上杉家御手選三十五腰
上杉家御手選三十五腰(うえすぎけおてえらびさんじゅうごよう)
御重代三拾五腰ノ内
「上杉景勝御手選三十五腰(うえすぎかげかつさんじゅうごこし)」
「御重代三十五腰」「上杉家三十五腰」
- 愛刀家で知られた故謙信の所蔵品のうちから、自身も卓越した鑑定眼で知られた上杉景勝が特に気に入ったものを選抜した名刀リスト。
うえすぎかげかつさんじゅうごこし【上杉景勝三十五腰】
上杉謙信の養子・景勝が、特に気に入っていた刀三十五振り。
(日本刀大百科事典)景勝は非常に刀剣を愛し、又その鑑識も優れていて、上杉家数百口の蔵刀の中から自分で名刀三五腰を選んで秘蔵した。これを「景勝公
御手選 三十五腰」と呼んでいる。
(武将と名刀 佐藤寒山)景勝公は非常な愛刀家であったばかりでなく、鑑識眼の高い武将であり、世に「景勝公
御手撰 三十五腰 」と称せられるものがあります。
(米沢風土記 第一集 米沢市文書課広報係 編)
- 「上杉家御手選三十五腰」の名称は広く流布しているものの、近代以前には見られないものとされ、出処がよくわからない。ただし「上杉家刀剣台帳」において「三十五腰之内」と記されている刀剣(26口)があり、少なくとも同家でそのように伝えられてきたものであることは間違いないと思われる。
- 三十五腰のうち、謙信の佩刀は二十八腰に上る。
- 景勝自ら「上ひざう(秘蔵)」として書き上げたものは二十八腰に上る。→「上杉景勝自筆腰物目録」参照
- 詳細が判明している刀剣については「上杉家伝来の刀」の項を参照。
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三十五腰に含まれるもの
上杉家刀剣台帳記載
- 上記の通り、三十五腰については元となる台帳が紛失しているため、確実な対象刀剣がわかっていない。
- ただし「上杉家刀剣台帳」において「三十五腰之内」と記されるもの26口については確実に入ることがわかっている。
下記並びは「上杉家刀剣台帳」での登場順であり、当サイトで便宜上付けている左端の連番には特別の意味はない。「〔乾1号〕」などが上杉家での管理符号となっている。
- 〔乾1号〕太刀 無銘菊紋(菊御作)
上杉景勝自筆腰物目録「一、きく一もんし」
大正14年(1925年)11月3日皇太子へ献上 - 〔乾3号〕太刀 一(姫鶴一文字)
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品
昭和24年(1949年)5月30日重要文化財 - 〔乾6号〕太刀 長光 (小豆長光か?)
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品 - 〔乾7号〕太刀 無銘一文字(山鳥毛)
上杉景勝自筆腰物目録「一、山てうまう」
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品
昭和15年(1940年)5月30日重要文化財
昭和36年(1961年)4月27日国宝 - 〔乾8号〕太刀 長光(高木長光)
上杉景勝自筆腰物目録「一、たかきなか光」
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品
昭和15年(1940年)5月30日重要文化財 - 〔乾9号〕太刀 則包
上杉景勝自筆腰物目録「一、のりかの」 - 〔乾10号〕太刀 備前国長船住人眞光
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品
昭和29年(1954年)3月20日重要文化財 - 〔乾13号〕脇差 行平作
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品 - 〔乾27号〕太刀 来国行(銘「弘」、塩留めの太刀)
※台帳では来国行、「日本三腰」とする。
