明石国行


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 明石国行(あかしくにゆき)

太刀
銘 国行(号 明石国行)
長さ76.5cm、反り3.03cm
国宝
日本美術刀剣保存協会所蔵(刀剣博物館展示)

  • 国行の作中ではやや細身に属する。地鉄は小板目つみ、やや肌立ち、刃文は広直刃調に丁子を交え、刃中の働きが盛んなものである
  • 鎬造、庵棟、腰反高く踏張あり、鋒猪首。鍛小板目、地沸つく。刃文小乱丁子交り、足葉入り、小沸つく。帽子乱込み、小丸、僅かに掃かけ、彫表裏に棒樋、表掻流し、裏掻通し、表裏樋中腰に三鈷剣の浮彫がある。茎生ぶ、栗尻、鎬目切、目釘孔3個、目釘孔の下、棟寄りに二字銘。
    長崎為基の佩刀「面影」が伝わり「明石国行」になったという説があるが、面影は三尺三寸の大太刀で、また「明石国行」は二尺五寸三分で磨上されていないため異なる。

 由来

  • 越前分家の明石松平家伝来のため「明石国行」の異名を持つ。

 来歴

  • 明石松平家に伝来。
    明石松平家は、結城秀康の6男で大野藩主直良の子松平直明が、天和2年(1682年)に6万石で播州明石(兵庫県明石市)に転封されたのに始まる。8代藩主斉宣は11代将軍家斉の26男で、この時8万石に加増。さらに将軍家親族となったため、江戸城中での伺候席も「大廊下-下」へと格上げとなっている。
  • 昭和12年(1937年)5月25日に重要文化財指定(旧国宝)。

    太刀 銘國行 一口 子爵松平直頴
    (昭和12年文部省告示第二百五十號)

    播磨明石藩の10代藩主は松平直致(直良系越前松平家11代)。廃藩後、弟の直徳が家督を継いだ(同12代)。のち子爵に叙爵される。松平直頴は直徳の長男で直良系越前松平家13代、子爵。妻は公爵岩倉具張の長女(岩倉具視の次男具定の長男具張の長女)

  • 昭和15年(1940年)紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出展。

    太刀 銘國行(國寶) 東京 子爵松平直頴
    長さ二尺五寸三分 反り一寸○二厘 元幅九分八厘
    鎬造、庵棟、反高く踏張がある。地は板目よく沸え、棟焼あり、刄文は總じて焼深く沸出来の小亂刄に小足入り、金筋かゝり砂流ごころあり、帽子、表は亂込み崩れごころ、裏は大丸に返つて掃掛かゝり、兩面に棒樋を刻し表は掻流し、裏は掻通し共に樋の内腰に三鈷柄劍を浮彫にして居る。茎は生ぶ、雉子股形をなし、鑢目切、穴の下棟寄に「國行」と二字銘を鐫つてゐる。

  • この後、株式会社ぎょうせいの中興の祖、藤沢乙安氏蔵となっている。
  • 昭和28年(1953年)3月31日に国宝指定。
  • 藤沢氏の死後、日本美術刀剣保存協会にコレクションが寄贈された。
    藤沢乙安氏は2000年3月没。養子の藤澤玄雄氏が継承するが、2002年8月に相続税12億円余りを脱税したとして東京国税局より告発され、2006年1月最高裁で実刑(懲役2年、罰金2億5千万円)が確定した。平成13年(2001年)8月に藤沢乙安氏コレクション寄贈展が開催されている。
  • 現在は公益財団法人日本美術刀剣保存協会所蔵で、渋谷区代々木の「刀剣博物館」で見ることができる。

 国宝指定

文化庁データベースの方では、検索結果2件のうち上の指定番号(登録番号)「00100」が明石国行。
※もう1件の「太刀〈銘国行〉」(69.7cm、昭和29年3月20日国宝指定、指定番号00148)も同じ日本美術刀剣保存協会所蔵だが、こちらは来国行ではなく当麻派(たいま)の祖である国行作で、備後福山藩の阿部家伝来。のち阿部正直伯爵から藤沢乙安氏所持になる。「明石国行」とは別物。つまりいずれの国行も藤沢乙安氏所蔵を経て日本美術刀剣保存協会所蔵となっている。


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