新々刀


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 新々刀(しんしんとう)

  • 天明元年(1781)以降、明治9年(1876年)の廃刀令までに作刀された日本刀を新々刀と呼ぶ。
上古刀奈良時代以前。反りのない直刀
古刀平安時代中期~桃山時代末期
新刀前期慶長元年(1596)~慶安末年(1652)
中期慶安末年(1652)~元禄末年(1704)
後期元禄末年(1704)~安永末年(1781)
新々刀天明元年(1781)以降
現代刀明治9年(1876)以降

 概要

  • 新々刀は、復古刀を目指した水心子正秀により始まる。これに共鳴して諸国から門人が集まり、数々の刀工を育てた。
  • 門弟は数十人を超えたとされ、なかでも大慶直胤細川正義らはさらに門人を受け入れ、多くの門弟を輩出するに至る。

 新々刀位列

最上作
源清麿(山浦清麿)、大慶直胤水心子正秀、左行秀、大和守元平
上々作
栗原信秀、月山貞一、伯耆守正幸、固山宗次、次郎太郎直勝、細川正義山浦真雄、市毛徳鄰、運寿是一、手柄山正繁

 代表刀工

  • 水心子正秀:新々刀の祖。大慶直胤細川正義長運斎綱俊を始め、全国に門弟を育て送り出す。
  • 源清麿山浦真雄
  • 大慶直胤(たいけいなおたね):羽前山形の生まれ。荘司箕兵衛。鎌鍛冶であったが24歳で刀工を志水心子に師事する。腕は師を遥かに凌駕すると評価される。娘が水心子正秀の養子次郎太郎直勝に嫁いでいる。享和から安政頃。
  • 細川正義:細川良助。細川家は代々甲胄師であったが27歳のとき江戸に出て水心子の門を叩く。のち鹿沼に戻り作刀。文化11年57歳で没。享和元年より。
  • 固山宗次:奥州白河藩の固山宗兵衛。加藤綱英の門弟となる。四谷に住し、後に移住してきた源清麿との逸話が残る。山田浅右衛門ほかの御様御用役とも交流があった。弘化2年に備前介受領。
  • 長運斎綱俊:加藤和泉守国秀の三男で、山形藩工で濤瀾刃の名手であった加藤綱秀の実弟。水心子正秀に師事した後、江戸、大阪、熊本と移り住んだ。当時備前伝の第一人者と称えられるほどの名工であり、甥の石堂是一、弟子では固山宗次、高橋長信、青竜軒盛俊など数多くの優れた門人を生んだ。
  • 月山貞一(がっさんさだかず):月山派。弥八郎貞吉の養子の弥五郎貞一(初代)が大坂に移住。宮本包則と並んで、帝室技芸員に選ばれ、宮内省御用刀匠となる。愛刀家であった明治天皇の軍刀をはじめ、皇族・著名人の作刀を数多く行い、第一人者の地位を確立する。初代貞一以降も、月山家は、大正天皇即位礼の佩用太刀や昭和天皇の立太子礼佩用太刀等、天皇家や皇族の守り刀などにも携わった。長男月山貞勝(1869年-1943年)や孫の月山貞一(二代貞一、1907年-1995年、昭和46年 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定)と、初代貞一の後も名人を輩出する。月山貞利は大相撲の第65代横綱貴乃花、第66代横綱若乃花の土俵入り太刀を製作している。
若乃花太刀
二尺二寸八分(69.1cm)。銘「堅忍不抜 為横綱若乃花勝」と若乃花関が横綱昇進伝達式の際に述べた言葉を刻んでいる。
  • 【宮本包則(かねのり):横山祐包に学ぶ。月山貞一とともに帝室技芸員に選ばれ、宮内省御用刀匠となる。大正15年没。銘は「宮本能登守包則」、のち「帝室技芸員菅原包則」など。大正天皇の軍刀を謹作する。
  • 左行秀(さの ゆきひで):清水久義門下で学び、安政3年(1856年)に土佐に戻り抱え鍛冶となる。文久2年(1862年)に江戸土佐藩邸に戻り、維新後に国に戻った。明治初年から東虎と号す。「築周住左行秀」「左行秀」「土佐藩士左行秀造之」などの達筆な銘を切る。
  • 【南海太郎朝尊(ちょうそん):文化2年(1805年)土佐の生まれ。京都で伊賀守金道(8代)に学んだという。天保年間に江戸湯島天神そばに住し、多くの門弟を育てた。この頃に水心子正秀と刀剣議論し、水心子が朝尊の鼻っ柱を折った話が有名。トモタカと呼ばれる。上京した理由として、左行秀の前任者が南海太郎朝尊であったため、いわば役を獲られた形になった朝尊が上京して再起を図ったのだともいわれる。
    水心子正秀の弟子」という記述にいちいち絡んでくる人がいて面倒くさいのですが、元は「日本刀大百科事典」の記述ですので文句があるなら、こんなサイトよりもそちらに言ってください(「伊賀守金道の門に入り、さらに江戸へくだり、水心子正秀に入門。」)。刀剣界では(当サイトなどより)遥かに多くの方が目にしてきた書籍です。一部では「東西の双璧とも称され」などと言いますが、当時も(正秀は新々刀最上作、朝尊は上々作ですらなく上作)、あるいは現代でも、世間での作刀の評価はそうではありません。ゲーム内での(主に各自が感じた)評価と世間での評価は異なるということをご承知おきくださり、それをゲームと直接関係のないサイトにまで押し付けるのは勘弁してください。
  • 【尾崎助隆】:備後三原の裔、黒田鷹諶(たかのぶ)に師事し、また自らも門下を養成するに至る。備前守助広の作風を倣い、みごとな濤瀾刃を打つ。寛政10年に長門守受領。文化2年に52歳で没。「尾崎源五右衛門助隆」「尾崎長門守藤原助隆」「助隆」銘を切る。
    • 孫の正隆は京都嵯峨に移る。「天竜子正隆」、「尾崎源五正隆」。のち「長門介」を受領。天保~嘉永に活躍した。
  • 【徳川斉昭】:水戸烈公。直江助共や勝村徳勝らが相槌を務めた。菊紋を鎺下に切る。
  • 【水戸住徳宗】:新々刀水戸刀工の師。水戸藩士。「水戸住徳宗作之」「常陸国水戸住徳宗作」など。門下に勝村徳勝(初代、二代)、徳鄰、直江助政、近則など。
  • 徳鄰(とくりん):水戸藩士の出身。市毛姓。尾崎助隆に学ぶ。のち近江介受領。「水戸住市毛徳鄰」「市毛近江介藤原朝臣徳鄰」。二代。
  • 【直江助政】:「水戸住助政」尾崎助隆に学ぶ。



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