銘
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銘(めい)
刀に刀工の名前や年月を彫ったもの
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- 「銘」とは、刀のなかごにその刀の製作者である刀工の名前や製作年月などを彫ったものである。
「なかご」とは、刀の刀身のうち、柄(握る箇所)に覆われる部分のこと。古文献では「茎」、または「中心」、「忠」などと表記される。
銘の始まり
- 大宝律令が大宝元年(701年)に制定、同二年から施行されており、この律令の中の「栄繕令」と「関市令」に、「年月及ビ工匠ノ姓名ヲ鐫題セシム」とあり、これ以降の銘入れが義務付けられた。
- 結果、大同年間以前は銘が残っているものがなく、在銘では大原安綱が最初とされるのはこのためである。
この頃にはすでに刀の製作が広く行われており、すでに製作者である刀工の腕の優劣により、出来が異なり始めていた。そのため製作者を明らかにすることで混乱を収める狙いがあったとされる。
「銘」と「名物名」や「号」
- この「銘」と、いわゆる「名物名」や「号」とは別物である。
- ただし稀に、「波泳ぎ兼光」や「児手柏」など、号が銘として入っている物がある。これらは刀工が入れたものではなく、後世の所持者が切り付け銘として刻んだもの(所持銘の一種)である。
なお古代中国では、刀工名ではなく刀号を銘入れする習慣がある。古くは夏の天子孔甲の剣には「夾吉」、殷の太甲の剣の「定光」、秦の昭王の「誠」などが高名である。
銘の種類
年紀銘
- 後世になると、刀を鍛えた年月日を入れた「年紀銘」も多い
九州日向住国広作/天正十八年庚寅弐月吉日 平顕長 …山姥切国広
年紀銘に「二月」と「八月」が圧倒的に多いのには訳があり、鎌倉末期頃には冬至から夏至までの作には「二月」、夏至から冬至までの作には「八月」といれることが慣例化していたためである。
- なお一般用語としては、こうした製作年時を入れたものは「紀年銘」と呼び、「年紀」とは年・年数など期間を表す用語であるとされる。
きねんめい【紀年銘】
製作または使用の年時が記されている器物などの銘文。
(大辞林 第三版)ねん‐き【年紀】
1 年。年数。年代。
(デジタル大辞泉)
- しかし刀剣界では、古来これを「年紀」、「年紀銘」と呼ぶ。
ねんき【年紀】
刀剣や装剣具に切られた年号と年月日。(後略)
(日本刀大百科事典)
受領銘
- 刀工が受領名を拝領している場合には、銘に受領名を入れたり、あるいは刀工自身の居住地を銘として切る場合も多い。
備前国友成
九州日向住国広作
大隅掾藤原正弘/慶長十一年三月吉日
受領銘は、古くは青江貞次が元弘3年(1333年)ごろに大隅権介、貞治2年(1363年)に大隅権守を拝領している。その後いったん受領銘は途絶えるが、室町中期に復活する。関兼定が文明3年(1471年)に和泉守、備前長船藤原在光が延徳3年(1491年)に出雲守、加州信屋が明応2年(1493年)に和泉守を受領している。
なお、本来現地に赴かない場合は受領ではなく「遥任」などと呼ばれる。しかし刀工の場合には慣例として「受領」を用いる。さらに親王任国であるはずの上総守(武州兼重)、常陸守(大坂住秀辰)、上野守(土州吉国)などにも任じられている。
- その刀工が普段使う銘を"平銘"と呼ぶが、例えば備前勝光の場合「備州長船勝光」と切るのが平銘となる。逆に備前包平の場合は「備前国包平」と切ったものが長銘となる。
備前国住長船勝光
- この「国住」と居住地を彫ったものは注文打と呼ばれ珍重される。
- 受領方法
- 受領名を受ける場合、大きく分けて次のようなルートが存在した。
無銘
- もともと銘がないもの(生ぶ無銘)の他、磨上を行ったために元はあった銘が失われたもの(磨上無銘)もある
無銘
磨上無銘
朱銘・象嵌銘
- この朱銘は室町期から行われていたもので、本阿弥家でも踏襲した。
朱判
- 元禄からは上作でうぶ中心のものにのみ入れることとし、「朱判」と改めた。
- 朱判とは、朱漆で鑑定銘を入れたものをいう。本阿弥家では
生 ぶ中心 無銘のものに限って入れる決まりとする。光徳、光室、光温、光常、光忠らの朱銘入の刀剣は、在銘品と同様に扱われることがある。
金象嵌
- 大磨上無銘のものに鑑定銘を入れる際に用いられる。
- 多くは太刀として作られた刀を、戦国以後に常用刀に用いるために磨上ることが行われた。
