三条派
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三条派(さんじょうは)
宗近─┬─吉家[寛弘] │ ├─有国[寛弘]─兼永[長元]─┬─国永[天喜] │ ├─兼次[永承] ├─宗則 └─兼安[永承] │ ┌─眞國[延久] ├─眞利[長久]─┤ │ └─宗永 ├─宗利───宗忠 助宗[平治] │ 宗親 └─近村[長久] 守家 ※諸説あり。[]は推定活動年間 ※古刀期の刀工の相互関係については、年紀銘などからの類推が多くほとんどわかっていない。
代表的な刀工
三条宗近
三条吉家
- 宗近の子、あるいは孫。宗近の隠し銘ともいう。
- 詳細は「三条吉家」の項参照
三条近村
三条在国
三条吉則
- 太刀
- 銘「三条吉則作」長二尺五寸二分。鎬造り、庵棟、。鋩子小丸。遊就館所蔵
- 太刀
- 東郷平八郎所持。大正10年(1921年)、東宮御学問所総裁を解任された際に、大正天皇より大正天皇より賜ったもの。長銘で、刀身には倶利伽羅龍や梵字などの彫り物があったという。菊桐紋を散らした絲巻太刀拵が付いていた。
五条派
- 三条宗近の門人と伝わる兼永が京の五条に住した事によりこの名がある。
五条兼永
- 三条小鍛冶宗近の子、あるいは宗近の子である有国の子(宗近の孫)ともいわれる。※諸説あり不詳
- 長元ごろに京都五条に住し、五条兼永と呼ばれる。
- 有銘作は二口のみ現存する。子に国永、兼次、兼安がいるが、現存作が残るのは国永のみとなっている。
- 綱切
- 刀 銘兼永。長一尺七寸八分。薩摩島津家相伝。
- 太刀
- 銘兼永。長77.1cm。昭和13年(1938年)7月4日重要文化財指定。刀剣博物館所蔵。
国指定文化財等データベース:銘兼永 - 刀
- 無銘伝兼永。長74.8cm。反2.4cm。目釘孔2個。昭和30年(1955年)2月2日重要文化財指定、指定時所有者高橋衛氏。昭和55年(1980年)時点の所有者大貫智司氏。
国指定文化財等データベース:無銘伝兼永 - 太刀
- 無銘傳兼永。二尺二寸八分、反り一寸五厘。鎬造、庵棟。鋩子乱れこむ。濱田新七郎氏蔵
- 太刀
- 無銘傳兼永。二尺四寸八分五厘、反り八分三厘。鎬造、庵棟。鋩子乱れこむ。鳥居寛治氏蔵
五条国永
- 宗近の門人三条在国の次男で、兼永の弟という[古今銘尽]。
- 三条兼永の子とも。※諸説あり不詳
平安城派(後三条派)
- 平安城または三條と切る一派。※平安城とは平安京の異称。
- 如手引抄では「平安城三條住人一流」として載る。
光長
- 事実上の祖とされる。
- 銘に元亨元年(1321年)、正中元年(1324年)。
- 京の一条以南の猪熊に住し、猪熊入道と称したという。
吉則
- 一派を代表する刀工。
- 銘は、三條吉則作、京都三條住吉則、平安城住吉則
長吉
- 一派を代表する刀工。
- 如手引抄では「長吉、國長は菅原と打也」としているが別人とされる。
- 初代長吉
- 銘は平安城長吉、三條長吉
- 二代長吉
- 平安城三條長吉、平安城長吉
- 三代長吉
- 平安城長吉、平安城住長吉作
- 四代長吉
- 最も高名で、槍に名作を残す。文明ごろ。
- 五代長吉
國長
- 菅原長吉の子という。
- 銘は京都住人菅原國長
友長
- 國長の弟という。
- 銘は菅原友長
吉長
- 銘は平安城住吉長、三條吉長、三條布施吉長
長光
- 銘は平安城長光
則光
- 平安城則光
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