本阿弥光室


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本阿弥光室(ほんあみこうしつ)  

本阿弥家十代当主
三郎兵衛
直忠

生涯  

  • 天正11年(1583年)生まれ、寛永2年(1625年)11月26日没、42歳。
  • 本阿弥光徳の子
  • 通称は又三郎、三郎兵衛。諱は幸忠、直忠。
  • 折紙は慶長9年~寛永25年まで、花押は前後で変わる
  • 子の本阿弥光温が跡を継ぎ11代当主となった。
  • 秀忠に仕え、毎日2時間ばかり刀剣の目利きの指南をしたと伝わる。その時には、抜身をそのまま秀忠が手渡しで受け取るほど信頼を受けていたという。

書物  

  • 本阿弥又三郎幸忠」:本阿弥光室が慶長18年卯月3日に堀田左兵衛に与えた刀剣書。伝説的な名剣の由来のほか、銘鑑に簡単な注を入れたもの。

享保名物帳  

逸話  

  • 秀忠の寵を得ること篤かったが、42歳にて江戸城中で急死している。
  • 城内で体調を崩したため土井利勝に手を引かせて駕籠に乗せて送り、光室を石町一丁目の宿まで帰らせている。秀忠はさらに奥医師の曲直瀬玄朔(延寿院)を遣わすがそのかいもなく二度目の発作を起こし息を引き取った。

    台徳院の御代寛永二年霜月二十六日に本阿弥光室こと御城御前にて中風煩ひ出し、土井大炊頭殿手を御引被成玄関まで御出候て、御玄関前より乗物に御のせ、石町一丁目の宿へ御かへし候上意にて延寿院に療治被仰付其上上使両度まで被成下、有難誠にもって冥加至極の仕合に候、しかれども養生不相叶其夜半に相果申候右の趣京都へ聞へければ、倅又三郎(光温)若輩故跡目の事光悦こゝろ元なく存じ、板倉周防守殿より大炊殿へ参りければ、寒気の時分大儀に存ずる休息仕り候へと仰られ云々

関連項目  


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