来国行(刀工)
来国行(らいくにゆき)
来一門
開祖国吉の子で実質的な開祖
城州国行
- 正元年間(1259~1260)。
- 古刀最上作
- 銘には「来」を切らない。また「國」の右上肩を連続せず、"一"と"│"が離れて切られる。
概要
- 来太郎。
- 来姓の由来については諸説ある。詳しくは「来一門」の項を参照のこと。
- 父国吉が高麗の人といい、高麗の太郎と呼ばれていたのが来太郎に転じたともいう。
もっとも父とされる国吉は現存作がなく、さらに古剣書によっては鍛冶ではないと注記されることもある。また国行の鍛刀の師も明らかにはなっていない。
綾小路定利の門人という異説や、隣同士に住んでいたため、注文が間に合わない時には互いに刀を借りあい、自分の銘を切って納めたという伝説もある。ただし居住地は山城西岡向日明神とする。
著名作
- 不動国行
- 足利義輝・松永弾正・織田信長・豊臣秀吉・江戸時代に焼けて再刃。
- 明石国行
- 国宝。明石松平家伝来。長二尺五寸三分、反り一寸二厘。(播州明石藩松平)松平直頴子爵。
- 釣鐘切国行
- つりがねきり。京都本圀寺(相国寺とも)から秀吉に献上。大谷刑部へ形見分け。
- 生駒国行
- 旧丸亀藩主生駒家伝来。
- 新身国行
- 尼子家重代、山中鹿之介から毛利輝元を経て秀吉。
- 小国行
- 秀吉所持。二之箱
- 太刀
- 長二尺四寸五分八厘、反り七分三厘。豊前小倉藩小笠原家伝来。表裏に棒樋を掻き流す。生ぶ中心。太刀銘。旧国宝。紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出展。小宮次郎氏。
- 刀
- 銘国行。昭和8年(1933年)7月25日重要美術品認定。小笠原忠春伯爵所蔵(小笠原長幹伯爵旧蔵)。
- 太刀
- 長二尺五寸一分、反り六分五厘。磨上。表裏に棒樋掻き流し。表先近いところに常よりも大振りの銘。重要美術品。紀州徳川家伝来。石黒久呂氏。
- 小林国行
- 明徳の乱で小林上野守が振るった太刀
- 侍従太刀
- 三尺一寸の大太刀で、二寸ほど磨上た状態。もとは京都寺町の松林院の什物であったものを、美濃の斉藤伊豆守俊綱(永正ごろ)が五千疋で申し受けたものという。
- 面影
- 長崎為基佩用、鳥取城主池田伝来
- 蛇丸
- 鉋丸(金丸)
- 力手丸
- りきしゅまる。太刀。
- ちつき丸
- 鑓切り
- 朝倉九郎左衛門所持。朝倉九郎左衛門とは朝倉景紀(1505-1572)のことで、朝倉10代当主朝倉孝景(宗淳)の子で、朝倉宗滴の養子となった。
国宝
- 太刀
- 銘「国行」長二尺五寸二分弱、反り一寸五厘。鎬造、庵棟、腰反高く踏張あり、鋒猪首。鋩子乱込み、小丸、僅かに掃かけ。表裏に棒樋、表は掻流し、裏は掻通し。表裏樋中腰に三鈷剣の浮彫が入る。目釘孔3個。刀剣博物館所蔵
重要文化財
- 太刀
- 銘「国行」長77.7cm、反り2.6cm。生ぶなかご、目釘孔3個。寛文5年(1665年)8月に伊予松山3代藩主松平定長が武運長久と、一門の繁栄を祈願して道後湯月宮(現伊佐爾波神社)に奉納したもの昭和3年4月4日重要文化財指定。伊佐爾波神社(松山市)所蔵
- 太刀
- 銘「国行」昭和10年4月30日重要文化財指定。個人蔵
- 太刀
- 銘「国行」長69.9cm、反り2.4cm。目釘孔4個。目釘孔の下に二字銘。宝永7年(1710年)に将軍家宣が津山藩主に与えたもの。廃藩置県の際に作楽神社に奉納。昭和4年4月6日旧国宝指定。作楽神社所蔵、岡山県立博物館保管
- 太刀
- 銘「国行」二尺六寸一分。寛永8年(1631年)島津家久が秀忠の形見として拝領したもの。踏ん張り強く、中切先の太刀姿。目釘孔1個。黒呂色鞘の刀拵が附く。鎺金無垢、柄革巻きで角頭。目貫小柄は赤銅蛤貝、笄は赤銅黍。重要文化財
- 太刀
- 銘「国行」長74.8cm(2尺6寸4分8厘)、反り1寸2厘(3.1cm)。昭和12年(1937年)5月旧国宝指定。元は、侍講であった男爵・元田永孚の所持で、その後、元田家で元田永貞、元田亨吉と伝来し、昭和11年(1936年)時点では男爵・元田竹彦所持。
※元田竹彦は実は落合為誠の次男(祖母が元田の娘・永子)で、亨吉の養子となった人物。
その他
- 太刀
- 朱銘「国行」長70.6cm、反り2.4cm。2代藩主鍋島光茂の佩刀。佐賀県指定の重要文化財。佐賀市徴古館所蔵
