釣鐘切
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釣鐘切国行(つりがねきり)
由来
- 釣鐘(釣り金)とは、
蔀 を釣り上げる金具のこと。これを切ったことにちなむ。
来歴
- もとは本國寺の所蔵。
- 秀吉に献上される。
大物きれ之刀たづね候ニ付、つりがねきり之刀給候、まんぞく存候
- 慶長5年(1600年)の関が原の戦いにおいて、大谷吉継は西軍の最右翼に位置し東軍の藤堂高虎・京極高知両隊を相手に奮戦する。しかし午後になって小早川秀秋隊の裏切りにより横撃を食らい、脇坂・朽木・小川・赤座の4隊までが小早川隊に同調すると大谷隊は壊滅した。
- 吉継の死後、本刀は伊予西条藩の松平家に伝来する。
- 大正13年(1924年)6月同家の売立で出され、小此木信六郎が入手。この時に拵えを新調したという。
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