武家官位
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武家官位(ぶけかんい)
主として戦国期から江戸期にかけ武士が任官または自称した官位(官職と位階)をいう。
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室町末期の武家官位制
- 室町幕府の武家官位は室町将軍家と一部の大名に限られていた。
- その後、織田信長とその一族が武家官位に叙任される。
- 羽柴秀吉の関白、太政大臣就任に伴い、まず羽柴一族の武家官位叙任が行われ、並行する形で有力大名統制を目的とした武家官位整備が行われた。
主な人物の武家官位
年 | 人物 | 官位 |
永禄8年(1565年) | 足利義輝 | 従三位、参議左近衛中将 |
北畠具教 | 正三位 | |
姉小路良頼 | 従三位、参議 | |
天正10年(1582年) | 織田信長 | 正三位、内大臣、従二位、右大臣、正二位 |
織田信忠 | 従三位・左近衛中将 | |
足利義昭 | 従三位・権大納言、准三后 | |
天正12年(1584年)2月 | 徳川家康 | 従三位参議 |
天正12年(1584年)11月 | 羽柴秀吉 | 従三位権大納言 |
天正13年(1585年)3月 | 羽柴秀吉 | 正二位内大臣 |
天正13年(1585年)7月 | 羽柴秀吉 | 関白 ※天正13年9月に豊臣姓下賜 |
天正14年(1586年)12月 | 豊臣秀吉 | 従一位、太政大臣 |
天正16年(1588年)4月 (聚楽行幸時) | 織田信雄 | 正二位、内大臣 |
徳川家康 | 従二位、権大納言、左近衛大将・左馬寮御監【清華成】 | |
豊臣秀長 | 従二位、権大納言【清華成】 | |
豊臣秀次 | 従四位下、権中納言【清華成】 | |
宇喜多秀家 | 従三位・参議【清華成】 | |
天正16年(1588年)5月 | 上杉景勝 | 従四位下、参議【清華成】 |
天正16年(1588年)7月 | 毛利輝元 | 従四位下、参議【清華成】 |
天正18年(1590年) | 前田利家 | 従四位下、参議【清華成】 |
天正20年(1592年) | 徳川家康 | 【清華成】? |
慶長元年(1596年) | 徳川家康 | 正二位内大臣 |
文禄5年(1596年) | 小早川隆景 | 従三位、権中納言【清華成】 ※秀俊養子入 |
羽柴関白家
武家清華家(清華成)
- 「清華成」
- 概ね、従三位、参議以上。
- 清華成の時期に前後はあるが、天正16年(1588年)の上杉・毛利の清華成によってほぼ豊臣政権の性格は決定づけられたとされる。その後、天正18年(1590年)には前田利家が清華成する。
公家成
- 国持大名
- 正五位下少将、または従五位下侍従。
- 聚楽行幸時
前田利家(少将)
津侍従平信廉(織田信廉)
丹波少将豊臣秀勝(豊臣秀勝)
三河侍従豊臣秀康(結城秀康)
三吉侍従豊臣信秀(織田信秀、秀信)
左衛門侍従豊臣義康(里見義康)
東郷侍従豊臣秀一(長谷川秀一)
北庄侍従豊臣秀政(堀秀政)
松島侍従豊臣氏郷(蒲生氏郷)
丹後侍従豊臣忠興(細川忠興)
河内侍従豊臣秀頼(毛利秀頼)
越中侍従豊臣利勝(前田利勝)
源五侍従豊臣長益(織田長益)
松任侍従豊臣長重(丹羽長重)
岐阜侍従豊臣輝政(池田輝政)
曽根侍従豊臣貞通(稲葉貞通)
豊後侍従豊臣義統(大友義統)
伊賀侍従豊臣定次(筒井定次)
金山侍従豊臣忠政(森忠政)
井伊侍従藤原直政(井伊直政)
京極侍従豊臣高次(京極高次)
竜野侍従豊臣勝俊(木下勝俊)
土佐侍従秦元親(長宗我部元親)
敦賀侍従豊臣頼隆(蜂屋頼隆)
諸大夫成
- 豊臣譜代の諸将や小大名。
江戸時代の武家官位
- こうした傾向は秀吉政権の末期にさらに進み、公家が公卿から外れてしまい公武摩擦の不安定要因となった。