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品
昭和27年(1952年)7月19日重要文化財 - 〔乾28号〕打刀 無銘貞宗
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品
昭和27年(1952年)7月19日重要文化財
※昭和56年(1981年)には青山孝吉氏蔵。刀 無銘 伝貞宗 刃長七十六。四センチメートル 反り二・九センチメートル 鎬造り、庵棟でやや身幅広く、大磨上ながら腰反りつき、中峰。地刃に貞宗の特色が顕著で、爪付剣の上に梵字、さらに二筋樋を重ねて彫る刀身彫はこの工より始まる。上杉景勝御手選三十五腰中の一口である。東京都 青山孝吉蔵 重要文化財。(※原文は青山"幸"吉と誤字がある)
- 〔乾30号〕太刀 来国光
慶長15年(1610年)12月25日将軍秀忠御成時の定勝拝領刀か? - 〔乾31号〕短刀 来国次
将軍家より拝領 - 〔乾32号〕短刀 無銘安則(瓜実安則)
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品
昭和27年(1952年)7月19日重要文化財 - 〔乾45号〕脇差 広光/延文五年八月(九郎二郎広光)
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品
昭和27年(1952年)7月19日重要文化財 - 〔乾46号〕太刀 備前長船兼光/延文五年六月日(三日月兼光)
上杉景勝自筆腰物目録「一、三か月」 - 〔乾47号〕太刀 長谷部国信(唐柏)
上杉景勝自筆腰物目録「一、からかしわ」
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品 - 〔乾49号〕太刀 雲生 十六菊花紋
上杉景勝自筆腰物目録「一、うんしやう」
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品 - 〔乾50号〕太刀 長船長光/文永十一年(高瀬長光)
上杉景勝自筆腰物目録「一、たかセなか光」
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品 - 〔乾51号〕短刀 吉光(五虎退吉光)
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品 - 〔乾52号〕脇差 相模国住人広光/康安二年十月日(火車切広光)
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品 - 〔乾64号〕短剣 無銘(瓜実の剣)
- 〔乾65号〕短刀 無銘義弘
- 〔乾67号〕太刀 兼光作 藤原輝虎三寸上(小反り兼光)
- 〔乾73号〕短刀 吉光(三本寺吉光)
昭和36年(1961年)2月17日重要文化財 - 〔乾74号〕太刀 左 藤原輝虎三寸上之
- 〔坤6号〕打刀 無銘正宗(大垣正宗)
元和9年(1623年)1月13日元服の際に将軍秀忠より拝領
残り9口について
- いわゆる「上杉家御手選三十五腰」のうち、はっきりと判明しているのは上記26口であり、残り9口については判明していない。
- 福士繁雄氏は『「上杉家刀剣台帳」から』(「刀剣美術」第525号)において、次のような考察の上で残り9口の推定を行っている。
- 上杉家に残された刀剣台帳には「旧台帳に」との文字が散見される。このことから上杉家台帳は明治になってから転写され、その際に転写漏れしたと思量する
- そこで「当然、三十五腰の内に入っていなければならない」ものについて、協会の鈴木専務理事および田野辺学芸部長の協力のもと9口を選定、上記「刀剣美術」第525号掲載の台帳内に「三十五腰の内
か 」の注記を加えた
- 対象となった刀剣は下記の通り ※同様に左端の連番には特別の意味はない。
- 〔乾2号〕太刀 来国俊