- この金象嵌についても古い象嵌ほど珍重され、とくに本阿弥光徳による象嵌は光徳象嵌と呼ばれ、時には在銘品以上の価値を持つ場合もある。
所持銘
- 所持者が銘を入れる場合もある。
永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀織田尾張守信長 …義元左文字
天正十三十二月日江本阿弥磨上之花押(光徳)/所持稲葉勘右衛門尉 …稲葉郷
- 切付銘が多いが、江戸以降は金銀による象嵌銘が増える。
名物・号
号や名物名が銘として切られることはないのに数ある吉光銘の刀の中で「これが名物の平野藤四郎」などと区別できるのは、押形などでその特徴が明らかであり、なおかつ誰から誰の手に渡ったかという伝来が明確だからである。名物は歴史上の著名人が持つことが多く、来歴もまた明らかなことが多い。逆に言えば押形もなく伝来も明白でないものは疑われるということでもあり、伝来が明らかなればこそ名物となりうるということでもある。
為銘(ためめい)
- 刀の注文主の名を記した添え銘のこと。「為○○君」「応○○君需」。
銘の位置と種類
- 表にあるものを表銘、裏を裏銘と呼ぶ。年記は裏に彫ることがほとんどのため、裏銘といえば年記銘を指す。
- その他、鎬地に彫った鎬銘、平に切った平銘、棟に切った棟銘もある。棟銘は年記、所持者、刀号、試し銘などを切ることが多い。
- 刀工の住所姓名を切った刀工銘、製作年月を切った年記銘、試し切りの結果を切った試し銘、刀号を切った刀号銘、持ち主の名前を切った所持者銘、注文主の名前を切った注文者銘、刀の由緒を記した由来銘、中国への輸出刀に値段を切った代付け銘、奉納する際の奉納銘などがある。
- 書体により、楷書で切ったものを「真」、行書のものを「行」、草書のものを「草」と呼ぶ。また古筆様を「古」、唐様「漢」、日本風を「常」などと呼んだりもする。
- また象嵌銘には、試し銘のほか、本阿弥が鑑定した刀工名と本阿弥当主を記した極め銘のほか、刀号を象嵌したものもある。極め銘には金粉で書いた金銘、朱漆でかいた朱銘がある。
- 通常中心に切る銘を刀身に切ったものもあり、刀身銘と呼ぶ。
太刀銘刀銘
- 「太刀」はからだの左側に刃を下にむけて腰帯に吊り下げて佩き、「刀」は刃を上に向けて鞘を腰帯に差し込む(差す)。
- このとき、太刀ではからだの外側を佩表、刀では差表と呼び、内側を太刀は佩裏、刀であれば差裏と呼ぶ。刀身を上下どちらに向けて装着するかにより、表が異なってくる。
太刀 躰 佩裏 刃
↓佩表 刀 差裏 ↑
刃差表 - 一般になかごの表に入れたために、佩表に銘を切ったものを太刀といい、差表に銘を切ったものを刀と判断する。
- ただし打刀が発生する室町以前のものでは、銘の位置にかかわらず太刀・小太刀と呼ぶ(備中古青江、紀新太夫行平など。肥前忠吉は打刀に佩き表に銘を切る物がある)。
- また高貴な人の求めで打った場合は、注文主へ敬意を表して裏に銘を切る習慣もあった。
- 新刀の時期になると刀が主流となったため、刀銘に斬ることが多くなる。ただし肥前忠吉とその一門では、太刀銘に切ることが非常に多い。その他山城守国清なども太刀銘に切っている。
- その後新々刀の時期には、古刀への復帰を目指したために太刀銘に切ることが多くなる。
- これらのことから、一概に太刀銘か刀銘かで作刀時期を判断することはできない。
目釘孔
- 通常刀の柄木のなかごに穿った孔に差し込んで抜けないようにする。この孔を目釘孔と呼ぶ。
目釘
- 目釘の材料は通常竹を用いる。
- もともとは太刀の目貫が二つに分かれ表面に出ている甲金が打刀の目貫、柄木の中に差し込んであった足が打刀の目釘になったという。
- 鍔から一寸ほどのところに挿すが、長い刀になると二た所目釘と呼び、もう一本柄頭に近いところに挿す。
目釘孔
- 孔の形により3つに分ける。真の孔とは正円でかつ1個の場合。行や草は形が瓜実、角、あるいは2個以上の孔が融合したもの、孔が2個以上ある場合をいう。
- 古い太刀では中心の中央寄りに穿っているが、時代が下がると鎺寄りに穿つようになる。
- 磨上てもないのに目釘孔が2個以上ある場合は、刀身が長大なため1個では折れやすいので刀工が最初から2個以上穿った場合がある。また後から開けられた場合には、切味を良くするためや、孔の大きさが適切ではなかったため、太刀と打刀で切羽の枚数が異なるため厚さを考えて穿ち直した場合、元服や婚礼など道具を改めた場合などがある。
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