- 太刀
- 銘「国行」昭和10年12月18日重要美術品指定。吉本五郎右衛門所持(戸澤正巳旧蔵)
- 肝屬
- 長二尺三寸三分。表裏樋、添樋。肝付氏伝来。将軍足利義教より、大覚寺義昭を討った褒美として肝付河内守兼忠が拝領したという(当時の島津当主は島津忠国で、忠国も国安太刀を拝領している)。「義教公同日御教書を以蒙御勧賞、前件國行之御太刀一腰致拝領候、」。文化13年(1816年)正月3日付けの本阿弥忠信の折紙がつく。
※本阿弥万吉忠信は本阿弥光由の後衛で、島津家のお抱え鑑定家。
- 太刀
- 銘国行。刃長二尺三寸七分。昭和9年(1934年)12月20日重要美術品認定。認定時所持者黒田長成氏。のち佐野美術館所蔵。目釘孔3個。
- 太刀
- 銘国行。刃長二尺三寸七分強。昭和10年(1935年)12月18日重要美術品認定。認定時所持者戸沢正巳氏。来国行と当麻国行の判別が難しいという指摘あり。
- 太刀
- 銘国行。刃長二尺三寸四分。昭和14年(1939年)9月6日重要美術品認定。認定時所持者徳川家達氏。磨上、莖尻に二字銘。目釘孔5個。※不動国行とは別の国行
- 太刀
- 銘国行。刃長二尺五寸強。昭和15年(1940年)9月27日重要美術品認定。認定時所持者伊達宗起氏。目釘孔3個、うち下1個埋める。
- 太刀
- 銘国行。刃長二尺五寸三分五厘。昭和17年(1942年)5月30日重要美術品認定。認定時所持者近藤周平氏。生ぶ中心。目釘孔3個。
- 太刀
- 銘国行。刃長二尺四寸一分五厘。昭和19年(1944年)7月6日重要美術品認定。認定時所持者榊原政春氏。目釘孔3個。延宝3年(1675年)本阿彌光常の五百貫の折紙がつく。榊原康政所用と伝わる。
- 太刀
- 銘国行。刃長二尺四寸八分五厘。昭和23年(1948年)4月27日重要美術品認定。認定時所持者篠原三千郎氏。生ぶ中心。表裏に棒樋。目釘孔2個。
- 太刀
- 銘国行。刃長二尺三寸強。昭和19年(1944年)7月6日重要美術品認定。認定時所持者山階芳麿氏。大磨上折り返し銘。表裏に棒樋。目釘孔2個。
- 刀
- 伝国行。刃長二尺四寸四分。昭和10年(1935年)12月18日重要美術品認定。認定時所持者酒井忠克氏。表裏に棒樋。目釘孔2個。
- 刀
- 伝国行。刃長二尺二寸四分。昭和12年(1937年)2月16日重要美術品認定。認定時所持者原田耕三氏。大磨上。榊原鉄硯旧蔵。
榊原鉄硯は榊原浩逸。号 鉄硯(てっけん)。慶應義塾に学び、アメリカ・ラトガース大学に留学して鉄道を研究、日本鉄道に勤務。のち、岩倉鉄道学校(現在の岩倉高等学校)の幹事となった。犬養木堂(犬養毅)の親友。書画を能くしたほか、愛刀家でもあった。娘に日本画家の池田蕉園(榊原百合子/由理子)がいる。明治33年(1900年)の刀剣会の設立の際には、趣意書は鉄硯の草稿に犬養木堂が書き加えたもので、発起人38人の中に榊原鉄硯も入っている。
本間順治氏が次のように語っている。「そのほかに、いまの連中はほとんどだれもしらないお人なのですけれども、榊原浩逸、号を鉄硯という先生に教わっております。この榊原先生は、その当時七十才をかなり越しているおじいさんでした。ほんとうに鉄硯という字のとおり刀の目利きであり、硯も非常によくみられた。犬養木堂さんとは非常に親しいお友だちで、犬養さんの趣味はみんな榊原先生が先達だったと聞いております。その榊原先生がかつて関東大震災のあとで、私の郷里の酒田にきて画会をやったことがあります。南画もかき、字も書く。絵も字も非常にお上手です。画会を庄内でやろうというので、私の本家がお招きして、その折に沢山の蔵刀を全部みていただきました。そのときからのお近づきですが、その後東京でもいろいろと教わることになったのです。これは枝道になるけれども、榊原先生は非常に刀の品格をやかましくいうおじいさんで、よく、この刀とこの刀とでは品格が紙一重違うといっておられました。いつか出羽大掾国路の非常によくできた常にみる出羽大掾よりも、もっと細身で古くみえる刀を榊原先生のお宅に持参しました。さすがの先生もこれには参るのじゃないかとひそかに思ってね。先生ひとつなんとご覧になりますかと、入札鑑定を願ったことがあるんですよ。そうしたら、なんにも入札なさらんで、ただ、「わたしは宿場女郎というのは大嫌いです」というお返事だったのですよ。」
Amazonプライム会員無料体験