銘 元享元年十二月日、二尺四寸六分
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品 - 〔乾4号〕太刀 豊後国行平作
二尺五寸三分
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品
昭和28年(1953年)11月4日重要文化財
佐野美術館所蔵品。秋草文黒漆太刀〈中身銘豊後国行平作/) 文化遺産オンライン - 〔乾5号〕太刀 国宗
二尺ニ寸ニ分
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品 - 〔乾12号〕短刀 景光(号 謙信景光)
銘 備州長船住景光/元享三年三月日、九寸三分
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品
昭和27年(1952年)7月19日重要文化財
昭和31年(1956年)6月28日国宝 - 〔乾18号〕太刀 国宗(戒杖刀)
二尺五寸八分、御杖仕込
天文22年(1553年)高野山参詣時に使用
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品 - 〔乾23号〕太刀 守次(般若太刀)
二尺八寸九分
長尾家重代
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品
昭和30年(1955年)2月2日重要文化財 - 〔乾25号〕刀 郷義弘(穿鑿郷)
二尺三寸一分 - 〔乾40号〕太刀 無銘守家
二尺六寸六分 ※徳用守家ではない別の守家 - 〔乾56号〕太刀 長光
昭和12年(1937年)12月24日重要美術品
二尺五寸一分
景勝自筆腰物
- 景勝自ら「上ひざう(秘蔵)」として書き上げたもの。
- 「三十五腰」とは異なり、景勝が記した「腰物目録(上秘蔵)」については、上杉家文書に残っており明瞭である。
- 詳細は「上杉景勝自筆腰物目録」の項参照
関係書籍
上杉家文書(うえすぎけもんじょ)
古文書
国宝
米沢市上杉博物館所蔵
- 旧米沢藩主上杉家に伝来した古文書で、保存場所ごとに分類される。
- 赤箪笥(乾)入文書
- 赤箪笥(坤)入文書:江戸~明治期
- 両掛入文書
- 精選古案両掛入文書
- 黒塗掛硯箱入文書:江戸~明治期
- また内容別には下記に大別できる。
- 【山内上杉家文書】:南北朝時代の安堵状、室町将軍の自筆書状、御教書、御内書
- 【越後国守護上杉家文書】:室町時代の山内上杉氏の所領・相続関係の文書
- 【府内長尾家文書】:長尾為景時代の越後国衆の動向を伝えた文書
- 【古志長尾家文書】:
- 【謙信、景勝、定勝以降の上杉氏文書】:
- 上杉家では、謙信以来の景勝・定勝三代の文書を近世大名上杉家の根本文書として三つの黒漆塗りの懸硯箱に分納し、次に謙信以前の守護代長尾氏の文書と、上杉重能以来の関東管領山内上杉氏の文書を赤箪笥に収納する方法をとっていた。
- 1979年(昭和54年)6月6日重要文化財指定
- 2001年(平成13年)6月22日重文指定時には「附」とされていた文書を含め、国宝に指定。※武家文書として初の国宝指定。
- 上杉家文書 2,018通、4帖、26冊
- 附:歴代年譜(14部)325冊
- 附:両掛入文書箱等並赤箪笥 3合2棹
上杉家御年譜(うえすぎけごねんぷ)
- 「歴代年譜」
- 米沢藩主上杉家歴代の世紀。
- 初代謙信より14代茂憲までの年譜387巻、10代治憲世子顕孝の年譜4巻、支侯(米沢新田藩)2代・26巻、計417巻
- 米沢藩では4代上杉綱憲の時、天和年間ごろに修史事業が始まり、元禄9年(1696年)に「謙信公御年譜」、元禄16年(1703年)に「景勝公御年譜」が完成している。その後、宝暦2年(1752年)に3代定勝から8代宗房まで、文政10年(1827年)に9代重定、10代治憲と継続して完成している。
