明智光秀の刀
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明智光秀の刀
- 明智光秀が所持した、または関係した刀剣についてのまとめ。
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所持したと伝わる刀剣
- 明智光秀が所持したと伝わる刀剣。
地蔵行平
- 享保名物帳所載(焼け物)の名物。
- 足利義教、北条氏綱へと伝わり、氏綱は号の由来となる地蔵尊を鎺元に彫っている。
- その後経緯はわからないが、細川忠興が入手しており、天正9年(1581年)4月に岳父である光秀を宮津城に招待した時、宴半ばにこの「地蔵行平」を贈っていることが「天王寺屋会記」に記されている。
- 詳細は「地蔵行平」の項を参照
倶利伽羅郷
短刀
在銘
九寸三分
- 越前朝倉家伝来。
- 明智光秀が入手し秘蔵する。
- 光秀が討たれた後、明智左馬助(秀満、光春)は坂本城に入るが、名宝が失われることを惜しみ「不動国行」や二字国俊、「薬研藤四郎」を投げ下ろして堀秀政に託した。しかしこの「倶利伽羅郷」については光秀秘蔵の刀であったため、死出の旅の供にしてあの世で光秀に渡すのだと言い、そのまま天守に火を掛けて自害したという。
- 詳細は「倶利伽羅郷」の項を参照
明智左馬助の出自には諸説あり、三宅弥平次と称した人物が後に明智姓を与えられたとする説が有力。
- 詳細は「倶利伽羅郷」の項を参照
太郎坊兼光
刀
兼光作
二尺三寸
- 光秀が、信長より拝領した刀。
- 光秀はこの刀を愛宕山へ奉納する。のち秀吉が別の刀を納めて取出し、のち青木一矩、加藤嘉明、丹羽長重へと伝わった。
- 詳細は「太郎坊兼光」の項を参照
切刃貞宗
- 享保名物帳所載(焼け物)の名物。
- 明智光秀から細川忠興を通じて秀吉に伝わる。太閤御物として刀絵図に所載。
- のち秀忠より水戸徳川家、讃岐高松藩主の頼重へと伝わった。
- 現在重要文化財指定で、香川県立ミュージアム所蔵。
- 詳細は「切刃貞宗」の項参照
明智兼光
脇指
銘 本明備州長船兼光/天正□年八月吉日日向守上之
犬山城白帝文庫蔵
- 光秀が所持していたものが家康へと伝わり、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いでの戦功を賞され、成瀬隼人正家初代の成瀬正成が拝領した。
- 同家に伝来し、犬山城白帝文庫所蔵。
- 詳細は「明智兼光」の項を参照
明智近景
刀
銘「暦応三年」
2尺2寸5分(68cm)
- 元は、佩表に「備州長船近景」の銘と「暦応三年」の年紀銘、金象嵌「明智日向守所持」の所持銘があったという。
- のち出羽庄内藩日向家伝来する。その次の所有者が光秀の名を嫌って年紀だけを残し、刀工近景の銘と光秀による所持銘を削りとってしまった。
- 重要美術品。
- 詳細は「明智近景」の項を参照
津田遠江長光
- 信長の所持であったのを本能寺の変後に奪い、家老の津田遠江守重久に渡ったもの。
光秀安土へ往き、寶蔵を拔き器物とも取出し、諸徒へ爲取ける時、あをや長光、海老背長光長の字下えびの背の如く長くまがり故にえびせの號有とぞ。二腰取出し何れにても好次第にとれとて、光秀出しければ、明智左馬はあをやをもらひ、津田與三郎は海老背をもらひて、外に貞宗の脇刺をもらひける。
青屋長光
- 佐々木義弼(六角義治)が買い求め、佐久間右衛門(佐久間信盛)に贈ったといい、その後信長へと伝わった。
- 本能寺の変後に光秀が安土城の宝庫から取り出した上で明智左馬助(秀満、光春)が拝領し、左馬助が討たれた後に秀吉が入手したものと思われる。
- のち上杉景勝、土井利勝、保科正之と渡り、徳川将軍家の御物となった。
- 詳細は「青屋長光」の項を参照
光秀に仕えた武将の所持
- 明智光秀に仕えていた武将が所持したと伝わる刀剣。
鉄砲兼光
- 一時期光秀に仕えていた山崎長徳の所持。
- のち前田利長の手を経て秀吉に献上され、久留米侍従毛利秀包が拝領したものという。
- 詳細は「鉄砲兼光」の項を参照
青木来国次
- 明智光秀に仕え、山崎合戦で討ち死にした阿閉貞征の所持。
- その後青木紀伊守一矩が所持していたといい、本阿弥家に鑑定に出している。
- 関ヶ原の後、福島正則の所持となるが、正則が死去した際に子の正利が幕府の許可無く火葬したため咎めを受け、お家取り潰しの危機に陥る。正利は取りなしを願い、大御所・徳川秀忠に正宗の刀および青木国次の脇差、木亘肩衝を献上している。
- 詳細は「青木来国次」の項を参照
松浦川
- 斎藤利三の三男、斉藤立本(斎藤利宗)の所持。
- 斉藤立本ははじめ父に従い、明智光秀に仕える。山崎の戦いでは兄の斎藤利康と共に羽柴秀吉軍の先方の高山右近と戦うが、敗れたため剃髪して「立本」と号し、降伏した。のち妹である春日局の口利きで家光に拾われて五千石を与えられている。
- 詳細は「松浦川」の項を参照
その他
亀甲貞宗
- 一説には、徳川家に伝わる前に光秀が所持したともいう。
- ※ただしそれを示すものは見つかっていない。
血吸銘の鎗
- 上州沼田藩の祖である土岐家(美濃明智氏)の土岐定義は、土岐定政の次男であり、のち下総国守谷1万石から摂津国高槻2万石に領せられた。この家系は下総相馬藩・出羽上山藩・越前野岡藩・駿河田中藩を経て、土岐頼稔の代に上野国沼田藩初代藩主となり、幕末まで存続した。
土岐頼貞──九男長山頼基──明智頼重……┐ │ ┌───────────────────┘ │ └明智定明 【上山藩】 【沼田藩】 ├───明智定政(土岐)──土岐定義──頼行──頼殷──頼稔──頼煕─… 菅沼定広の娘
- この土岐定義は、土岐氏流明智氏の系統であるといい祖父頼明の兄で大伯父・頼典を明智光秀の祖父とされる光継と同一人物とする説があり、あるいは明智光秀を伯父(定明の兄)とする説もある。
┬明智光継─┬明智光綱──明智光秀 │(頼典) ├明智光安 │ └小見の方(斎藤道三正室) │ └土岐頼明──土岐定明 ├───土岐定政(明智) 菅沼定広の娘
─土岐頼明─┬明智光秀 └土岐定明 ├───土岐定政(明智) 菅沼定広の娘
- 沼田市は、明智光秀と土岐定政が従兄弟であるとの説に基づき、「土岐定政伝」において明智光秀から土岐定政に贈られたとする「鎗名血吸」が沼田市歴史資料館に現存している。「家傳秘蔵品目録」にも同鎗の名が見えるという。
関連項目
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