三好政長

三好政長(みよしまさなが)  

戦国時代の武将
勝時流三好氏第2代当主
越後守
半隠軒宗三

  • 分家出身ながら細川晴元の側近として台頭、大永7年(1527年)には足利義維と晴元を擁立して堺に上陸し堺公方を誕生させるなど権勢を振るった。
  • 後に三好氏本家(三好長慶)と対立、天文18年の江口の戦いで三好長慶に江口城を囲まれ敗死した。
  • 嫡子の政勝と、細川晴元は打出するが、これによって長年に亘って幕政を担ってきた細川政権は一挙に崩壊し、消滅することになる。
  • 入道し半隠軒宗三(そうざ、そうさん)を名乗った。

    天文十一年四月 丹波宇津城。波多野。三好甚五郎(入道半隱齋宗三)雖責寄之。一向不成候。今日開陣云々。
    (蜷川親俊日記)

    三好政長が建立した菩提寺、堺の善長寺には堺市が建てた銘板がある。そこでは「しゅうぞう(Shuzo)」とする。

名物  

家系  

  • 父三好勝時は三好長之の子。
  • 子に三好政康(下野守、釣竿斎入道)、および三好正勝(一任斎、為三入道)がいる。
    【三好家系図】
    源義光………小笠原貞宗─小笠原政長─小笠原長興─三好義長─┐
                                 │
    ┌────────────────────────────┘
    │
    └長之─┬之長─┬長秀─┬元長───────┬三好長慶─┰三好義興
        │   ├長光 │         │     ┗三好義継─長元
        │   ├長則 └康長(笑岩入道) │
        │   └長逸  ┗━三好信吉   ├三好実休─┬三好長治
        │          (豊臣秀次) │     └三好正安(一存養子 存保)
        │                 │
        │                 │【安宅】
        ├長尚               ├安宅冬康─┬安宅信康
        │                 │     └安宅清康(河内守)
        │                 │
        │                 │【十河】
        │                 └十河一存┬┰十河重存(長慶養子 義続)
        │【勝時流】                 │┗十河存保
        └勝時──政長─┬政康(下野守、釣竿斎)   └─十河存之(存保家老)
            (宗三)└政勝(一任斎、為三入道)