公家


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 公家(くげ)

  • 朝廷に仕える貴族、上級官人の総称。
  • または、主に三位以上の位階を世襲する「家」をいう。


Table of Contents

 概要

  • 公家の中での分類
    1. 【公卿】
      [公]:太政大臣/左大臣/右大臣
      [卿]:大納言/中納言/参議もしくは従三位以上の非参議高官
    2. 【殿上人】五位以上の者のうち、天皇の日常生活の場である清涼殿南廂へ昇ることを許された者
  • 公家の家格
    1. 【摂家】:近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家
    2. 【清華家】
      [旧家]久我・転法輪三条・西園寺・徳大寺・花山院・大炊御門・今出川
      [新家]広幡・醍醐
    3. 【大臣家】:中院家・正親町三條(嵯峨)家・三條西家
    4. 【堂上家】
      [広義]公卿になれる摂家、清華家、大臣家、羽林家、名家、半家の総称
      [狭義]平堂上(羽林家、名家、半家)
    5. 【地下家】:三位に登っても昇殿を許されない
  • 古くからある家は「旧家」、安土桃山時代以降に分家し新たに創設された家は「新家」と呼ばれる。


 公卿(くぎょう)

  • 律令に基づく太政官の最高幹部として国政を担う職位である太政大臣・左大臣・右大臣、大納言・中納言・参議、もしくは従三位以上の非参議高官を指す。
  • 中国の官僚制度である三公九卿に倣ったもので、「公」と「卿」をあわせて公卿と呼ぶ。
  • 公卿の地位に昇った者は、年毎に作成される「公卿補任」に記載された。また死については「薨去(こうきょ)」の語を用いる。
    天皇、皇帝、国王、太皇太后、皇太后、皇后については「崩御(崩御)の語を用いる。「お隠れになる」ともいう。

    皇族のうち王や女王、あるいは位階が四位(正四位・従四位)・五位(正五位・従五位)以上の者の死については、「卒去(そっきょ、しゅっきょ)」の語を用いる。六位以下は「死」と表記する。

 

  • 公とは、太政大臣、左大臣、右大臣を指す。

 

  • 卿とは、三位以上の貴人や参議の官にある者を指す。

 殿上人(てんじょうびと)

  • 五位以上の者のうち、天皇の日常生活の場である清涼殿南廂へ昇ることを許された者を指す。なお五位以上でない六位蔵人も例外的に昇殿を許され殿上人に含まれる。

 家格

  • 平安時代に藤原北家による摂家の確立に伴い、公家の家格が固定化する。
    官職については「二官八省」、江戸時代の大名の官位については「武家官位」を参照
  • 家柄によって昇進できる官職が限定されており、「摂家」、「清華家」、「大臣家」、「羽林家」、「名家」、「半家」に分かれる。
家格極官家名
摂家摂政・関白
※子息を公達と呼ぶ
・近衛家
・九条家
・二条家
・一条家
・鷹司家
清華家近衛大将・大臣を兼任
 →太政大臣

※江戸期は事実上左大臣まで
※子息を公達と呼ぶ

※英雄家とも
[旧家]
・久我家
・転法輪三条家
・西園寺家
・徳大寺家
・花山院家
・大炊御門家
・今出川家
[新家]
・広幡家
・醍醐

[断絶など]山階家・洞院家・土御門家・堀川家
大臣家大納言→右大臣・中院家
・正親町三條(嵯峨)家
・三條西家
羽林家近衛少将
 →中将・参議
  →中納言
   →大納言など
※平堂上
・藤原北家閑院流(23家)
・藤原北家花山院流(5家)
・藤原北家中御門流(9家)
・藤原北家御子左流(4家)
・藤原北家四条流(7家)
・藤原北家水無瀬流(5家)
・藤原北家高倉流(2家)
・宇多源氏(3家)
・村上源氏(8家)
名家侍従・弁官(蔵人頭を兼任)
 →中納言
  →大納言
   →左大臣など
※平堂上
※日野家、広橋家、烏丸家、柳原家、竹屋家、裏松家、甘露寺家、葉室家、勧修寺家、万里小路家、清閑寺家、中御門家、坊城家は、十三名家と呼ぶ。

・藤原北家の日野流(12家)
・藤原北家の勧修寺流(13家)
・桓武平氏の高棟王流(3家)
半家※平堂上

 堂上家(どうじょうけ)

  • 平安時代以降、公家の中で家格が固まるにつれ公卿になれる家筋が限られるようになり、公卿になれる家柄の公家を「堂上家」と呼ぶようになった。
  • 室町時代以降、摂家・清華・大臣家以外の公家の家格を指す言葉として狭義に用いることがあり、羽林家、名家、半家を指して特に「平堂上」と呼ぶ。

 地下家(じげけ)

  • 平安時代は、家格官位に関係なく勅許を得ることで昇殿を許されていたが、中世以降家格により区別されるようになり、地下家の廷臣は三位に登っても昇殿を許されることはなくなった。
  • ただし六位蔵人は例外的に昇殿を許され、もっとも上位である極臈(ごくろう)を1代で3度務めるか、3代連続で務めた家は堂上家となる例があった。

 旧家(きゅうけ)

  • 公家の家格を指す言葉で、天正年間以前に設立された家門を持つ家を指す
  • 寛延3年(1750年)の「官位御定(官位定条々)」では、摂関家と七清華家を含んでおらず旧家に該当するものが54家、これに摂関家と清華家をあわせて66家が旧家とされる。

 新家(しんけ)

  • 公家の家格を指す言葉で、文禄・慶長年間以後に成立した家々を指す。堂上家137家のうち、68家が該当する。
  • 江戸時代初期の幕府による対朝廷政策の結果として御所が多数できてしまい、それぞれに仕える公家が必要とされた。この時幕府より朝廷に領地加増が行われ、新家として設立された。
  • 新家のほとんどが、「羽林家」、「名家」、「半家」に属していたため、非参議として終わることが多かった。ただし、八条宮家から臣籍降下してうまれた広幡家と、一条家(摂関家)から分家した醍醐家は清華家に加えられ他の新家と扱いが異なる。

 公達(きんだち)

  • 元々は諸王を指す言葉であったが、後には親戚にある諸王の子孫や、摂家清華家の子弟に対する呼称として用いられるようになり、平安時代末期には平家の子弟も公達と呼ばれた。

 関連項目


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