盛次など
- 正和頃~享徳・長禄頃まで
- 備前道永派
- 出雲打(雲州道永派):応永頃の吉則、清則らが出雲へ根拠地を移す。永禄頃まで。
室町期
応永備前の三光(師光・康光・盛光)
- 光忠後裔
- 師光:中古刀上作
- 太刀
- 銘「師光」大正12年3月28日重要文化財指定。日枝神社所蔵 ※師景?
- 太刀
- 銘「備州長船師光/応永九年(以下不明)」昭和2年4月25日重要文化財指定。糸巻太刀拵附。北野天満宮所蔵
- 太刀
- 銘備「州長船(以下不明)(伝師光作)/明徳□年□」大正12年3月28日重要文化財指定。糸巻太刀拵附。金刀比羅宮所蔵
- 太刀
- 銘「備州長船住師光 応永十二年六月日」西尾市個人蔵
- 康光:赤松満祐が義則を殺害した刀。中古刀上作。
- 太刀
- 銘「備州長船康光/応永廿二二年二月日」大正7年4月8日重要文化財指定。二荒山神社所蔵
- 太刀
- 銘「康光」大正13年4月15日重要文化財指定。南宮神社所蔵
- 太刀
- 銘「康光」大正10年4月30日重要文化財指定。高知県掛川神社所蔵
- 太刀
- 銘「備州長船康光/応永三十年二月日」長二尺六寸一分、反り浅し。重要美術品。
- 太刀
- 銘「備州長船康光/応永三十二年三月日」昭和11年9月12日重要美術品指定、黒川福三郎所持。
- 脇差
- 銘「備州長船康光/応永丗(三十)年八月日」土浦市立博物館所蔵
- 脇差
- 銘「備州長船康光/文安五年八月日」土浦市立博物館所蔵
- 太刀
- 銘「康光」刃長二尺六寸一分、反り一寸。表裏に丸留の棒樋と添樋。
- 脇指
- 折返し銘「備州長船康光」刃長一尺五寸。津軽義孝伯爵所持
- 太刀
- 銘「康光」長71.8cm、反り2sm。鎬造り、庵棟。表裏に丸留の棒樋。表に梵字、棒樋。裏に護摩剣。なかご切る。目釘孔2個。
- 脇指
- 銘「備州長船康光」応永廿四年銘。昭和38年3月30日岡山県指定重要文化財。個人蔵
- 盛光:修理亮盛光、中古刀上作。師光の子という。
- 「彫貫盛光」
- 細川家伝来。
- 揚家伝来
- 讃岐牟礼村旧家、揚(あげ)家伝来二尺四寸五分「備州長船盛光 応永丗二年二月日」「伊勢天照大神 八幡大菩薩 天満大自在天」
- 長船七郎左衛門
- 「備前国住長船盛光作」「応永二年八月吉日 天正九年上摺之也」長船七郎左衛門尉祐定による切付銘
- 太刀
- 銘「備州長船盛光/応永廿三年十二月日」長二尺三寸一分、反り七分。表裏に棒樋、中心ほとんどうぶ。昭和8年10月31日重要美術品指定。
- 脇差
- 銘「備州長船盛光/応永十五年二月日」土浦市立博物館所蔵
- 大薙刀
- 銘「盛光」長107.8cm、反り3.2cm。寺伝では足利尊氏所持という。大正11年4月13日重要文化財指定。岡山県瀬戸内市の遍明院所蔵。岡山県立博物館保管
- 太刀
- 銘「備州長船盛光/応永廿三年十二月日」昭和24年2月18日重要文化財指定。個人蔵
- 脇指
- 銘「修理亮盛光」応永廿六年銘。長42.1cm、反り0.3cm。昭和35年8月23日岡山県指定重要文化財。個人蔵
- 盛光は康光とともに応永備前の双璧とされる
家助・家次・経家
- 新興の小反り鍛冶系統
寛正の則光
- 白鳥大明神
- 長禄三年作「白鳥大明神」
