本阿弥光瑳


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本阿弥光瑳(ほんあみこうさ)  

本阿弥分家、光二系3代
次郎左衛門

生涯  

  • 天正6年(1578年)の生まれ、寛永14年(1637年)10月5日没64歳
  • 片岡垂信入道の子で、本阿弥光悦の従兄弟。

光悦の養子  

  • 元和9年(1623年)、光悦の嫡男徳善が夭折したため光悦の養子となり、後を継いで加賀前田家に仕えた。

    右光瑳儀、光悦同様被召仕毎度御書等頂戴仕、御知行弐百石拝領仕、元和九年隠居奉願、嫡子光甫江右弐百石無相達相続被仰付、寛永十余年病死仕候

能書家  

  • 書を光悦に学び、門人中随一の能筆と言われたが、謙遜して短冊一枚書かなかったという。

書物  

本阿弥光瑳名物刀記 

  • 前田利常の求めに応じて、名物の名前と寸尺を記したものを献上した。

    小松様御意ニテ同名光瑳相認上ゲ申候ヲ、御拝領被成候ト慥ニ存候。其ノ故ハ光瑳手前ヘヨビ、銘尽ナド爲書候者御座候キ。同筆ニテ候、光瑳ヨキ太刀刀ワキサシ共書アツメ候、マキモノドモノ内如此之モ御座候。赤ヲシルシ仕候ハ焼失ヲ能承候分ニ候、テンカケ候ハ唯今ニ御座候分ニ候。其外ハ如何成候モ存不申候。但シ追テ知レ可申ト存候。重テ可申上候。 以上
     宝永二乙酉年七月廿一日   本阿弥光山(花押)

「積年真模刀茎」  

  • なかごの図の下に作風を書き添えた刀剣書。

享保名物  

名人  

  • 光瑳は、下研ぎ、中研ぎ、水仕立て、拭い、磨きとすべての工程で名人と言われた。
  • 本家の本阿弥光室が、将軍秀忠に「名人は誰か」と問われた時にそれは光瑳であると答えたという。

逸話  

  • 名物三好正宗」の砥ぎを光瑳にやらせるという話になったが、光瑳には持病があって江戸まで出れなかったため、将軍家の呉服所後藤縫殿助と腰物係にもたせて京都まで届けさせたという。
  • この時は、下研ぎから水仕立てまでを本阿弥光瑳の次男光由がやり、拭いは光瑳、磨きは長男の本阿弥光甫が担当して仕上げた。

関連項目  


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