本阿弥長根


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 本阿弥長根(ほんあみながね)

芍薬亭長根、三橋喜三二
六郎右衛門
忠純
号 浅黄裏成(あさぎのうらなり)、菅原長根
法名光恕

 生涯

  • 加賀本阿弥家、本阿弥光悦七世の孫。本阿弥光蘇の長男
  • 明和4年(1767年)生まれ、弘化2年(1845年)2月10日没、79歳
  • 幼名三太郎、六郎右衛門、重郎左衛門。
  • 諱は親平、忠純。光恕は法名。
  • 文化9年(1812年)3月には、加賀藩江戸屋敷にあった103振りをお手入れした記録が残る。
  • 嫡子は光廉で加賀本阿弥を継いだ。

 書物

  • 数多くの著作を残す

 校正古刀銘鑑

  • 唯一の刀剣書。本家から発禁処分にされる。
  • のち安政3年(1856年)に尾関善兵衛永が「雲智明集(掌中古刀銘鑑)」と名前を変えたものを発行している。

 名物剣集」

  • 名物帳(享保名物帳)。はじめて上中下の分類などを行った。さらに由来を詳しく書き込んでいる。
  • 現在「享保名物帳」と呼ばれる写本の元となっている。
  • 戯作者であり、狂歌作者でもあった。

 戯作者「浅黄裏成」

  • 手柄岡持(朋誠堂喜三二)に学び浅黄裏成(あさぎの うらなり)と号す。後に喜三二の号を受けて「三橋喜三二」「二世喜三二」「後の喜三二」とも呼ばれる。

 狂歌作者「芍薬亭長根」

  • さらに後、狂歌作者となり「芍薬亭長根」(しゃくやくてい ながね)と号す

 関連項目


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