- そこで家康は慶長20年(1615年)7月、「禁中並公家諸法度」を定め、武家の家格に従って与えられる官位(位階と官職)を武家官位とし、これを公家の官位と切り離して員外官とした。
一 武家之官位者、可爲公家當官之外事。
- 江戸幕府は、秀吉時代の武家官位をさらに整備したうえで、大名・武家統制の手段として各大名家・武家の家格を定めた。
- 大名家に与えられる位階は、羽林家(公家における武官の家柄)に倣って五位、中でも従五位下とされた(五位諸大夫)。また一部の大名家・旗本については、特例として四位(四品)以上に昇叙することが慣例とされ、多くは従四位下に叙された(従四位下諸大夫)。
大名の家格
- 江戸時代の大名は、官位のほか、知行国の石高や江戸城中での伺候席などで厳しく統制され区別された。
家格
家格 | 説明 | 家名 |
国主 国持大名 | 一国以上の所領 | (本国持) 前田家、島津家、毛利家、鳥取池田家、蜂須賀家、黒田家、浅野家、岡山池田家、山内家、宗家、藤堂家、出雲松平家 |
(大身国持) 伊達家、細川家、鍋島家、有馬家、佐竹家、上杉家、越前松平家、南部家、津山松平家、柳沢家 | ||
準国主 国持格 | 半国以上の領地。国主に準じる | 伊予宇和島伊達家、柳川立花家、二本松丹羽家の3家 |
城主 | 国主・準国主以外で居城を持つ大名 | 彦根伊井掃部頭家、姫路酒井雅楽頭家、富山前田出雲守家、加賀大聖寺前田飛騨守家など |
準城主 城主代/城主格/城主並 | 親藩の支藩、大藩の分家、支藩 | |
無城 | 陣屋/居館 |
官位
家名 領国 | 伺候席 | 初任官位 | 極官 |
徳川宗家 - | - | 正二位内大臣 右近衛大将 征夷大将軍 | 従一位太政大臣 |
尾張徳川家 【御三家】 名古屋62万石 | 大廊下上 | 従三位中納言 | 従二位大納言 |
紀州徳川家 【御三家】 紀伊56万石 | 大廊下上 | 従三位中納言・宰相 | 従二位大納言 |
田安徳川家 【御三卿】 10万石 | 大廊下上 | 従三位権中将 | 従二位権大納言 |
一橋徳川家 【御三卿】 10万石 | 大廊下上 | 従三位権中将 | 従二位権大納言 |
清水徳川家 【御三卿】 10万石 | 大廊下上 | 従三位権中将 | 従二位権大納言 |
甲府徳川家 【御両典】 甲府25万石 | 大廊下上 | ※嗣子綱豊は6代将軍 | 正三位参議 |
館林徳川家 【御両典】 館林25万石 | 大廊下上 | ※嗣子徳松は将軍世子ののち夭折 | 正三位参議 |
水戸徳川家 【御三家】 水戸35万石 | 大廊下上 | 従三位中将 | 正三位中納言(黄門) |
加賀前田家 【国主】 加賀103万石 | 大廊下下 | 正四位下中将 | 従二位大納言 |
伊達家 【国主】 仙台62万石 | 大広間 | 従四位下少将 | 従四位上中将 |
島津家 【国主】 鹿児島72万石 | 大広間 | ||
井伊掃部頭家 【城主】 彦根35万石 | 溜詰 | 従四位下侍従 | 従四位上中将 |
松平肥後守家 会津23万石 | 溜詰 | ||
高松松平家 (水戸家御家門) 高松12万石 | 溜詰 | ||
越前松平家 (将軍家御家門) 【国主】 福井32万石 | 大廊下下→ 大広間 | ||
津山松平家 (将軍家御家門) 津山10万石 | 大広間 | ||
鳥取池田家 【国主】 鳥取32万石 | 大広間 | 従四位下侍従 | 従四位下少将 |
細川家 【国主】 熊本54万石 | 大広間 | ||
黒田家 【国主】 福岡47万石 | 大広間→ 大廊下上 | ||
広島浅野家 【国主】 広島38万石 | 大広間 | ||
毛利家 【国主】 萩37万石 | 大広間 | ||
鍋島家 【国主】 佐賀46万石 | 大広間 | ||
岡山池田家 【国主】 岡山32万石 | 大広間→ 大廊下 | ||
藤堂家 【国主】 安濃津27万石 | 大広間 | ||
