瓜実の剣


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 瓜実の剣(うりざねのけん)

瓜実御剣
無銘
伝後奈良天皇拝領
六寸二分(18.6cm)
附 黒漆塗合口拵
上杉神社所蔵

  • 刃長六寸三分
  • 両刃造り、鎬に細い樋。目釘孔1個
  • 黒漆塗りの合口拵で、柄は千段刻みとなる。

 由来

  • 目釘孔が瓜実形のためという。

 来歴

  • 天文22年(1553年)、上杉謙信(当時は長尾景虎)初めての上洛の際に、後奈良帝より天盃とともに拝領したもの。
  • 上杉年譜によれば、同年閏2月に謙信は上洛し、足利義輝に謁した後、4月10日には勅命を受けて参内し、天盃および御剣(瓜実の剣)を拝領したとする。ただし上洛は同年9月以後のことであり、この日付は間違っている。

    瓜実御剣、長尾景虎時分、内宣旨添。右ハ天文二十二年、輝虎二十四歳初上洛之節拝領
    (歴代年譜 斉憲公)

    刀劍 一無銘豊後瓜實御劔劒 柄黒塗、袋紫金襴、六寸貳分 輝虎公始メテ御参内之節御拝領
    (上杉家什宝目録)

  • この後、謙信は大坂に行き11月13日に本願寺証如(光教)に会って物を贈った後、さらに高野山に詣でている。この際に使ったのが「戒杖刀」であるとされる。
    教団最盛期を築き上げ信長包囲網の一角として知られるのは、息子で第11世宗主の本願寺顕如(諱は光佐)。
  • 京都に戻った謙信は、12月4日には大徳寺91世の徹岫宗九に参禅して衣鉢法号、三帰五戒を受けて「宗心」の法号を授かっている。

    越之後州、平氏景虎公、授衣鉢法號、三歸五戒、曰宗心、
        天文廿二年癸丑朧月八日
                前大徳寺岫九(花押朱印)

  • 12月17日、謙信は帰国の途についた。
  • 上杉家では本刀を豊後瓜実と伝えたという。


 関連項目

瓜実安則


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