朝倉藤四郎
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朝倉藤四郎(あさくらとうしろう)
- 享保名物帳所載
朝倉藤四郎 在銘長七寸八分 代金百枚 御物
昔越前の朝倉左金吾義景所持なり輾々として後ち青山大蔵殿所持にて代千枚なり、慶安元年井伊兵部殿より来り六十枚になり稲葉美濃守求めらる、天和元年正月以来代金百枚になり隠居の時上る
由来
- 朝倉義景所有にちなむ。
- 「左金吾」とは左衛門督のこと。
来歴
朝倉義景
- 越前を領した朝倉義景の所持した短刀。
- 義景が永禄2年(1559年)に京都に上った際に、細川伊豆守が所持していた短刀を買い求めたもの。
この細川伊豆守は足利義晴の御供衆で、一説に細川幽斎の養父だという。「寛永諸家系図伝」編纂の際に細川忠興が提出した文書には、「幽斎ハ、細川伊豆トヤラン、細川刑部少輔トヤランニヤシナハレ、御供衆ニ罷成候」とあり、これが細川高久(伊豆守)であるとする。
青山幸成
- その後転々とし、青山大蔵少輔幸成(遠江掛川藩、摂津尼崎藩、郡上藩)が購入し所持。このとき代千貫(25枚)。
井伊直勝
- 慶安元年、井伊兵部(井伊直勝)から鑑定依頼が来たため金60枚とした。
稲葉正則
- その後稲葉正則(稲葉正勝の子)が買い求めた。天和元年に再度鑑定に出され百枚に格上げされた。
御物
金百三拾枚 朝倉藤四郎
七分九分、兩方棟の小先に疵あり、右元和元年稲葉美濃守より來る百枚 折紙あり、右寳永四年御物となり二百枚に代上る
(留帳)
- 子の稲葉正往が天和元年(1681年)に京都所司代となり上京し、天和3年(1683年)に父の稲葉正則が隠居すると、家督を相続した。
将軍家
- 天和3年(1683年)6月18日、5代将軍徳川綱吉に隠居の挨拶を行った際に、この「朝倉藤四郎」は献上された。
- 寛政2年(1790年)4月に上覧。
四月廿四日、左之御道具
上覧ニ相廻ル、御名物御道具、是者帳面ニ而、
一、朝倉藤四郎吉光
是ハ朝倉義景所持、其後青山大内蔵所
持ニ成リ、慶安元年白井(井伊)兵部所持、稲
葉美濃守江送ル、天和三亥年六月十八
日隠居御礼之時上ル
戦後
- 昭和44年(1969年)の「武将とその名刀展」では角替利策氏蔵。
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