小竜景光
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小龍景光(こりゅうかげみつ)
太刀
表銘 備前国長船住景光
裏銘 元享二年五月日
号 小龍景光
刃長74cm、反り2.9cm、元幅2.9cm、先幅2.1cm、鋒の長さ4.5cm。
総長100.7cm
附 茶皺革包太刀拵
国宝
東京国立博物館所蔵
- 鎬造、庵棟、腰反り、踏張り残る。帽子小丸、僅かに尖りごころがある。
- 表裏に丸止の棒樋を掻き、樋中表腰に寸の詰まった倶利迦羅、裏同じく梵字の陽刻が彫られている。
- なかご磨上げ、先栗尻、鑢勝手下がり。目釘孔3個、表なかご先に「備前国長船住景光」と長銘、裏棟寄り年紀銘が入る。
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由来
- はばきもとに精緻な倶梨伽羅竜の彫り物があることからこの名がついた。
- また元は二尺七寸ほどあったものが、磨上(刀の茎を切りつめて全長を短くする加工)されているために倶利伽藍竜が柄に隠れてしまい、僅かに竜の頭だけが顔を出していることから、「のぞき龍景光」とも呼ばれている。
- 楠木正成の佩刀であったと伝えられていることから「楠公景光」、「楠籠龍ノ太刀」の異名もある。
ただし楠木正成の佩刀であったとする文書などは見つかっていない。あくまで刀に付随した伝承に過ぎない。
来歴
河内の農家
中村覚太夫→網屋
- その後幕府の代官中村覚太夫(八太夫)が買い取った。
備前國長船住景光
元享二年五月日
長サ二尺四寸三分ヨ、反リ九分半
弘化三丙午三月十日銀座貳町目あミ屋惣右衛門悴惣之助持参也、御代官御勤被成候中村八太夫御所持也。角宗。彦根様江上ル也。
山田朝右衛門吉昌
- のち山田朝右衛門吉昌(号 松翁)が、土佐藩と張合った末に当時の貨幣で五万両を出し買い上げたという。
井伊家
- 弘化4年(1847年)朝右衛門吉昌の義兄弟三輪徳蔵を召し抱えるという条件で、大老井伊直亮に召し上げられる。
丙午三月十日、網屋惣之助持参、彦根様江上ル也
- 井伊直亮の養嗣子となっていた井伊直弼に伝わる。
井伊直弼は直亮の実弟。弘化3年(1846年)、第14代藩主で兄の直亮の世子となっていた井伊直元が死去したため、兄の養子という形で彦根藩の後継者となり、嘉永3年(1850年)11月21日兄直亮の死去を受け家督を継いで藩主となる。直亮、直元、直弼は、みな井伊直中の子で兄弟。
山田朝右衛門吉利
- 嘉永4年(1851年)井伊直弼の決定により三輪徳蔵は暇を申し付けられ、刀も山田家に返却された。
山田朝右衛門6代吉昌は嘉永5年(1852年)6月没。跡を朝右衛門吉利が継いでいる。なお山田浅右衛門家は、5代吉睦が「朝右衛門」を名乗ったため、その後は朝右衛門を名乗りとする。
明治天皇
- 明治6年(1873年)4月、山田朝右衛門吉利(号 和水)から当時東京府知事であった大久保一翁を通じて宮内省に献上され、明治天皇の佩刀(御物)となった。父松翁(6代吉昌)より受け継いだものだと言い、この時は「楠正成所持刀」ということが前面に押し出されている。
備前國長船住景光 長二尺四寸五分
元享二年五月 日
右ハ楠正成卿帯品小龍ト稱、井伊家傳來ノ處有、故父松翁時ヨリ所藏仕居私譲受候品ニ付蒙御高恩候爲、冥加可成ハ獻上仕度、此段宜奉願候以上
明治六年三月十四日 山田和水
東 京 府
御 中
- 同年5月2日付けで宮内省より金五百圓が下賜されている。
一、金五百圓也 山田和水
右者先般景光古劔獻納致候ニ付、同人江被下金御廽申候間、御渡方冝御取計有之度因而此段申入候也
明治六年五月二日 宮 内 省
東 京 府
御 中
- 明治天皇はこの名刀を気に入られサーベル拵をつけ常に佩用されたという。
山岡鉄舟が買い取り献上したともいう。しかし鉄舟は自らの刀がないほど困窮していた時代もあり、明治新政府に出仕していたとはいえ景光を購入するほど金回りが良かったのかについては疑問が呈されている。
東博
模造刀
- 山田朝右衛門の元にあった時に、二度写しが作られている。
弘化4年作
楠正成所持効景光作 備前介宗次
弘化四年二月日 彫宗寛
- 「効」は”倣う・模倣する”を意味する。「宗寛」は固山宗次の門人。
文久2年作
備前國長船住景光
元享二年五月日
(棟銘) 文久二年五月 応山田吉年好 備前介宗次寫之
- 弘化4年は1847年、文久2年は1862年。1口目は井伊家に渡る前であり、2口目は井伊家より戻ってきた後であるとされる。ともに固山宗次作
- 発注者は、弘化4年が六代朝右衛門吉昌、文久2年は七代朝右衛門吉利(吉年)。「山田浅右衛門」の項参照。
- 弘化4年のものは、磨上る前の姿を模しており竜の彫刻が鐔の下に隠れていない。いっぽう、文久2年のものは、磨上た後の姿を模しており、現物そっくりの姿となっている。
- 文久2年のものは昭和44年(1969年)の「武将とその名刀展」では田口儀之助氏蔵。
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