- 太刀
- 銘「備前國長船左衛門尉藤原朝臣則光/於作州鷹取庄黒坂造/鷹取勘解由左衛門尉菅原朝臣秦佐打之/長禄参年己卯十二月十三日」長二尺二寸四分五厘、反り六分四厘。重要美術品。表裏上部に棒樋に添樋。下半に二筋樋。うぶ中心。昭和13年5月10日重要美術品指定、河瀬虎三郎氏所持。
- 刀
- 銘「備前国長船住左衛門尉藤原朝臣則光/於作州鷹取庄黒坂造/鷹取勘解由左衛門藤原朝臣泰佐打ス/長禄三年己卯十二月十三日」長68.1cm、反り2.0cm。鎬造、庵棟、先反りごころ、中鋒。彫り物表裏に棒樋に添樋。丸留、下に梵字、護摩箸を掻通す。茎生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔2個。昭和33年2月8日重要文化財指定。
法光
- 応安ごろに初代、応永ごろに二代。四郎左衛門尉、左衛門尉などを切るものもいる。
- 短刀
- 銘「備州長船法光/永正二二年八月」刃長七寸四分。菅沼俊子所持。
- 大太刀
- 銘「備州長船法光 生年三十三/文安三年八月日 薬師寺弥五郎久用 生年廿一歳」文安3年は1446年。平成6年4月5日岡山県指定重要文化財。吉備津神社所蔵、岡山県立博物館寄託
近景
重吉・重家
- 景秀の子に重吉あり、その二代目重吉の子が重家(貞治)
戦国期:末備前
永正備前:祐定
- 祐定:同名で60余人。
- 横山祐定
- 寛文新刀
- 剣
- 銘「祐定」長91.5cm、鉾先3.1cm、元幅5.8cm、先幅5.6cm。寛文9年(1669年)備前岡山藩主池田綱政が鏡石神社に奉納したことが銘に刻まれている。昭和55年4月8日岡山県指定重要文化財。備前市八木山・鏡石神社所蔵、岡山県立博物館保管
末備前
- 勝光・宗光:一族六十余名とともに江州出陣を命じられている。
義煕、浦上則宗に命じ、備前の刀工長船勝光・同宗光等を鉤の陣に召さしむ、是日、勝光等上洛す、
(大日本史料 長享2年(1488年)8月20日条)八月廿二日、不参、天快晴、三條與三郎話云、一昨日長船勝光・宗光一當、自備前上洛、凡六十員、千草鐵廿駄、人數百人許有之、蓋依鈎之御所尊命、自浦上方召上之云々、
九月廿一日、天快晴、乃出御陳、在御對面所備州長船勝光・宗光鍛冶飽見之
(蔭涼軒日録)
- 勝光
- 初代応永~7代元亀。4代右京亮勝光が高名。
- 4代右京亮勝光:永享7年生まれ。長享2年(1488年)には義尚の近江出陣に赤松政則の命を受けて出陣している。「於江州御陣作之」。翌年帰途京都でも鍛刀。明応まで製作。末古刀最上作
- 初代応永~7代元亀。4代右京亮勝光が高名。
- 太刀
- 銘「備前国住長船右京亮勝光/文明十六年二月上吉日」刃長二尺二寸九分弱、反り六分強。佩表に「天下泰平国土安穏」、裏に「富貴万福皆令満足」と刻字。
- 刀
- 銘「備前国住長船右京亮勝光 同左京進宗光児島作/文明十六年辰八月吉日」倶利伽羅竜。
- 太刀
- 銘「備前国住長船勝光宗光 備中於草壁作/文明十八年拾二月十三日」刃長二尺八分、反り七分。佩表に独鈷剣、丸留の棒樋、佩裏に「摩利支尊天」の刻字。
- 左京亮宗光:4代右京亮勝光の弟。
- 次郎左衛門尉勝光:4代右京亮勝光の子。文亀~享禄年間。「朝嵐勝光」
- 脇差