蜂須賀家 【国主】 徳島26万石 | 大広間→ 大廊下 | ||
有馬家 【国主】 久留米21万石 | 大広間 | ||
佐竹家 【国主】 秋田21万石 | 大広間 | ||
山内家 【国主】 高知20万石 | 大広間 | ||
南部家 盛岡20万石 | 大広間 | ||
越前松平家 (将軍家御家門) 【国主】 松江19万石 | 大広間 | ||
上杉家 【国主】 米沢15万石 | 大広間 | ||
宗家 対馬10万石格 | 大広間 | ||
高須松平家 (尾張家御家門) 高須3万石 | 大広間 | ||
西条松平家 (紀州家御家門) 西条3万石 | 大広間 | ||
鷹司松平家 (久松松平御家門) 吉井1万石 | 大廊下上 | ||
越智松平家 石見6万石 | 大広間 | ||
水戸松平家 (水戸家御家門) 陸奥守山2万石 | 大広間 | 従四位下→ 家督翌年に侍従 | |
水戸松平家 (水戸家御家門) 常陸府中2万石 | 大広間 | 従四位下→ 家督翌年に侍従 | |
宇和島伊達家 【準国主】 宇和島10万石 | 大広間 | 従四位下 | |
立花家 【準国主】 柳川12万石 | 柳間→ 大広間 | 初参勤にて従四位下 | |
丹羽家 【準国主】 二本松11万石 | 柳間→ 大広間 |
江戸城中での伺候席
詰所 | 説明 | 家名 |
大廊下-上 江戸城本丸大廊下 上部屋 | 将軍家の親族 ※御両典:家光後裔 ※御三卿:吉宗後裔 | 尾張徳川家 |
紀伊徳川家 | ||
田安徳川家(御三卿) | ||
一橋徳川家(御三卿) | ||
清水徳川家(御三卿) | ||
甲府徳川家(御両典) | ||
館林徳川家(御両典) | ||
水戸徳川家 | ||
黒田家(一橋縁戚後) | ||
鷹司松平家(家光正室弟) | ||
大廊下-下 江戸城本丸大廊下 下部屋 | 将軍家の親族 | 加賀前田家 |
越前松平家(のち大広間) | ||
鳥取池田家 | ||
蜂須賀家(家斉子) | ||
津山松平家(家斉子) | ||
明石松平家(家斉子) | ||
溜間 黒書院溜間 | 溜間詰、松溜 定溜/常溜/代々溜:代々 飛溜:一代限り 溜間詰格:老中退任後 | 会津松平肥後守家(定溜) |
高松 松平讃岐守家(定溜) | ||
井伊掃部頭家(定溜) | ||
姫路 酒井雅楽頭家(飛溜) | ||
鶴岡 酒井左衛門尉家(飛溜) | ||
桑名 松平越中守家(飛溜) | ||
小倉 小笠原大膳大夫家(飛溜) | ||
高田 榊原式部大輔家(飛溜) | ||
忍 松平(奥平)下総守家(飛溜) | ||
岡崎 本多中務大輔家(飛溜) | ||
大広間 大広間詰 | 国主および准国主 四品以上の親藩 10万石以上の外様大名 | 島津家、伊達家、高須 松平摂津守家、西条 松平左京大夫家、細川家、黒田家、浅野家、鍋島家、毛利家、岡山池田家、藤堂家、鳥取池田家、蜂須賀家、山内家、松江 松平出羽守家、上杉家、宗家、有馬家、佐竹家、水戸 松平大学頭家、水戸 松平播磨守家、宇和島伊達家、立花家、丹羽家、富山前田家、津軽家、南部家 |
帝鑑間 白書院帝鑑間 | 四位の譜代大名 御願譜代 | 「譜代席」と呼ぶ |
柳間 大広間と白書院の間に 位置する柳間 | 五位および無官の外様大名 交代寄合 表高家 並の寄合衆 五位の准国主 | |
雁間 白書院と黒書院の間に 位置する雁間 | 新規に取立ての城主 | 雁間・菊間広縁を総称して「雁菊」という。 |
菊間広縁 白書院と黒書院の間に 位置する菊間(菊間縁頬) | 無城譜代 陣屋・居館の譜代 大番頭、両番頭、旗・鑓奉行武役の旗本 | |
菊間 白書院と黒書院の間に 位置する菊間(菊間縁頬) | 雁間大名の嫡子の席 | 「詰衆並」 |
