大原安綱(刀工)


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 大原安綱(おおはらやすつな)

大原安綱、大原五郎太夫安綱。
平安時代初期、大同年間(806-810)を中心に伯耆の国で活躍した刀工
真砂砂鉄の産地であった伯耆国会見郡に住したと言う。
人名が確認されているなかでは、わが国最古の刀工である。

  • 長享銘尽

    嵯峨天王御宇大()年中大原五郎此作、太刀中子槌目ナリトモ云。扠作太刀一上野□アリ、鞘ノ□□シ切矢摺チトスチカウタル也、鋒モハモスコシ丸怙也、濤フツ切也、名ハ目抜下ニ打。扠作太刀越前ノ氣比ノ社季仁将軍(藤原利仁)被進、宮龍中ニ立テヲク今サヒスト云、又同作太刀田村ノ将軍伊勢納ラルゝヲ頼光依爲想申□也名鬼ト云

  • 伯耆国大原の住人
  • 通称三郎太夫、五郎太夫、大原太郎など
  • 弘仁4年(813年)65歳で没したというが、現存刀を見る限り、三条小鍛冶宗近より若く平安後期とされる。
    一般に安綱は、坂上田村麻呂の佩刀を作ったという伝承から、大同年間(806年~810年)の人とされているが、この時代には鎬造湾刀様式が確立していない。
    現在では備前友成、三条宗近と同時代の頃の刀工とみるのが定説となっている。となると、「わが国最古の刀工」という称号は外れることとなる。同時に、平城天皇(774-824年)の御剣や、藤原利仁(延喜年間〔901-923〕)および坂上田村麻呂(758-811)の佩刀などという伝承は年代が合わなくなる。
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 作刀

  • 著名作
童子切安綱
国宝天下五剣の一つで、東京国立博物館
鬼切安綱
銘 國綱(号 鬼切新田義貞佩刀、最上家伝来。重要文化財。北野天満宮所蔵

 重要文化財

太刀
銘「安綱」(伯耆安綱)保科家伝来、静嘉堂文庫美術館蔵
太刀
銘「安綱」附 糸巻太刀拵。刃長80.6cm。徳川家康佩刀、紀州徳川家重宝。紀州東照宮蔵
太刀
銘「安綱」長74.8cm、反り3.1cm。昭和29年(1954年)3月20日重要文化財指定。なかご生ぶ。島津家旧蔵。平成22年度文化庁購入文化財。74百万円。文化庁保管

 その他

飛竜丸安綱
長宗我部家、家臣瀬尾家伝来の太刀。飛龍丸
瀬上がり
鎮守府将軍藤原利仁が最後ある神社に奉納したものが川の中に落ちた。年月を経たのに少しも錆びてなかったために瀬上がりと呼ばれた。
太刀
銘「安綱」佐野美術館所蔵
太刀
銘「安綱」ボストン美術館所蔵
銘「安綱」。「天光丸太刀」昭和10年10月14日重要美術品指定、壺井八幡宮(大阪府駒ケ谷。旧八幡神社)所蔵。

 系譜

  • 安綱を始祖とする大原一門は、息子の真守の代以降も栄えた。

 大原真守

 大原安家

  • 安綱一門。平安時代後期。
太刀
銘「安家」刃長二尺五寸五分五厘(長77.3cm)、反り一寸。筑前黒田家伝来。安家現存中随一との評価が高い。鎬造、庵棟、鍛え小板目、刃文小乱れに丁子交じり。国宝。京都国立博物館所蔵

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 古備前安綱

  • 伯耆の安綱とは別の刀工
太刀
銘安綱(備前)。静岡県周智郡犬居村 秋葉神社所蔵
加藤藤泰子爵旧蔵、関東大震災で焼失

 相槌神社

  • 京都府八幡市八幡の相槌神社には、次のような社伝があるという。

    當社ヲ相槌神社ト称スルハ、伯耆国會見郡大原五郎太夫安綱鍛冶スル時ニ神来タリテ相槌ヲナス 依テ此所ニ神ヲ祭ル
    (相槌神社HPより)

  • ただし相槌神社社伝原文では少し異なっており、次のようになっている。

    當社ヲ相槌神社ト称スルハ、筑後國三笠郡土山住鍛冶某、多田満仲公ニ召レ武将ニモ朝廷ニ傳ヘ玉フ三種ノ神器ニ准ヘテ相傳シ神劔ヲ得ント彼ノ鍛冶ニ命セラレシカ心ニ不叶トテ用ヒラレサルヲ無念ニ思ヒ男山本宮ニ参籠シテ神託を蒙リ二振ノ劔ヲ得テ満仲ニ献ス、罪人ヲ斬テ試シ玉ヒテ之ヲ髭斬膝丸ト号ス
    (相槌神社社伝)

  • この筑後國三笠(御笠)住の鍛冶というのは「鬚切」「膝丸」の伝承に登場する鍛冶で、その素性は明らかではない。上の社伝では、この鍛冶を伯耆國住の大原安綱へと仮託しているのではないかと思われる。
  • また、相槌神社の鳥居の扁額には「三條 小鍛冶」と書かれているが、これは三条小鍛冶宗近のことであり、どうも複数の刀剣伝承が混じった状態になっているようである。この社伝は、江戸時代の宮大工である藤原尚次が著した「男山考古録」に記されていたものを引いており、そもそも藤原尚次が引用した原文についてはよくわからない。

 関連項目


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