天下三肩衝


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 天下三肩衝(てんかさんかたつき)

  • 茶器で肩衝と呼ばれる器の肩部が水平に張った茶入のうち特に優れたものを指す言葉。

    かたつき天下に名物三つ御座候。ならしば、初花、新田此三つに候

 概要

  • 以下の3つを「天下三肩衝と呼ぶ。
新田肩衝
大名物
村田珠光─三好宗三─織田信長─大友宗麟─豊臣秀吉─徳川家康─水戸徳川頼房
重要美術品
徳川ミュージアム所蔵
初花肩衝
大名物
足利義政─鳥居引拙─疋田宗観─織田信長─織田信忠─松平親宅─徳川家康─豊臣秀吉─宇喜多秀家─徳川家康─松平忠直─松平備前守─柳営御物
重要文化財
徳川記念財団所蔵
楢柴肩衝
大名物
足利義政─村田珠光─鳥居引拙─芳賀道祐─天王寺屋宗伯─神屋宗白─島井宗室─(信長)─秋月種実─豊臣秀吉─徳川家康
明暦の大火で焼け修復された後行方不明

 由来

  • 江戸初期の「片桐石州覺書」の記載から、少なくとも桃山期末頃には新田、初花、楢柴の3肩衝が天下に並び無い名物だとされていたことがわかるが、それらを「天下三肩衝」という五文字で呼び始めたのは明治頃ではないかと思われる。※「天下五剣」と同様で、現代の書物ではごく当たり前に登場するが、言葉の命名者がわからない。
    片桐石州(片桐貞昌)は江戸初期の茶道家で、片桐且元の甥。大和小泉藩初代藩主・片桐貞隆の長男として摂津茨木で生まれ、大和小泉藩の第2代藩主となった。寛永元年(1624年)に従五位・石見守に叙任され、この後片桐石州と呼ばれるようになる。寛永4年(1627年)に父の死により家督相続。慶安元年(1648年)には将軍家光の意向を受け、柳営御物の分類整理を行う。のち将軍家綱の茶道師範となっている。石州流茶道および華道の開祖。

 逸話

  • 初花肩衝」は、信長入手当時には「新田肩衝」に次ぐ「天下二」の肩衝と評価されていた。
  • 信長は、当時「楢柴」を所持していた島井宗室に対して献上するよう申し入れていたが、これに対して宗室が献上すべく訪れたのが本能寺の変の前日である天正10年(1582年)6月1日であり、翌2日の変を受けて宗室は博多に逃げ帰ったという。(仙茶集)
  • これにより信長の天下三肩衝を手に入れるという夢は幻と消える。
  • その後、九州征伐後に秋月種実から「楢柴肩衝」が献上されたことで、秀吉の手元に天下三肩衝が揃うこととなった。

 関連項目

天下三茄子


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