備前物
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備前物(びぜんもの)
- 古くは平安時代中期白根安生
- 平安末期には古備前派が興る。
- 鎌倉期には、福岡に福岡一文字派
- 鎌倉末期吉岡の地に吉岡一文字派が興るが、室町期以降は長船派に押される。
- 銘の「備」の字は、多くが人偏に"久"の第二画の横棒を省いたもの(ノに人を組み合わせた形)の下に、"用"を組み合わせた略自体で彫る。
- 友成と正恒が代表とされ、続いて包平、助平、信房、助包、吉包、利恒、真恒等が挙げられる。
- 包平、助平、高平が備前三平と呼ばれる。
- 古備前正恒系の刀工である定則の子・則宗を祖とする。
- 御番鍛冶13工のうち、7工を出した。
- 則宗、助宗、宗吉、吉房
- 助宗は「大一文字」と呼び、その子の助則は「小一文字」と呼ばれる。
国宗派
- 備前三郎国宗
- 備前国真の子、備前国真の次男、三男。備前国貞の弟。
- 初め備前福岡吉井の住人。後鳥羽院に召されて上京し、東三条または油小路に住した(20歳の頃という)。
- 鎌倉から新藤五国光が上京してきて師事したともいう。逆に國宗が鎌倉に下向し弟子にしたとも。鎌倉では山内に住す。
- 正和2年(1313年)に”注進物”を選定する際に、備前三郎国宗と了戒はとくに切れ味が良かったとされる。
- 著名作:「旗守り」、「袖狭(そでせば)」、「南泉」、「天光丸」などが伝わる。
- 門人:新藤五国光、伯耆国宗。
吉岡一文字派
正中一文字
- 正中の(1324~1326年)ころに備前和気郡岩戸庄に住した。吉岡一文字助吉の門人である佐兵衛尉吉家や佐兵衛尉吉氏らが鍛刀した。天神山城によって北朝に加担した。ほかに吉守、吉景、吉利、吉定などがいた。
- 短刀
- 銘「吉景」刃長八寸七分。菅沼俊子所持。
岩戸一文字
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