- 銘「備前国住長船次郎左衛門勝光左京進宗光/永正二年八月吉日」刀身表に「五大力菩薩ごだいりきぼさつ」、裏に「八幡大菩薩」の彫刻。坂本龍馬愛刀。
- 脇指
- 銘「備前国長船次郎左衛門尉勝光/永正十年八月吉日」黒糸柄蠟色鞘脇指。刃長一尺六寸八分。津軽義孝伯爵所持
- 修理亮勝光:次郎左衛門尉勝光の子。
- 藤左衛門勝光
- 則光・忠光・清光らが活躍
忠光
- 乃木大将所持
- 乃木希典が佩用した軍刀。長船則光・忠光の合作の大脇差。差表に櫃のなかに独鈷、その上に梵字。裏に蓮華の上に爪つき剣の彫刻。
- 太刀
- 銘「備前国住長船忠光/延徳元年八月日」刃長二尺一寸九分五厘、反り七分。佩表に剣巻竜、裏に「八幡大菩薩」の刻字。
- 太刀
- 銘「備前国住長船平右衛門尉藤原忠光同又四郎作之/文亀二年壬戌二月九日」刃長二尺六分、反り六分五厘。佩表は丸留の棒樋のなかに剣巻竜、裏は丸留棒樋。
- 刀
- 銘「備州長船忠光/長享二年二月日」刃長一尺八寸五分五厘、反り六分五厘。表裏に棒樋の掻き通し。鞘書き「備前国長船忠光 健全無比之優作也 昭和三拾五庚子年八月吉日於仙川寓居宮形東雲」
- 脇指
- 銘「備州長船忠光/延徳三年八月日」刃長一尺九寸八分。津軽義孝伯爵所持
清光
- 清光数代あり。
- 備州長船清光:嘉吉頃
- 備州長船勝兵衛清光:文明頃
- 五郎左衛門尉清光:天文頃。最も優れる。
- 備前長船国住源五郎清光:弘治頃。五郎左衛門尉清光の一族という
- 備前国長船住孫右衛門尉清光:天文頃。五郎左衛門尉清光の子という
- 備前国住長船与三衛門尉清光:五郎左衛門尉清光の子という
- 備前国住長船孫兵衛尉清光:五郎左衛門尉清光の一族という
- ほかに左衛門清光(天文頃)、甚助清光(天文頃)、左兵衛尉清光(天文頃)、三郎左衛門清光(永禄頃)、弥右衛門清光(永禄頃)、新拾郎清光(天正頃)、孫兵衛清光(天正頃)、七郎右衛門清光(天正頃)、八右衛門清光(天正頃)などがいる。
- 刀
- 銘「五郎左衛門清光/天文二十一年二月日」。長二尺一寸八分。桂小五郎(木戸孝允)所持。
- 刀
- 銘「備前国住長船源兵衛尉祐定作/天正五年八月吉日」棕櫚毛塗鞘打刀拵が附く。長69.6cm、反り1.8cm。目釘孔2個
- 刀
- 銘「備前国住長船五郎左衛門尉清光/天文廿四年八月吉日」長2尺2寸6分半。重要刀剣。刀剣博物館所蔵
- 刀
- 銘「備前国住長船孫右衛門尉清光/為日笠次郎兵衛尉頼房作之 永禄十年八月吉日」長68.5cm、反り1.9cm。
終焉
- 急増する需要に応えるために鍛冶も膨張し、「鍛冶屋千軒、打つ槌の音に西の大名が駕籠止める」と俗謡に残る。
- 「注文打ち」と「数打ち」に仕分けされ、大量の注文、既成品として販売するためのものは数が優先され手が抜かれた。こうして末備前物に名刀が少なくなり、長船に陰りが見え始める。
- さらにこの時期に未曾有の洪水が起こり、長船は壊滅的な被害を受ける。時期については、早いものでは大永、多く指摘されるものでは天正16年、天正18年、天正19年などがある。天正頃にはほとんど壊滅したまま新刀期を迎えた。
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