江戸城本丸 伺候席概略図 ┌────────────────────┐ │ │ │ │ │ [大奥] │ │ │ │ │ ├────────────────────┤ │ │ │ │ │ [中奥] │ │ │ │ │ └──────┬─────────────┤ │ │ │ │ │ [表向] │ │ │ ┌───┘ ┌────┐ │ │┌────┐ │ │ │ ││黒書院 │ │ 御用 │ │ ││ │ │ 部屋 │ │ ※定溜・飛溜┌─┴┼──┬─┴┐ └────┘ │ ┌─┤松溜│ ├──┴┐ │ │ ├──┘∴ │雁間 │ │ │竹│∴ 中 ├──┬┘ │ │廊│ 庭 ∴│菊間│ │ │下│ │ │ │ │ └┬────┴─┬┘ │ │ └┐ │白 │ │ │ │ │書 ┼───┤ │ │ ※譜代 │ │院 │帝鑑間│ │ │ │ └──┴───┤ └─┬───┘ │ │ │ 御廊下 │ ┌─┴──┬─────┼─┬──┼──────┼ │ 桜之間│ │ └──┤ └─┬──┼─────┼──┬─┼─── ※ ┌──┤ │∴ │ │ │ 将 │上 │ 松│ 中 │ │柳│ 軍 │ │ │ ∴│ │之│ 家 ├──┤ 大│ 庭 │ │間│ 親 │下 │ │∴ │ │ │ 族 │ │ 廊│ ∴ │ │ │ └┬─┤ └─────┘ └─┴─────────── │ │ 下 →玄関 └─┴─────┬──────────┬──────── │ │ │ │ │上段│ 大 │ │ │ │ │ │ │──┼ 広 │四之間│ │ │ │ │ │中段│ 間 │ │ │ │ │ │ │──┼───┼───│ │下段│二之間│三之間│ └──────────┘ ※国主・准国主・四品以上親藩・10万石以上外様 あくまで位置関係の概略を示すものであり距離・広さは正確ではない。
参考)明治初期における旧江戸城の面積
- 旧本城 93,809坪
- 旧本丸 34,539坪
- 旧二之丸 27,585坪
- 旧三之丸 22,067坪
- 二之丸・三之丸間の堀 8,782坪
- 三之丸地詰より竹橋傍に至る所 836坪
- 旧西城(西丸・紅葉山・山里) 68,385坪
- 吹上御苑 130,568坪
- 吹上・西城間の堀 13,998坪
- 総計 306,760坪
特別な家系
- 将軍家との縁戚関係などにより通常の伺候席と異なるものや、変動のあったものなど。
御両典(ごりょうてん)
- 3代将軍家光の成人した3人の男子のうち、長男家綱は次の4代将軍となり、三男綱重は甲府藩主、四男綱吉は館林藩主にそれぞれ封じられ、これを御両典(ごりょうてん)といった。
- 御両典はともに25万石を領し正三位参議に任じられ、甲府宰相・館林宰相と呼ばれて御三家に次ぐ高い家格を持った。しかし藩主は江戸定府で、綱重は桜田御殿に、綱吉は神田御殿に、また綱重の子綱豊は御浜御殿に居住した。
- 家光長男家綱ののち5代将軍となったのは館林綱吉であった。その綱吉も男子なく死ぬと、綱重の子である甲府綱豊(家宣)が6代将軍となった。
御三卿(ごさんきょう)
- 8代将軍徳川吉宗が、次男・宗武および三男・宗尹を取り立てて別家を立てたのが御三卿の起こり。
- さらに、吉宗の長男で9代将軍となった徳川家重が、自身の次男・重好を別家として取り立てたことで、三家の体制が確立した。
- 家格は徳川御三家に次ぐ。
- 三家の当主は、公卿の位である従三位に昇り、省の長官(卿)に任ぜられる例であったことから「御三卿」と呼んだもので、各初代当主のうち宗武が従三位右衛門督、宗尹が従三位刑部卿に任官したことにより2人を「両卿」と呼ぶようになり、さらに重好が従三位宮内卿に任じられて加わり「御三卿」が成立した。
- 姓は徳川(本姓は源氏)であり、「田安」・「一橋」・「清水」の通称は、それぞれの屋敷地が所在する江戸城内の最も近い城門の名称に由来する。
- 幕府からは各家の当主に10万石が支給させられていたものの、独自の藩は立てない。また、家老以下の家臣団も主に旗本など幕臣の出向によって当主に付属する形で構成されていた。