- 明治に入ってからは上杉家で編纂作業が行われ、昭和10年(1935年)に14代茂憲の年譜が完成した。
- 米沢温故会により活字本が刊行されている。
宝物帳
- 昭和3年(1928年)刊行
- ※具足類の番号が後述御具足台帳と一致している。
- 個人蔵
御具足台帳
- 昭和5年(1930年)刊行
上杉家刀剣台帳
- 近代に入って作成された史料。
- 「乾」「坤」二巻
- 「乾」:82振り
- 「坤」:109振り
- 昭和30年代末に上杉家から出て現在は福士繁雄氏蔵
- 抜粋した内容が「刀剣美術」に掲載されている。
- 「刀剣美術」平成12年(2000年)10月第525号:「上杉家刀剣台帳」から ※「乾」
- 「刀剣美術」平成20年(2008年)4月第615号:「上杉家刀剣台帳」から ※「坤」
- 「刀剣美術」平成21年(2009年)新年号第624号:「上杉家刀剣台帳」から(その三)
上杉伯爵家刀剣拵台帳
- 刀装具に関する書籍
出羽米沢上杉家刀剣目録
- 「皇室・将軍家・大名家刀剣目録」福永酔剣(雄山閣出版 1997年)に収録。
藤林年表
- 景勝の形見分け
四月下旬 景勝公御遺物
被下如左
御腰物 石州直綱 本庄出羽守充長
同 備前盛光 中條市兵衛盛直
同 備前康光 色部修理綱長
同 備前遠近 安田六十郎俊廣
同 国俊 平田善三郎繁範
同 大和包永 千坂伊豆守高信
同 一文字 志駄修理義秀
同 志津 泉澤河内久秀
同 正恒 清野助次良長範
同 長谷部 山岸中務尚家
以上
実紀履歴
- 天正12年
景勝ノ質子、越後を發シテ西上ス、景勝、大石元綱ニ命ジテコレニ随行セシメ、秀吉ニ刀及ビ茗椀ヲ贈ラシム
- 慶長8年2月
(是月)上杉中納言景勝卿江戸に參覲す。櫻田に於て宅地を賜ふ。
- 慶長15年12月25日
この日江戸の御所には上杉中納言景勝が櫻田の亭にならせたまふ。景勝に包永の御太刀。備前守家の御刀。左文字の御脇差。時服五十。銀三百枚たまはる。景勝より來國俊の太刀。正宗の刀。貞宗の脇差。時服三十。銀三百枚。純子三十卷。綿三百把。鞍馬一疋を奉る。景勝の長子玉丸定勝に御盃をたまひ。名を千徳丸とたまはり。御手づから國光の御刀を授らる。時に七歳。また家臣直江山城守兼續等五人。各時服銀をかづけらる。
十五年十二月二十五日台徳院殿景勝が邸に渡御あり。包永の御太刀、備前守家の御刀、左文字の御脇指、時服五十領、白銀三百枚を賜ふ。景勝よりも來國俊の太刀、正宗の刀、貞宗の脇指、呉服三十領、白銀三百枚、純子三十巻、綿三百把、鞍をきたる馬一匹を奉る。(寛政重脩諸家譜)
- ※北越軍記、武家盛衰記ではこれを慶長8年11月28日のこととする。
- 元和7年正月23日
廿三日曉に尾張中納言義直卿新第より出火して。其火城溝をこえ。上杉中納言景勝。松平陸奧守政宗。松平長門穿秀就。松平薩摩守家久。鍋島信濃守勝茂。同紀伊守元茂。同和泉守忠茂。眞田伊豆守信之。戸澤右京亮政盛。森美作守忠政。南部信濃守利直。秋田城介實季。成田左馬助氏宗。太田原備前守晴清。大關右衞門高増。溝口伊豆守善勝。淺野釆女正長重。寺澤志摩守廣高。松平宮内少輔忠雄。仙石兵部大輔忠政等の邸宅悉く延燒し。一日一夜にして漸く熄む。
- 元和9年2月13日
この日上杉中納言景勝卿の長子喜平治定勝。從四位下侍從に叙任し彈正大弼に改む。
- 元和9年2月29日
廿九日先に火災にかゝりたる輩へ白銀を給はる。松平陸奧守政宗には銀一萬千六百枚。 美作守忠宗に四千六百枚たまふ。その他なほ若干なり。
- 元和9年5月
出羽國米澤城主上杉中納言景勝卿卒せしかば。長子彈正大弼定勝に原封三十萬石を襲しめらる。
- 寛永3年8月19日
上杉弾正大弼定勝。松平新太郎光政。藤堂和泉守高虎。井伊掃部頭直孝。松平長門守秀就はともに少將。
関連項目
上杉景勝自筆腰物目録 / 上杉家伝来の刀 / 武田家の刀
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