紹鴎茄子
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紹鷗茄子(じょうおうなす)
唐物茄子茶入
銘 紹鷗茄子
大名物
サンリツ服部美術館所蔵
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サンリツ服部美術館でも、大正名器鑑でも表記上は紹鴎茄子の鴎の字は「鷗」を宛てるが、ページ名は簡易慣用字体の「鴎」とする。
由来
- 大正名器鑑でも次のように記す。
武野紹鴎所持の茄子茶入二箇あり、一は此茶入にして単に紹鴎茄子と云ひ、一は鴻池所持にして底にみほつくしの文字と紹鴎の書判とあるものなり。茶事秘録に「茄子茶入名物世に聞えし大概。北野茄子、醍醐茄子、豊後茄子、宗娯茄子、紹鴎茄子、みをつくし茄子、兵庫茄子」と列記しあれば、古来紹鴎茄子と、みをつくし茄子と二種ありしこと明らかなり。然れども諸茶書多くは兩茄子を混同して辨別に苦しむものあり。今弦に此茄子を単に「紹鴎茄子」とし、鴻池のを「紹鴎茄子一名みをつくし茄子」として、之を區別する事と爲せり。
下記では3つ上げるが、ここでは、本茶入と「みをつくし茄子」の2つを上げている。
来歴
- 来歴概略
武野紹鴎─辻玄哉─肥前鹿島鍋島帯刀─松平大和守(直基系越前松平家)─益田信世
紹鴎
- 元は武野紹鴎所持。
辻玄哉
- 京都の辻玄哉の所持となる。
天正十五年十月朔日北野大茶湯に出品
辻玄哉所持 一茄子前紹鴎所持 一牡丹繪舜學筆
(京都北野神社蔵北野大茶會圖)
辻玄哉は辻玄哉は京の商人で連歌師。紹鴎の高弟。天正4年(1576年)11月没。
肥前鹿島藩鍋島帯刀
- のち肥前鹿島藩の鍋島帯刀に伝わる。※天正15年(1587年)
茄子 (略)鍋島孫平次所持の紹鴎茄子、八幡山瀧本坊所持の国司茄子も、右同前といへり
(万寶全書)
松平大和守
- 延宝7年(1679年)、松平大和守に、小判金五百両で譲渡している。
覺
小判金五百兩 紹鴎茄子茶入代也
此内
一小判金弐百兩 唯今請取申所實正也
残テ
一小判金三百兩ハ来年中暮百五十兩、来々年酉暮百五十兩御渡可能被成通申合候、爲後日如件
鍋島帯刀内
延宝七年未五月廿六日 川口市郎兵衛(印)
石井長左衛門(印)
松平大和守様御内
丹羽作兵衛殿
松平大和守は、直基系越前松平家2代松平直矩。その後陸奥白河藩2代藩主松平基知(直基系越前松平家3代)と代々相伝し、幕末には武蔵川越藩7代藩主松平直克(直基系越前松平家11代)に伝わった。
- 大正8年(1919年)10月23日に高橋義雄(箒庵)が実見している。この時は直基系越前松平家14代当主の松平直之(伯爵・貴族院議員)の所持となっている。
大正八年十月二十三日、東京市麹町區下二番町松平直之伯邸に於て實見す。
(略)
大體手取軽く、釉柔かく、恰好優美にして、此種の茶入中最も茶味に富みたる者なり。
益田信世
- 大正8年(1919年)12月、東京両国美術倶楽部にて売立、四萬五千八百園で落札。
- 益田信世氏の所蔵となる
益田孝の次男で、小田原市長。
- 現在はサンリツ服部美術館の所蔵
複数の紹鴎茄子
- 伝承に混乱があり、「紹鴎茄子」の異名を持つ茄子茶入は複数存在する。
- すべて別物で、ここでは別の名前で列挙し、所蔵館銘の後にそれぞれの所蔵館での呼び名を示す。
関連項目
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