本阿弥長根
本阿弥長根(ほんあみながね)
芍薬亭長根、三橋喜三二
六郎右衛門
忠純
号浅黄裏成 、菅原長根
法名光恕
- 孫が本阿弥長識
生涯
- 本阿弥光蘇の百五十石を継ぐ
- 文化9年(1812年)3月には、加賀藩江戸屋敷にあった103振りをお手入れをした記録が残る。
系譜
書物
- 数多くの著作を残す
「校正古刀銘鑑」
- 唯一の刀剣書。本家から発禁処分にされる。
- のち安政3年(1856年)に尾関善兵衛永が「雲智明集(掌中古刀銘鑑)」と名前を変えたものを発行している。
「名物剣集」
- 戯作者であり、狂歌作者でもあった。
戯作者「浅黄裏成」
- 狂歌を手柄岡持(平沢常富、筆名:朋誠堂喜三二)に学び、のち師匠の狂号である「浅黄裏成(あさぎの うらなり)」を譲られ名乗る。さらに「喜三二」の号を受けて「三橋喜三二」「二世喜三二」「後の喜三二」とも呼ばれる。
- 江戸天明狂歌については「大田南畝」の項を参照
狂歌作者「芍薬亭長根」
- さらに後、狂歌作者となり「芍薬亭長根」(しゃくやくてい ながね)と号す
- 天明3年(1783年)の狂歌集「万載狂歌集」(編は四方赤良と朱楽菅江)に載る。
霞
佐保姫の引越しぬれば樽代の二筋三筋霞む山の端
佐保姫は春をつかさどる神で、それが引越してきたということで春の到来を意味する。そこから樽代(家主への引越の挨拶)と二筋三筋を引き出し、さらに霞を出して樽と結びつけている。また二筋三筋は銭差しの一さしでもあり、樽代の相場が二百文~二百五拾文だったことも織り込んでいる。梅
清水の舞台はおろか筑紫までひと飛びにする梅の花笠
道真の「東風ふかばにほひおこせよ」の歌を元に、京から筑紫まで梅の花が飛んでいったのは、清水の舞台のわずか四十尺程度とは比較にならないということを謳っている。
関連項目
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