天王寺屋会記


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 天王寺屋会記(てんのうじやかいき)

茶会記録の書物

Table of Contents

 概要

  • 堺の豪商、天王寺屋津田宗達、津田宗及、津田宗凡および江月宗玩の三代に渡る茶会記録。
                 半井慶友──半井云也  ┌半井卜養
                         ├───┴半井翠巖
    【天王寺屋】            ┌南窓榮薰禪尼
    ┬津田宗柏─┬津田宗達──津田宗及─┼津田宗凡
    └津田了専 ├津田宗閑       └江月宗玩
          ├津田了雲
          └津田道叱
    
    
  • 年月日、場所と出席者、さらに披露された茶道具などが丹念に記載される。こと名物道具に関しては、初見であるか否か、以前誰が所有していたものかなどについても記録している。
  • 信長進出前に畿内を抑えた三好一族、さらに信長が推進し秀吉が継承した「御茶湯御政道」によって多くの戦国武将が茶会に参加しており、貴重な記録となっている。
  • ※古くは「津田宗及茶湯日記」と呼ばれていたが、昭和30年(1955年)に「茶道古典全集」に収録された際に、その実態に沿った名称へと改題された。

 内容

  • 下記内容の16巻からなる(宗凡および宗玩で1巻)。
津田宗達
  • 天文17年(1548年)~永禄9年(1566年)の自他会記各2巻
    「茶湯并唐物拝見之事」
津田宗及
  • 永禄8年(1565年)~天正15年(1587年)の他会記4巻
  • 永禄9年(1566年)~天正15年(1587年)の自会記5巻
  • 永禄9年(1566年)~元亀3年(1572年)の道具拝見記1巻
  • 天正11年(1583年)~天正15年(1587年)の大坂での自会記1巻
津田宗凡
  • 天正18年(1590年)の他会記 ※1巻
江月宗玩
  • 元和元年(1615年)~元和2年(1616年)の他会記 ※1巻

 三大会記のひとつ

  • 「三大会記」とは、「天王寺屋会記」、「松屋会記」、「宗湛(そうたん)日記」の三つの茶会記をいう。「今井宗久茶湯日記書抜」を加えて四大会記ともいう。
    「松屋会記」は奈良の商人松屋久政による茶会記、「宗湛日記」は博多の商人神屋宗湛による茶会記。

 来歴

  • 三代に渡って記録された茶会記は、宗凡の死後に江月宗玩へと受け継がれ、その後も龍光院にあった。元禄期に小田原藩主の稲葉正則が譲渡され秘蔵した(のち淀藩主)。明治35年(1902年)に稲葉正縄子爵から松浦詮伯爵に(15巻)贈与された。
    松浦詮の三男・稲葉正縄が、淀藩主・稲葉正邦の養子となった関係。

    稲葉家にある時、うち1巻(宗及茶湯日記自筆本「自天正七年至同十一年他会記」)が同家を出たが、これはのち馬越恭平の所蔵となっている。
  • なお古くより写本が作られており、国会図書館所蔵本(槇樹文庫)は、堀田大学頭俊秀(正俊三男)が稲葉正則から借りて写したものと、紀太牛(木地翁)が稲葉正通から借りて写したものを校合したものとされ、それが木下内蔵頭俊長に与えられ、高橋某が所蔵していたものを水野忠篤(秦々斎)が書写したものとされる。


 主な名物の記述

  • 当時茶会において、茶器に限らず様々な名物を賞翫することが広く行われている。

 天文19年(1550年)7月2日

  • 竹田與四郎の槍拝見

    竹田與四郎槍 宗達宿ニて拝見

    源氏定?

 弘治4年(1558年)9月21日

吉平ノかたな めい太刀之方ニ在

 元亀2年(1571年)三月四日

同四日朝 針ヤ彦六會
一 於道三 蘭奢待見申候 少給候
一 於東福寺 納屋宗久振舞アリ 京中上下之衆不賤被来候
  宗及左文字ノ刀 宗久ノ西村ニ遣候
  宗久備前兼光ノ脇指 慶佐ニ被遣候
   其他小袖 又キ花扇ナド方々ニ遣候

  • 針ヤ:針屋彦六(針屋宗和)、西村:宗久の家来、慶佐:宗及の執事

 天正元年(1573年)正月廿三日朝

油屋常祐會 紹可 宗久
信國ノ刀見申候 二尺アリ ヒアリ ヤキバ亂タリ

 天正8年(1580年)二月二十二日

信長が茶会の席で自慢の名刀を披露したもの。前半が短刀14口、後半が太刀8口。

同二月廿二日 上様御前ニて 於京都
御脇指 十四腰 御腰物 八腰
 薬研透吉光  ※本文注「薬研透シハ足利義満所持ノ名刀」 (薬研藤四郎
 無銘藤四郎 (大坂無銘藤四郎
 アラミ藤四郎 (大坂新身藤四郎
 北野 同  (北野藤四郎
 上龍下龍 正宗 (上り竜下り竜正宗
 大トオシ 正宗 (大通し正宗
 左文字 ハガ道祐所持
 左文字 尾州ヨリ出申候
 吉光 越前朝倉 (朝倉藤四郎
 吉光 アラミニ似タリ
 ゴウ 森川所持也 (森川郷
 国吉 ヌケ国吉 安宅摂津所持也 (抜国吉
 国行 佐々木殿所持
      前宗達三好下野へ参候
 国次
 
  御腰物分
 不動国行 松永進上 (不動国行
 正宗 ウチイ五郎入道 油やニ質ニ有之タル也
 光忠 三好実休 (実休光忠
 光忠 越前朝倉
 小光忠
 長儀 (長義
 信国 三好宗三所持従油屋被召上候  (宗三信国
 長光 香西長光 (香西長光
   已上

 天正9年(1581年)四月十二日

  • 地蔵行平

     同四月十二日之朝 長岡與一郎殿之振舞
    一 御人数 惟任日向守殿父子 三人
      長岡兵部太夫殿父子 三人
      紹巴 宗及 宗二 道是
    一 御酒半ニ 地蔵行平太刀 従與一郎殿
      日向殿へ御進上候也

 天正9年(1581年)十一月十二日

  • 若江正宗

    同十一月十二日朝 多良尾常陸會
     爐ニひらぐも平釜ツリテ  長坂ニ雷盆
     迫門茶碗
    一 正宗ノ脇指持出テ見せられ候 前ニ十河殿(十河一存)所持之脇指也メイナシ

    • 多羅尾常陸介綱知が、前は十河一存の所持していたという無銘正宗を披露している。

 関連項目


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