- 御三卿当主は常に存在しているわけではなく、不在のまま家だけ存続することが許されていた。これを明屋敷(あけやしき)という。藩主が死亡して家督相続者を欠いた場合には藩が改易されることが定められていたが、御三卿はそもそも藩ではなく、領地は幕府が経営、屋敷地は幕府が支給、家臣団は幕府からの出向という形をとっていたため、家督相続者を欠いた場合でもその家を収公する必要性がなかった。
- 御三卿家では庶子はもちろん、嫡子や当主ですら他家への養子に出されることがあった。さらに松平定信(田安家 → 久松松平家庶流)や徳川昭武(清水家 → 水戸家)などのように、他に適当な養子先があれば、たとえ本家が明屋敷となっても養子先の相続を優先させるという形がとられた。
- このため幕末においては、一橋家の血筋が代々の将軍と御三家・御三卿を含めた親藩のほとんどの当主を独占する一方で、当の一橋家の当主には一橋家の血筋ではない慶喜が水戸家から入るという、奇妙な事態に陥っている。慶喜が将軍を継いだ後は、元尾張15代藩主で隠居の身であった徳川茂徳(茂栄と改名)が一橋家を継ぐという、さらに奇妙な事態となっている。
松平加賀宰相(前田家)
- 代々徳川宗家とのつながりが深い。将軍家の親族の詰所である大廊下-下を伺候席とする。
- 加賀藩2代藩主で加賀前田家3代の前田利常が、徳川秀忠の娘珠姫を正室に迎え、嫡子の光高(徳川綱吉が従兄弟)が加賀藩3代藩主を継いだ。
- 前田光高も同様に、正室に徳川家光の養女で水戸(徳川)頼房女である大姫を正室に迎え、嫡子の綱紀が加賀藩の4代藩主を継いでいる。
- 以降も5代藩主前田吉徳が徳川綱吉の養女で尾張(徳川)綱誠女である松姫を正室に迎え、嫡出ではないがその後5代に渡り吉徳の息子が藩主を継いだ。
- 11代藩主の前田斉広(吉徳の孫、9代藩主前田重教の次男)が正室に徳川宗睦養女で松平勝当(美濃高須)の娘である琴姫を迎えている。
松平相模守(因州鳥取池田家)
松平筑前守(筑前福岡藩黒田家)
- 7代藩主治之が一橋徳川家の初代当主徳川宗尹の五男。9代藩主斉隆が一橋徳川家2代当主徳川治済の三男。
- これにより詰所が大廊下-上となった。
松平越前守(越前福井藩松平家)
- 結城秀康に始まる家系で、初期には大廊下席を伺候席とする。
- しかし6代藩主綱昌の時、発狂を理由に強制隠居処分され、それまで福井藩主の就封の領地宛行状は国主を表す「越前少将」であったが、これ以降「福井侍従」と格下げされている。同様に江戸城の詰間についても、将軍家親族が詰める大廊下から外様の国持大名と同じ大広間へと移されている。
- 「松平忠昌」
松平越後守(津山藩越前松平家)
- 結城秀康を祖とする越前松平家の分家の松平宣富が10万石で入封したのに始まる。※結城秀康の長男が松平忠直、その長男松平光長に宣富が養子に入った。
- 8代藩主として11代将軍家斉の子の斉民を養子として迎える策により、石高を10万石に復帰させることに成功した。これにより伺候席は大広間から大廊下に復活した。
松平兵部大輔(明石藩越前松平家)
- 天和2年(1682年)越前国大野藩より直良系越前松平家2代の松平直明が6万石にて入封したのに始まる。※結城秀康の六男が直良、直良の三男が直明。
- 8代・斉宜は11代将軍・家斉の二十五男で、この時2万石の加増を受け、8万石(10万石格)となった。
- これにより伺候席は大広間から大廊下に復活した。
小笠原大膳大夫(豊前小倉藩小笠原家)
- 小笠原忠真の母は登久姫(岡崎三郎松平信康の娘)。また正室は姫路藩主本多忠政の娘(徳川家康の養女。母は松平信康の次女熊姫)亀姫。
- これにより忠真は家康の曾孫となり、また忠真と亀姫は信康を通じていとこ同士となる。
- 伺候席は溜詰-飛溜とする。
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